第六章 竜種絶滅秘話
下では、ハナメが二刀の小太刀を振るい、数々の触手を斬り落としている。
切断された触手は以前の青白い手と同じで、うっすらと消え失せていく。
ハナメは隙を見て跳び退いた。ある程度距離をとれば触手は襲ってこない。
シュウゴもハナメの隣に着地し、ニアを降ろす。
シュウゴくん、大丈夫!? とりあえず今はこれで我慢して
ハナメはすぐにポーチからポーションを取り出し、シュウゴの口に運んだ。
全て飲み干すと傷の痛みがだいぶ治まる。
シュウゴが礼を言うと、ハナメはニアに目を向けた。
ニアちゃんは大丈夫?
ごめん、なさぃ……
ニアは俯き消え入りそうな声で謝る。今にも泣きそうな顔だ。
ハナメはそんなニアの頭を優しく撫でた。
気にしないで。助けたのに謝られたら、シュウゴくんも困っちゃうよ
うん~
ニアは感極まったようにハナメに抱きついた。
ハナメはよしよしと優しく背を撫で続ける。
シュウゴは二人の前に立ち、ゆっくり迫って来る異形の者を睨んだ。
あれを倒す方法はあるの?
絶望がゆっくりと近づいて来る恐怖を、シュウゴはまざまざと感じていた。
敵の狙いは自分。ならばせめてニアとハナメは助けたい。
自分が囮になって敵をこの山から引きずり下ろす。その覚悟を決めた直後――
――ギャオォォォォォンッ!
勇ましい咆哮が山脈に響いた。
……父上?
ニアが呟いた直後、上空に蛇竜の姿を象った蒼黒の炎が現れ、山全体を熱気が覆った。
ゆらゆらと揺らめいている炎はとぐろを巻き、長い炎の体は山頂の方から伸びていた。
蒼黒の炎が厳かに礼を言う。
シュウゴ、娘を救ってくれたこと、心から感謝する
ドラゴンソウルの声だった。
彼はニアへ全身を向け怪我がないことを確認した後、異形の者へ体を向ける。
そしてその後ろで横たわっているアークグリプスに語り掛けた。
我が友よ立て。そなたの竜種としての誇り、我が戦の前に示してみせよ
すると、アークグリプスはバッと目を見開いた。
そしてゆっくりと立ち上がってみせる。
傷が痛むのか表情を歪めるが、それでも王のために立ち上がった。
クヲォォォ……
彼はゆっくりと羽ばたいて異形の者の横を通り、シュウゴたちの前へ降り立つ。
彼はシュウゴたちへ短く吠え、背を向けた。
グリプスは、乗れ~って言ってるよ?
ニアにはアークグリプスの言いたいことが分かるらしい。
ニアは頷き最初に乗る。
シュウゴとハナメもその後に続いて乗ると、アークグリプスは飛び立った。
それを見届けたドラゴンソウルは満足したように言う。
さすがは我が友だ。ニアたちをよろしく頼むぞ
ドラゴンソウルは身に纏う炎の勢いを強めた。
ごうごうと燃え盛る蒼黒の炎は、龍王の魂の輝きそのもの。
しかし異形の者は、相手が誰であろうと歩みを止めない。
天候を操る力は肉体と共に失った。だが貴様を討つ程度、我が魂の熱量だけで十分だ
ドラゴンソウルの眼前に蒼炎が集まっていく。
蒼炎の塊はどんどん大きくなっていき、熱量を増大させる。
空を支配する圧倒的な熱量に、敵はようやく足を止め空を見上げた。
その直後、龍王の怒りの一撃が放たれる。
――ドゴオォォォォォォォォォォンッ!
それはもはや放射でなく爆発だった。山脈全体を太陽の如き熱量が覆う。
シュウゴたちへ襲い掛かる熱気は、アークグリプスが翼でしっかりと防いでいた。
しばらくして熱気の勢いが収まると、ニアが羽の間から顔を出し下を覗いた。
父上、強い~
シュウゴも下を見てニアの弾んだ声に頷いた。
岩地は火の海で、未だにメラメラと燃えているが敵の姿がどこにも見えない。
ハナメが信じられないといったように唖然と呟く。
倒した、の?
