第八章 たとえ、カムラを敵に回しても
処刑日の前日。
――シュウゴ……
シュウゴの牢屋の前で一人の討伐隊員がその名を呟いた。
以前はなにかあったときのためにと、二人で食事を運んでいたが、人手不足なこともあり、今は一人だ。
寝台で死んだように眠っていたシュウゴは、懐かしい声に体を起こす。
牢屋の柵の前に立っていたのはクロロだった。
クロロはトレーを配膳口へ置き、寂しそうに眉尻を下げた。
悪い、起こしちまったか
シュウゴはゆっくりと寝台から降りてクロロの前に立った。体は酷く痩せ細っており、緩ませた頬もこけ、たくさんの痣が出来ていた。囚人服はいたるところが裂けて、内側の皮膚が赤く腫れている。拷問の傷が見るに堪えない。
クロロは目を逸らした。
……明日、あんたは処刑される
クロロの予想通り、本人には知らされていなかったようだが、シュウゴは特に驚くことなく寂しそうに俯くだけだった。まるで、今の状況を受け入れているかのようだ。
クロロはその心情が理解できず問う。
怖くないのか?
でも、冤罪なんだろ?
クロロの問いに、シュウゴはゆっくり顔を上げた。
浮かない表情をしてはいるが、その瞳には期待がこもっている。
……そうだよ。あんたは信じてくれるのか?
当たり前だ。俺だけじゃない。あんたを知ってる人間はみんな信じてるさ。この数日間、シュウゴを殺さないでくれと懇願しに来た人が結構いたらしいぞ。シスターマーヤ、ハンターの女たち、紹介所の看板娘たちなんかもいたらしい。けど、領主様とキジダルさんは方針を変えなかった
シュウゴは「あはは」と照れくさそうに笑う。
自分が恵まれた環境にいたのだと、今さら気付いた。
嬉しいなぁ……
冤罪で処刑されるなんて、悔しくないのか? 俺たちが憎くないのか?
クロロの硬い表情を見てシュウゴは首を横に振った。
仕方のないことだよ。それがこの町のためだって判断されたんだから。俺が無様に喚いてカムラの人たちに迷惑をかけたくはない。ただ、メイとニアのことだけが心残りだ。二人は無事なのか
死人の娘と竜人なら、まだ捕まっていないよ。あんたを処刑すると決定してから、もう捜索も打ち切った
そうか……
シュウゴは安堵しマーヤに感謝した。彼女が匿ってくれているに違いない。
討伐隊やハンターたちの手から唯一逃れることができるのは、彼女の元だけだ。
すまん
クロロが突然声を震わせ俯いた。シュウゴにはわけが分からない。
どうして謝るんだ?
俺は、領主様の前に立てなかった。あんたを信じてると言いながら、冤罪を訴えることができなかったんだ
仕方ないことだろ。クロロさんは討伐隊の騎士なんだから
それでもっ! 俺はまた尊敬する人を失いそうだっていうのに、なにもできない
クロロは拳を硬く握りしめた。ヒューレを失ったことを引きずっているのだろう。
シュウゴはクロロのことをまっすぐ見つめ、声に熱を込めた。
それは違う。あんたは最後に、俺の大事な仲間が無事であることを教えてくれた。俺の知る優しい人たちが優しいままでいることを教えてくれた。これでなにもできていないっていうのは、ただの勘違いだ
シュウゴは病的に白くなっている顔を緩ませ、歯を見せて笑う。
クロロは「敵わんな」と呟き、背を向けた。その肩は震えているように見えたが、シュウゴは気付かないふりをした。
クロロは背を向けたまま最後に問う。
なぁ、ヒューレ隊長には答えを聞けずじまいだったが、あんたは教えてくれないか? どうしてそんなに強いんだ? どうしてこんな目に合っても、気丈に振舞える?
俺は決して強くなんてない。ただ、心の支えになってくれる仲間がいただけだ
………………
クロロはその言葉を聞き、なにかを言うことなく、シュウゴの前から走り去って行った。
足音が止まってすぐに、クロロの叫びが牢獄へ響き渡った
ちきしょぉぉぉぉぉっ!
