第五章 怨嗟の奔流
夕方、シュウゴは自宅で目を覚ますと、心配そうにシュウゴの顔を覗き込んでいたメイと目が合った。
お兄様!? 良かった、お目覚めになられたんですね
メイがホッとしたように胸を撫で下ろし、デュラもその横で安心したように肩の力を抜いた。
シュウゴは両側からデュラとメイに支えられ、ゆっくり上体を起こす。
お茶をもらって気分を落ち着かせると、メイからシュウゴが倒れた後のことについて説明を受けた。
シュウゴが倒れた後、渓谷には同じクエストを受けたハンターたちがぞろぞろとやって来た。
メイが彼らへ状況を説明し、シュウゴを運んでもらったようだ。
その後、クエスト結果の説明を討伐大隊長から求められ、メイはデュラと共に討伐隊駐屯所で詳細に説明した。
その結果、赤い雷の原因究明と魔物の撃退に成功したものの、排除に至らなかったとしてクエストの成否は一時保留となったそうだ。
討伐隊と領主文官で再度議論するため、明日もう一度討伐隊駐屯所へ行くよう指示されている。
いいえ、お兄様がご無事で本当に良かったです
デュラもうんうんと頷いている。
ありがとう。二人も怪我はない?
ええ、私もデュラさんも大丈夫です。しかしあの魔獣、なぜ逃げ出したんでしょうか? あのままいけば、いくらデュラさんでもいずれ……
メイが解せないといった様子で首を捻る。
それはシュウゴも引っ掛かっていることだった。
最初はナーガやアンフィスバエナのように、麒麟自身が渓谷を呪っている原因だと考えていた。
しかし、麒麟が去って落雷は止んだが、黒い冷風は収まっていない。
それに赤い角が欠けて現れた白い角と、ひとりでに暴れていた様子を見るに、あれが麒麟の本当の姿とは思えなかった。
そうだな……もしかしたら、あれは凶霧が原因で理性を失っていたのかもしれない。だからデュラが角を攻撃したとき、理性を奪っていた媒体が欠けて錯乱したんじゃないかって思うんだ
あれほどの力を持つ魔獣ですら狂わせるなんて、恐ろしいです
メイが神妙な表情で心細そうに言う。
シュウゴはそんなメイを安心させるように、頭を優しく撫でた。
シュウゴの見立て通りであれば、麒麟を狂わせた張本人が別にいるはず。だからこそ慎重に行くべきだと肝に銘じた。
翌日、シュウゴたちはシモンの鍛冶屋へ寄った後、討伐隊駐屯所を訪れた。
シュウゴ、メイ、デュラの三人は二階に上がると、事務員の女性に案内され、奥の応接室に案内される。
三人並んでソファに座るとすぐに、討伐大隊長も入室し向かいに腰を下ろした。
彼は、短い金髪に濃い髭を生やした堀の深い顔立ちの大男で、光沢を放つシルバーな西洋甲冑を着こんでいる。
背にはツヴァイハンダーという大剣を担いでおり、猛将といった風貌だが思慮深さを感じさせるような眼差しだった。
よく来てくれた。私は大隊長の『グレン』だ。噂に聞く赤毛のハンターに会えて嬉しいよ
グレンは朗らかな笑みを浮かべ、握手を求めてきた。
討伐隊の上層部にまで注目されているなど思いもしなかったシュウゴは、地に足がついていないような感覚を覚えながらも握手に応える。
メイから聞いていた通り、話の通じそうな人物で安心した。
メイくんから聞いていると思うが、今日は呪われた渓谷でのクエストのことで足を運んでもらった。とりあえず、まずは情報を整理させてほしい
分かりました
まず、赤い雷を発生させていた原因だが、赤く光る角を持った魔獣。それが犯人で間違いないか?
はい、間違いありません。それと魔獣の名ですが、昔に読んだ文献の中に合致するものがありました。奴の名は『天雷の霊獣 麒麟』です
ここに来る前、シモンのところに寄った理由はこれだった。
彼の持っている『謎の手記』に麒麟のことが記述されているか確かめていたのだ。
そこには今しがた口にした名で記されてあり、シュウゴの予想通り穏やかな性格の霊獣だとされていた。
麒麟か。分かった、あれの名はまだ決まっていないので使わせてもらおう。で、その麒麟だが、ベヒーモスやナーガを超える力を持つというメイくんの証言から、クラスSモンスターと認定した
クラスS……
シュウゴは目を見開き息を呑む。言われれば妥当な判断だと分かるが、クラスSという言葉があまりにも重く感じられる。
それはグレンも同様。
私たちとしても、クラスSモンスターの情報を公表していたずらに領民の不安を煽りたくはない。まだ奴の消息が掴めていないという状況もある。シュウゴくん、どうか麒麟のことは口外しないようはからってもらえないだろうか? クエストは中断という扱いで公表することになってしまうが……
それはシュウゴたちの苦労を無に帰すようなものだ。
シュウゴは即答できず、眉を寄せながらメイとデュラを見た。
二人はなにも言わず、シュウゴに信頼の目を向けている。シュウゴは深く息を吐いた。
……分かりました
迷惑をかけて申し訳ない。支払われる予定だった報酬は、後で支払うよう手を回そう
グレンは少しだけ表情を和らげると、声を抑え続ける。
麒麟はまた現れると思うかい?