シュウゴたちがしばらく勝利の余韻に浸っていると、応龍の姿をしたドラゴンソウルの炎は次第に弱まり、儚く消えた。
父上のところに戻ろ~?
ニアの間延びした声に応え、アークグリプスが山頂へと飛翔する。
すぐに玉座の元へ辿り着き、シュウゴたちはアークグリプスの背から降りた。
シュウゴが礼を言うと、アークグリプスは小さく頭を下げた。
そして玉座の横へ歩き、お座りの姿勢をとる。
シュウゴも玉座の上に揺らめくドラゴンソウルの前に立ち、深く頭を下げた。
構わん。この山を守るのが我が使命だ
ハナメも続いて礼を言った後、ドラゴンソウルは穏やかな声でゆっくりと答えた。
先ほどまでのような威厳があまり感じられず、炎の勢いが弱まっているように見える。
ところでシュウゴよ、それはどういうことだ?
ドラゴンソウルは声に怒りを滲ませ厳かに問う。
それがどういう質問かシュウゴにもよく分かっていた。
いつ聞かれるかと、ずっとひやひやしていた。
今、シュウゴの腕にはまるで恋人のように腕を絡ませているニアがいるのだ。
ニアは嬉しそうにはにかみながら告げた。
父上~私、この人と結婚する~
っ!?
その場の全員が固まった。もちろんシュウゴもだ。
そ、そんなのダメ!
真っ先に反対したのはハナメだった。思わず口にしてしまったようで、慌てて口を押えている。
ニアはおっとりした流し目をハナメへ向けた。
どして~?
そ、それは……
ハナメは歯切れが悪くごにょごにょと口ごもる。
ニアはハナメの真意を知ってか知らずか「んん~?」と見つめ続ける。
シュウゴもなぜハナメが反対するのか分からず首を傾げている。
そこで、ドラゴンソウルはなにかに気付いたように「なるほど」と呟いた。
ハナメよ、そなたもシュウゴのことが――
――わあぁぁぁぁぁ!
ドラゴンソウルが話し終える前に、ハナメが真っ赤な顔で叫んだ。
突然のことにシュウゴはビクッと肩を震わせ、ニアも不思議そうにハナメを見る。
どしたの~? ぽんぽん痛いん~?
なんでもない!
ハナメは真っ赤な顔を見られたくないのか、般若面を顔に下ろしそっぽを向いた……真っ赤な耳は隠せていないが。
ドラゴンソウルはハナメについてそれ以上言及せず、おっかなびっくりニアへ問う。
そ、それでニアよ、なぜそのようなことを言うのだ?
シュウくん大好き~
そう言ってニアは、シュウゴを横から抱きしめた。
当のシュウゴは白目だ。
きっ、貴様ぁぁぁっ!!
ドラゴンソウルは激怒の咆哮を上げる。
身動きのとれないシュウゴは顔を真っ青にし、死を覚悟した。が、
父上、めっ! シュウくんは~私の命の恩人なんだよ~
ニアがシュウゴをかばうように前に出た。
ぬおぉぉぉ……二、ニアよ、わしはこの悪魔からお前を守ろうとしてだな……
ドラゴンソウルは弱々しく言う。
う~ん? 余計なお世話?
無邪気なニアは、可愛らしく首をかしげた。
ドラゴンソウルが絶句する。
グググググ
そして唸りながら、ニアの背後のシュウゴを睨みつける。
だがやがて、ため息を吐くとゆっくり口を開いた。
……ニアよ、父のことは好きか?
うん、好き~
ニアはそう言ってドラゴンソウルの元へ駆け寄ると、その魂の炎を抱いた。
不思議なことに服が燃えていない。魂の炎とは特殊な性質を持っているようだ。
おぉぉぉ、そうかそうかぁ……
ドラゴンソウルは嬉しそうに声を弾ませる。
仕方がないの。我が友、シュウゴよ。ニアを、最愛の娘をよろしく頼む
ドラゴンソウルの態度が急に変わり、シュウゴは戸惑った。
父上? なんか変~?
