第七章 カムラ急襲
人々は蜘蛛の子を散らすように北の方へ逃げて行く。
だが、その行く手に触手が振り下ろされて退路を塞がれ、周囲の建物は薙ぎ倒され、被害は瞬く間に拡大する。
腰が抜けて動けない者、崩れた建物に潰される者、瞳の色を失くしただ絶望を眺める者。カムラが今、絶望の渦に飲み込まれようとしていた。
立ち尽くすシュウゴとて剣も腰のバーニアもなく、敵に立ち向かう術を持っていない。
ブーツのバーニアはステップで移動するものであり、肘のバーニアは旋回や腕を射出するためにあるため、飛行するには出力が足りない。
シュウゴは悔しさに奥歯を強く噛み、海へ背を向け駆け出した。
改めて町の方を見ると、触手の一部は地を這い鉄球の頭をもたげて、既に広場あたりまで侵攻していた。
一体どれだけの全長を持つのか計り知れない。
倉庫街はその重い鉄球で叩き潰され、粉塵を高く巻き上げていた。
じきに住宅街や商業区にまで被害は拡大するだろう。
ニアとデュラ、そして孤児院にいるメイが心配だった。
触手の侵攻ルートを避け、住宅街へ向けて走り抜けるシュウゴ。
そのとき、混乱して逃げ惑う人々を掻き分けて討伐隊とハンターたちが駆けつけた。
領民の安全を最優先し、敵を駆逐しろ! 討伐した数だけ報奨金も弾むぞ!
先頭で叫んだのは、隊長のヒューレだった。
討伐隊は、まず逃げ遅れた領民へ駆け寄り、安全なルートを伝え避難させていく。
彼らを守るよう、他の隊員たちは海中からそびえ立つ触手の前に立ち、盾を構えた。
――グシャッ!
鉄球を振り降ろされ、あまりの重量に耐えきれず潰されてしまう。
くそっ……
危機的な状況に顔を歪めるヒューレ。その横を目を血走らせたハンターたちが走り抜ける。
金は俺のもんだ!
横取りは許さねぇぞ!
彼らは我先にと地面に横たわった触手へ斬りかかる。触手の皮膚はそこまでの強度はないものの、太さが直径二メートルにも及ぶため、簡単には切断しきれない。
彼らが必死に武器を打ち付けていると触手は大きく身を振るい、ハンターたちを押し飛ばす。
苦戦はしているものの時間は稼げる。
そう思ったシュウゴは、装備を整えようと再び踵を返し、走り出した。
だがすぐに足を止める。
その視線の先では、小さな女の子が泣きべそをかきながら立ち尽くしていた。
無惨にも崩れた酒場の前に立ち、近くで触手が地面を這いながら獲物を探しているため非常に危険だ。
だというのに、周囲にいるハンターたちは彼女の姿を見ても無視し、手近な触手へと駆けていく。
自分の利益を優先し、小さな女の子を見捨てるハンターたちに激しく憤りを感じていた。
シュウゴは少女の元へと走る。
そのとき、少女の泣き声に反応したのか、一本の触手が少女の頭上でピタっと止まる。そして、触手の先にある鉄球が少女に直撃するよう振り上げられた。
――ドゴォォォォォォォォォォンッ!
少女へ振り下ろされた鉄球で地面は割れ、砂塵を巻き上げる。
視界が晴れると、触手のすぐ近くでシュウゴが少女を抱え倒れていた。
少女は無傷。なんとか間に合ったのだ。
シュウゴは少女を立ち上がらせ、自身は膝を折って目線を合わせた。
う、うん……
少女は今にも泣きそうな表情で声を震わせていた。
シュウゴは言いかけて止める。
自分たちを覆っていた影に気付き顔を上げると、触手が再び頭上で振り上げられていた。
反応が遅れた。目を見開くシュウゴの頭上から鉄球が振り下ろされる。
――バシュゥゥゥンッ!