シュウゴの処刑当日、シモンはなにげなく商業区の大通りを歩いていた。
通りには大勢の人が行きかっている。
おそらく皆、シュウゴの処刑を見に行くつもりなのだろう。
シモンはどうしても広場へ足が向かなかった。
シュウゴの処刑が決まってからも、なにもできなかったという後ろめたさがあるのだ。
これでは親友に合わせる顔がない……いや、もはや親友と呼ぶのもおこがましいのかもしれない。
シモンは大通りのど真ん中で立ち止まり、周囲を行き交う人々の話に聞き耳を立てた。
やはり、聞こえてくるのはシュウゴへの怒りと憎しみばかりだ。これで安心して眠れるだの、大切な人を返せだの、好き勝手なことばかり。
シモンは自分のことを棚に上げ、彼らに腹を立てる。
恩知らずってのはこういうことを言うのか……
シモンは突っ立ったまま無表情で呟く。
新設された銭湯に癒された者、街路灯によって夜の恐怖から救われた者、それらが誰のおかげか分かっていない。
しかし自分自身も、彼に助けられたことが山ほどあるというのに、なにもしてやれなかった。
悪いなシュウゴ……
シモンは重苦しく呟き、結局なにをするでもなく自分の鍛冶屋へ戻って行った。
他の誰かが彼を救ってくれるはず――そんな幻想を抱きながら。
シュウゴは裸足で歩きながら、乾いた咳をする。
どうやら、牢屋での不衛生な生活で病気にかかったらしい。寒気もする。
シュウゴは今、自分がどこにいるのかまるで分からなかった。
目には白い布が巻かれ耳には耳栓、手には鎖が繋がれおり、目の前を歩く騎士に引っ張られて行先も分からず歩いている。
あまり不安に思わないのは、クロロから処刑されるということを教えてもらっていたおかげだ。下手に希望を持たないで済む。
しばらく歩くと、処刑場らしき場所に着いた。
シュウゴは台の上に導かれ、板のようなものに両手を広げた状態で縛りつけられた。
十字架の磔を想起する。
ようやく耳栓が外された。
しかし、小さなざわめきが聞こえるだけで静寂と緊張が伝わって来るだけだ。
――愛するカムラの人々よ、よくぞ来られた。私は討伐総隊長『ゲンリュウ』だ。これより、秘密裏に魔物をカムラへ連れ込み、海の魔物を引き寄せた大罪人、カジ・シュウゴの公開処刑を決行する!
処刑台の後方で総隊長が告げると、そこら中でカムラ領民の声が上がった。
一瞬、シュウゴはその怨嗟の波動に圧倒された。
まるで、ダンタリオンを前にしたときのようだ。
聞こえてくるのは、身に覚えのない恨み言ばかり。
しかし、どれだけ恨みつらみを投げかけられようと、シュウゴは気にせず「就任して早々こんな仕事、ゲンリュウさんも大変だな」などと呑気に考えていた。
領民の怨嗟の声が止まない中、処刑台に一人の騎士が上がる。
次第に、領民たちの声が収まると、ゲンリュウは短く指示を出した。
やれ
なんとなくシュウゴには分かった。
目の前の処刑人は槍を持っていて、自分はこのまま心臓を刺し貫かれて死ぬのだろうと。それでも恨みや怒りはない。
むしろ、ここで死んだらまた次の世界で転生するのだろうかと、気にもなっていた。
静寂が長く永遠のように感じられた。
デュラ、メイ、ニア、ハナメ、ユリ、ユラ、ユナ、アンナ、リン、マーヤ、クロロ、シモン。
優しい人たちの顔が次々思い浮かび、シュウゴの瞳から一筋の涙が流れる。
皆は自分が死んで悲しむだろうか。それが無性に気になった。
カムラ中の人々が固唾をのんで見守る中、処刑人はようやく動き出した――
――私にはできませんっ!!
静寂をまっすぐな言葉が引き裂く。
シュウゴは一瞬、彼がなにを言ったのか理解できなかった。
この場にいる全員がそうだ。
領民たちがざわつき、討伐隊の幹部たちも絶句しているようだ。
シュウゴはすぐ、目の前に誰がいるのかを悟った。
クロロは槍を床に刺し、シュウゴの目に巻かれていた布を外す。
だがそれを黙って見過ごす討伐隊ではない。
ええいっ、騎士たちよ! 裏切り者に代わって大罪人を処刑せよ!
総隊長ではなくキジダルが叫んだ。
処刑台へ四人の騎士が殺到する。
いずれも立派な甲冑と磨き抜かれた剣を装備し、隙のない足の運びが手練れであることを証明している。
くっ……
クロロは床に刺した槍を抜き後ずさった。
あんたを前にしたら、こうする以外できなかったんだよ!
シュウゴは目の端に涙を溜めたまま微笑み、クロロの横に立つ。
助けてくれたクロロのため、カムラを敵に回す覚悟を決めた、そのとき――