ニアがドラゴンソウルの様子に機敏に反応し、表情を曇らせる。
ドラゴンソウルは深呼吸するようにゆっくりと炎を揺らめかせ、弱々しく告げた。
すまん、な……少々力を使いすぎたようだ
シュウゴが頬を歪ませ目を見開く。
ドラゴンソウルの言おうとしていることはすぐに分かった。
彼の炎の燃え方がまるで風前の灯のように弱々しかったのだ。
先の戦いで力を使い果たしてしまったのだとすれば、自分の責任だとシュウゴは拳を強く握る。
そんな顔をするな。そもそももう長くなかったのだ。むしろ、最後にそなたと出会えて本当に幸運だった。ニアの行く末を案じていたが、そなたのおかげで憂いがなくなったわ。礼を言うぞ
気にするな。あれの目的など、誰にも分からん。だからそなたのせいではないわ。それに奴の正体は、人間がどうこうできるレベルのものではない
シュウゴは目を見開いた。
まるで異形の者の正体を知っているかのような口ぶりだ。
ご存知、なのですか?
所詮は推測だがな……あれは『魔神』だ
えっ? ま、魔神?
シュウゴは目を見開く。
魔神といえば、文献でクラスUと認定されていた不明確な存在。
ああ。次元を裂く者など、神格以外に聞いたことがない。それにあの化け物の気配、我が友『神龍リンドブルム』と同じ神格の雰囲気が混じっていた。だが、明らかに禍々しい瘴気がそれを覆い隠していた。だからこそ魔神なのだ。もしかすると、奴はまだ生きているかもしれぬ。十分注意せよ
貴重な情報、ありがとうございます
シュウゴは表情を引き締め、深く頭を下げた。
ドラゴンソウルは次に、友であり臣下であるアークグリプスへ語り掛けた。
我が友グリプスよ、よくぞここまで仕えてくれた。大儀である
カウゥゥゥン……
アークグリプスが悲しげに鳴く。
立ち上がって玉座の横まで歩み寄り、王へこうべを垂れた。
我がいなくなった後も、この山を任せたぞ
アークグリプスは王の意思を受け、誓いを立てるように天高く鳴いた。
父上~死んじゃやだぁ
ニアが端麗な顔を涙で揺らしながら、もう小さくなってしまった龍王の炎を胸に抱く。
ニアよ、そなたの成長を見届けられないのは残念だ。だが、そなたの未来に幸多きこと、疑ってはいない。だから、これは最後の贈り物だ
ドラゴンソウルの炎が大きく揺らめいた次の瞬間、ニアの体がキラキラと黄金の光を発する。
ニアは驚いて自分の体を見回した。
なんかお胸の奥が温かい……それに、力が湧いてくるよ?
ドラゴンソウルは真剣な声で「ニアよ、よく聞け」と言って、彼女の封印について話し始めた。
そなたは凶霧に侵されたとき、竜人の体になっても応龍の力を宿していたせいで暴走した。力を制御する能力が未熟だったためだ。だから我は、そなたの力を封じていた。だが成長した今なら心配はいらぬだろう。たった今、封印を解除した。その力、争いのためではなく、己が幸せになるために使いなさい
父上……ありがとう
ああ、これで憂いはなくなった。この大陸に平和が戻ること、そしてニアが平和に暮らせることを、切に……願う…………
その言葉を最後に、ドラゴンソウルの炎は消えた。
ニアは胸に抱いていた炎が消え去っても、その体勢から微動だにせず、固まっていた。
……父、上? 父上ぇぇぇぇぇっ!
見開いた目からは、涙が溢れ出す。
ニアの慟哭が空に広がり雨を降らせた。
たとえ天候を操る竜であろうと、涙を止めることはできなかった。