第八章 たとえ、カムラを敵に回しても
数日後、地下牢の上にあるヴィンゴールの館には、カムラの重鎮と討伐隊幹部たちが集まっていた。
絨毯の脇で幹部が整列し、絨毯奥の執務机の前に座るのはヴィンゴール。
その目の前で深く頭を下げ、額に油汗を浮かべていたのはバラムだった。
面を上げよ
バラムは緊張に声を震わせながら顔を上げる。
ヴィンゴールの代わりに、キジダルがバラムの容疑について説明し始める。
バラム殿、そなたは商会の中に凶霧の魔物がいることを知りながら、それを隠し領主様の側近に推薦した。これは事実か?
ご、誤解でございます。私はそもそも、あの死人の少女以外は普通の人間だと思っておりました。領主様の側近に推薦したのも、彼の実績と未来を考えてのこと。決して、なにかを企てていたわけではございません
バラムは委縮していた。一歩間違えば人生の奈落に転落するのだから無理はない。
しかしキジダルもよく分かっていた。わざわざそんな危険人物を領主の元へ送ってまで謀をする度胸は、バラムにはない。
言いたいことは分かった。そなたには町の運営でよく助けられているゆえ、信頼はしている。処罰についてはお咎めなしとはいかないものの、情状酌量の余地はあると考えますが、領主様、いかがですか?
かしこまりました
領主様のご寛大な処置に感謝致します
キジダルは想定通りというように無表情で頷き、バラムは深く頭を下げる。
バラム殿への処罰の詳細については後ほど通達するとして、次の議題に移りましょう。大罪人であるカジ・シュウゴの処遇についてです
そう言ってキジダルが広報長官へ目を向ける。
広報長官は痩せ細った長身の初老の男で、少しサイズの大きい白のロングコートが彼の威厳を保っていた。
彼は一歩前に出て柊吾の調査結果と現状を説明し始める。
カジ・シュウゴの仲間である二人の少女については、捜索を継続しておりますが未だに見つかっておりません。本人への拷問を行ったものの一向に吐かず、仲間の甲冑の亡霊も言葉が通じないようです
もう外へ逃げたのではありませんか? これ以上、この状況で労力を無駄に使うのはどうかと思うのですが
総務局長が眉をしかめ告げる。彼は背の低い恰幅の良い老人で、人当たりの良さそうな雰囲気はバラムに似ていた。
どうせ教会へは干渉できていないのでしょう? 少女が働いていたのが孤児院である以上、彼らが匿っていると思いますがね。いっそ、強引に調べ上げたらどうです?
物騒なことを物怖じせず言い放ったのは、技術長だった。
彼は騎士の装備を管理する部署の長で、元鍛冶屋ということもあって筋骨隆々の体が革製の服を内側から押し上げている。
常に装備の品質を管理し、調達に関する権限も持っている討伐隊の要だ。
ダメだ。今のカムラがギリギリ成り立っているのは、教会の助力も大きいのだぞ? そんな教会と対立してしまえば、我らの手でカムラを崩壊させることになりかねない
参謀が厳しい表情で技術長を諫めた。
彼は討伐隊の参謀ということだけあって、思慮深く慎重で政ではキジダルに次ぐ能力がある。
痩せ型ではあるが、健康体そのもので資金管理や効率にうるさい厳格な性格だと言われている。
皆、少し落ち着け
まだ就任して間もない総隊長が厳かに告げる。すると幹部たちはすぐに口を閉じ、静寂が訪れた。
キジダルはタイミングを見計らい、ヴィンゴールと協議した方針を告げる。
キジダルの告げた言葉に幹部全員が絶句する。そんな急な話、一体誰が納得できるのか。
最初に反対したのは大隊長のグレンだった。
それは時期尚早では? まだなんの情報を掴めていないのに、彼を殺しては意味がないと思いますが
それよりも領民の恐怖を取り除き、カムラ復興を最優先することが重要だと判断したのだ。それに、彼がピンチになれば仲間たちも姿を現すかもしれない
キジダルは、柊吾が海の魔物を呼んだわけではないと分かっていた。
だから拷問にも意味はない。
ならば領民たちの、海の魔物に襲われるという恐怖が、柊吾への憎悪にすり代わっている今こそ、絶好の機会だと踏んだのだ。
そう、柊吾にカムラの憎しみを背負わせ、カムラ安寧のため犠牲にするという決断だ。
し、しかし……
グレンはあくまでも反論しようとする。もしかしたら、柊吾のことを心のどこかで信じているのかもしれない。
だが他の幹部たちも、バラムでさえも、面を下げ口を噤んでいた。
これが政治的判断だということは、彼らもよく分かっている。
ヴィンゴールがグレンの目を見て厳かに告げる。
――っ!