突如、鉄球が横から襲撃を受け、シュウゴたちの真横へ振り下ろされた。
鉄球の横から突き刺さり、押し出したのは『ランス』だった。
すぐ近くで、デュラがバーニングシューターから射出した穂を手元へ引き戻していた。
デュラはすぐにシュウゴの元へ駆け寄ると、担いでいたブリッツバスターをシュウゴへ渡す。
シュウゴはそれを受けとると立ち上がり、周囲を見回した。
シュウゴの問いかけに、デュラはやや俯きがちに首を振る。どうやらはぐれてしまったようだ。
デュラは深く頷き、少女の手をとって足早に北へ向かった。
その後すぐに、シュウゴの横で鉄球の頭をもたげた触手がもぞもぞと動き出す。
シュウゴはブリッツバスターを強く握り、戦闘を開始した。
一方、孤児院も謎の触手の猛威に晒されていた。
孤児院の施設は破壊されているものの、職員の教徒や孤児たちは全員無事だ。
シスターマーヤが彼らを先導し、北へ逃がしている。
教団で運営している温室の畑や第一教会も触手に押しつぶされた。
この一帯へ襲い掛かって来た触手の数は六体。
駆けつけた討伐隊やハンターたちが応戦しているが、一体は野放しになり今なお教徒たちの背後に迫っている。
――お姉ちゃん……
必死に走りながら、孤児の少女がメイの手を強く握る。
大丈夫だよ。あんなの、すぐに大人がやっつけてくれるから
メイが安心させようと優しく微笑むと、少女は不安げに瞳を揺らしながらも「うん」と小さく呟いた。
そのとき、
孤児たちの最後尾で細身で小柄な少女が倒れた。
近くを走っていた中年の男が駆け寄ると、少女は非常に呼吸が乱れており体力切れのようだ。
元々病弱な体質であるがゆえ、仕方ない。
だが、敵は無情にもすぐそこまで迫っていた。
メイは手を繋いでいた少女を他の職員に任せると、逆走し倒れた少女の前に立った。
その後ろで中年の男が驚きの声を上げる。
なにをしているんだ君! 早く逃げなさい!
いいえ。ここは私が囮になるので、早くその子を連れて逃げてください
ま、待って!
男の静止も聞かず駆け出し、メイはのっそりと這い寄る触手の前へ立った。
触手は進行を止め頭をメイへ向ける。
あなたの相手はこっちです!
聞こえているかは分からないが、メイは触手へ啖呵を切り横へ走る。
触手はメイを追いかけて方向転換。メイの背後から勢いよく鉄球を振り下ろす。
ぅっ!
メイは大きく横へ跳び、なんとか回避。大きな破裂音と共に地面が砕ける。
メイさん!
はるか遠くからシスターマーヤの叫び声が聞こえた。
メイは立ち上がりながら声のした方を見ると、教徒と孤児たちは既に十分離れていた。
先ほど倒れた少女も男がおぶり、無事に合流していた。
ふぅ……
メイは場違いにも頬を緩ませる。
しかし、触手は容赦なく鉄球を横へ薙いできた。
っ!
メイは大きく跳び退き、間一髪避けるが、鉄球から伸びている鋭い針が左肩を掠め、服と肌を切り裂く。
メイが地面をゴロゴロと転がり立ち上がると、往復してきた触手が右から迫っていた。
今度はかわせない。
直撃を覚悟したメイだったが――
――メイ~!
メイの体は突然浮いた。背後から両腕で抱かれ、急速に飛び上がったのだ。
メイの下では、鈍く重い風切音を響かせながら鉄球が薙ぎ払われる。もし直撃していたら、体の損傷は避けられなかっただろう。
メイ、大丈夫~?
間延びした声にメイが首を向けると、ニアが心配そうに顔を覗き込んでいた。
彼女は背中に竜の翼を生やし、メイを捕まえて上空へと逃げたのだ。
ニアはメイの背から両腕を腹に回し、抱きしめる形になっている。
「これがお兄様だったら良かったのに」と、罰当たりなことを考えてしまったメイは首を横へ振った。
え? 大丈夫じゃないん~?
あっ! いえいえ、助けてくれてありがとうございます、ニアちゃん
メイは頬を緩ませ頭を下げる。ニアはニコッと微笑むと、触手から距離をとって着地した。
お兄様たちはご無事ですか?
ごめん。分からないぃ……
ニアは表情を曇らせ首を横へ振る。
メイは「そうですか」と言って触手へ目を向けた。
とにかく今は、なんとしても生き残りましょう
うん、任せて~
ニアはそう言って鋭い爪を光らせた。竜の爪だ。これなら触手だって切り裂けるはず。
二人は左右に散開し、あらためて触手との戦闘を開始した