正直なところ分かりません。あれが致命傷になったわけではないので、時間が経てば再び渓谷で暴れるかもしれません
あのとき、いくら理性のせめぎ合いをしていたからといって、また狂わないとは限らない。
そうならないことを祈る他、シュウゴたちにできることはないのだ。
グレンもその回答は予想していたようで、間を置かずに口を開いた。
やはり、か。それは我々としても同じ考えだ。そこで、呪われた渓谷の開放はもう少し時間を置いてからにしようと思う。で、麒麟が再び現れるようなことがなければ、正式に一般開放するつもりだ
なるほど。異論はありません
シュウゴがそう返すとグレンは満足したように頷き、最後に今後の討伐隊の方針を説明して話を切り上げた。
ここまで討伐隊の内情を知らされると、シュウゴも手伝わなくてはいけないような気になってくる。
(俺はハンターだ。領民の運命を背負って立つなんて、大それたことは考えるべきじゃない)
シュウゴは自分にそう言い聞かせ、これ以上討伐隊に深入りしないよう思い直す。
自分の本当の目的を見失わないために。
数日後、シュウゴは一人で広場の掲示板を眺めていた。
呪われた渓谷の開拓が保留になっている間、討伐隊は人をかけ、廃墟と化した村の先を開拓する方針をとっていた。
一番の懸念事項であったベヒーモスが倒れたことで、討伐隊も先へ進む踏ん切りがついたらしい。
それでなにか新しい発見があればと、期待して来たシュウゴだったが――
――進展はなさそうだね
シュウゴの背後で聞き覚えのある凛とした声が響いた。
驚いて振り向くと、そこにいたのはハナメだった。
袖と裾の長い薄紅色の着物を着て花柄の小さな手提げを持っており、長い黒髪を純白のリボンで束ねポニーテールを作っている。
普段の武者のような凛々しい雰囲気とは違い、大人っぽい着物を着こなし落ち着いた雰囲気で佇む彼女は、艶のある長い黒髪も相まって大和撫子のような印象だった。
やぁシュウゴくん……って、固まってどうしたの? そんなにジッと見つめられたら少し恥ずかしいよ
ハナメはそう言って頬をほんのりと朱に染めながら「あはは」と無理やり笑う。
見惚れてしまっていたシュウゴは慌てて目を逸らした。
うん、そうだよ。商業区の雑貨店で買い物して、なんとなくここに立ち寄ったの
シュウゴは立ち話もなんだからと言って、ハナメと噴水の後ろのベンチに移動し腰を下ろした。
訓練所の方は順調?
そうだね、毎日結構な数の人が来るよ。駆け出しのハンターからクラスCの中級者、それに討伐隊員の人も来てくれるから、案外賑わってて
へぇ、そんなにたくさんの人が
ふふっ、意外と忙しいんだよ
ハナメが満足げに笑う。
訓練所が盛況だと聞いてシュウゴは安心した。
思い返せば、ハナメが訓練所を開いたときは、クラスBの戦い方が教われるということで話題になっていた。
ただ、ハナメは基礎からしっかり叩き込むから、楽して早く強くなりたいと考える浅はかな輩がすぐに辞め、今は落ち着いているようだ。
それでも多くの人がハナメから教わっているということは、カムラの戦力増強に直結するから将来が楽しみだ。
まるで、シミュレーションゲームで自国を育てているような感覚になる。
シュウゴくんのほうはどう?
ハナメが興味津々といった様子でシュウゴを見つめる。
シュウゴは周囲を見回し、近くに人がいないことを確認すると小声で話した。
呪われた渓谷でのこと、今の討伐隊の方針、グレンからの頼みで口外無用であることなど。
ハナメはシュウゴにとって、パーティーメンバーと同等だと思っているから、話しても問題ないという認識だ。
それで呪われた渓谷の開拓が一時中断になってるんだね。でも大丈夫? もし行き詰ってるなら、いつでも協力するよ?
ハナメは身を乗り出し、不安げに揺れる瞳でシュウゴを見つめた。
長いまつげが綺麗な瞳に影を差し、妙に色っぽい。
シュウゴはそんなハナメに至近距離で見つめられ、少しどぎまぎする。
い、今は特にないから大丈夫。もし難しそうだと感じたときは、是非とも協力をお願いするよ
うん! 任せて!
ハナメは満面の笑み浮かべ小さく拳を握った。
その後、ハナメは別の用事を思い出すと再び商業区へ向かって行った。