グレンは勢いよく頭を下げた。ヴィンゴールの瞳に宿った怒りの炎をまざまざと見てしまったからだ。
全身から汗が噴き出す。自分とは比べ物にならないほど多くの命を背負う人間の覚悟には、どう足掻いても勝てないのだと悟った。
重苦しい雰囲気の中、キジダルが告げる。
グレン殿、これが政治だよ。反対する者は他にはいませんかな? ……よろしい。それでは一週間後、カムラの中央広場にて、カジ・シュウゴの公開処刑を決行致します
とうとう最悪の決断が下された。
会議の二日後、シュウゴの公開処刑が発表された。
シスターマーヤは、それを聞いてすぐに領主の館へ向かう。
彼女にとって、シュウゴは歳の離れた弟のような存在。
孤児院では、他の子たちと打ち解けられず、勉強ばかりしていた彼にいつも声をかけ、色んな話をした。
そんな彼が今では立派に育ち、クラスBハンターにまで上りつめたと聞いたときは、自分のことのように喜んだ。
そんな彼を失いたくなかったし、メイとニアのような健気で良い子たちを悲しませたくもなかった。
マーヤが館の近くまで行くと、一人の女ハンターとすれ違った。マーヤにペコリと頭を下げた彼女は、元クラスBハンターのハナメだった。
マーヤも会釈をすると、ハナメはイライラしたような足取りで去って行く。拳を握りしめ、今にも爆発しそうな怒りのオーラを携えて。
一体なにがあったのかと、マーヤは気になったが、今はヴィンゴールの元へと急ぐ。
――珍しいな。そなたが一人で来るなど
ヴィンゴールはそう言って嬉しそうな笑みを浮かべる。
マーヤとヴィンゴールは一回りほど年齢は離れているが、凶霧が発生する以前、まだ豊かだったこのカムラで一緒に育った、いわば幼馴染だった。
今でも二人の親交は冷めず、お互いに距離をとってはいるがヴィンゴールもマーヤの頼みとあらばできる限りの協力はしてきた。
マーヤは今、応接用のソファでヴィンゴールと向かい合って座っている。
応接机には高級な茶が置かれ、ヴィンゴールの後ろにはキジダルと側近が立っていた。
お久しぶりです
今日は一体どうしたんだ?
シュウゴさんの件で相談があって来ました
マーヤが意を決してそれを口にすると、ヴィンゴールは表情を曇らせた。
……そなたもか
え?
ヴィンゴールの「またか」という反応に、マーヤは先ほどすれ違ったハナメの姿を思い出す。
いや、なんでもない。続けてくれ
はい……シュウゴさんを処刑するという決定に異議を唱えます。彼は決してカムラに害を与えるような人ではありません。彼が孤児院にいた時から面倒を見ていますが、今回の件は明らかにおかしい
ヴィンゴールは難しい顔でため息を吐く。彼の代わりに後ろで立っているキジダルが答えた。
確かに、彼は人ならざる者を連れていたのかもしれません。しかし、それでカムラの害になったのでしょうか? むしろ、新たなフィールドを開拓する手助けをし、カムラの発展に貢献したのではないですか?
しかしながら彼は、海の魔物を引き寄せました。それによって死傷者多数。彼がもたらした繁栄などまやかしであったと自ら証明したのです。これを有害と言わずなんと言うのです?
キジダルは毅然として言い返す。反論は許さないといった勢いだ。
それでもマーヤもキジダルをまっすぐ見上げ、ひるまない。
彼が引き寄せたという証拠はないのでしょう? であれば、彼が有害だという根拠がありません。今すぐ冤罪を認めて
マーヤ様、申し訳ありませんが、それ以上我らの公務に足を踏み入れるというのなら、こちらにも考えがありますよ
キジダルが目を光らせる。
一体どうするというのです?
なに、こちらも教会へ足を踏み込ませてもらうのです。そもそも、死人の少女が孤児院で働いていたことは調べがついています。あなた方が彼女らを匿っているという疑いがあるのですよ?
聡明なマーヤには、キジダルの思惑がすぐに分かった。
確かにマーヤは今、メイとニアを自分の家に匿っている。
しかしそんなことは関係なく、もしマーヤの頼みでシュウゴの処刑を取り消したとする。
その後、メイとの関係性について討伐隊に調べ上げられれば、たとえ本人たちが見つからなくとも、シュウゴと通じていたとしてマーヤの立場を危うくするつもりなのだ。
キジダルとはそういう男。マーヤがかつて好きだった、優しく穏やかなヴィンゴールをここまで厳格に変えた張本人だ。
マーヤはすぐには答えられず、眉をしかめる。
それを見かねたヴィンゴールが優しげな声で諭すように言った。
分かってくれマーヤ。今、シュウゴの冤罪を発表してどうする。カムラ領民たちの負の感情はどこに行けばいいのだ? 彼がいなくなることで、海の魔物が二度と現れないと思っている民の希望を砕くのか?
ヴィンゴール、あなた……
マーヤは絶句する。
ヴィンゴールはいかなる理由があろうと、たった一人の若者を犠牲にすることで、カムラを救おうとしていた。
彼の表情を見るに意志は固い。おそらく、この決断を下すのに深く思い悩んだのだろう。
……残念です
マーヤは寂しげに呟くと、席を立ちヴィンゴールの執務室を出る。
彼女にはどうにもできなかった。ヴィンゴールが激しく葛藤しながらも下した決断を覆すなど……
その後、マーヤが家に戻ると、メイとニアの姿がなかった。
マーヤは二人へ、シュウゴは濡れ衣を着せられて討伐隊に追われていると伝えていた。
今はデュラと共に町の外で逃走を続けており、冤罪が晴れるまで戻っては来ないのだと。だから二人も、外に出ることなくこの家で大人しく暮らしなさいと言っておいた。
メイとニアは、シュウゴのことを心配して今にも飛び出そうとしていたが、決して外に出るなというマーヤの真剣な懇願に、やむを得ず従っていた。
だというのに、彼女らの姿がない。
二人はどこに行ったのですか!?
マーヤは焦りながら、一緒に住んでいる孤児たちに聞いて回る。
分かったのは、メイが孤児たちからシュウゴ処刑の話を聞いてしまったということだけだった。