第五章 龍二の百鬼夜行
悪鬼組による襲撃事件の収拾がついた後、龍二は入院した。
木術による応急処置を受けたものの、傷が深かったようだ。
龍の血の覚醒状態でいれば回復も早かっただろうが、さすがに妖力暴走のリスクが高いので、龍二は大人しく搬送された。
――まったく、お前って奴はぁ……
最初の見舞いは、意外なことに時雨だった。
時雨はベッドに座る龍二を見るなり、顔に手を押し当て深いため息を吐き、龍二は「あはは」と頬をかき苦笑する。
あれだけ悪鬼組の恐ろしさを教えてやったのに、なんで戦ってんだよ
無事だったから良かったものの、一歩間違えば死んでいたんだぞ
気だるそうに眉をしかめる時雨の説教に、龍二は肩を落とし俯く。
経験した今だからこそ、時雨の忠告は正しかったのだと身に染みて感じていた。
龍二も修羅も、何回死にかけたことか。
時雨はやれやれと肩をすくめると、病室の窓の前に立ち、庭に植えてある樹木を眺める。
一応、現場にかけつけた技官から話は聞いてる。お前たちが首なしを倒した後に現れた妖は、人と鬼の半妖『鬼憑』だ
それって、まさか!
ああ。悪鬼組の頭首補佐だ
龍二は驚愕に目を見開いていた。
おそらく、彼が全身を包帯で覆い左手だけ手袋をしていたのは、左半身が鬼であるのを隠すためだったのだ。
それなら、並外れた膂力や左手だけで刃を受け止めたのも納得がいく。
首なしや般若より強いのは当たり前で、上級位階の恐ろしさを改めて認識した。
な、なんでそんなのまでこの越前に?
それだけ本気だったんだろう。それか奴の独断か。まあなんにせよ、奴らはもうそう簡単に手出しできないだろうさ
時雨は窓へ背を向けて寄りかかり、涼しい顔で告げた。
あまりに危機感のない雰囲気に、龍二は首を傾げざるをえない。
お前を助けたっていう妖、自分のことを龍の臣の元頭首補佐って言ったんだろ?
お前は知らんだろうがな、歴代最強と名高い土御門摩荼羅が陰陽長官をしていた時代の龍の臣は、誰もが恐れた最強の百鬼夜行だったらしい。なんせ、幹部の全員が特級位階に認定されていたんだからな。その頭首補佐が守ってるとなりゃぁ、鬼憑だろうと簡単には手が出せんだろ
目を点にして棒読みのような相槌を打った龍二は、内心仰天していた。
幹部全員が特級位階の百鬼夜行など、初めて聞いた。
父の皇鬼は、悪い妖でなかったと聞いているからいいが、もし人と敵対するような悪しき妖の集団だったらと思うとゾッとする。
なにボケーっとしてんだ?
いや、なんか信じられないなと思って
バカ言ってんな。そんな信じられないことを可能するのが、お前の血だろ
首を傾げる龍二を見て、時雨は再び深いため息を吐いた。
銀次から聞いてないのか? お前の親父さんは、その龍の血を妖に分け与えたって。幹部は全員、その血で強くなった妖だ
龍二はようやく思い出す。銀次も雪姫も確かにそんなことを言っていたと。
だが、まさかそれで特級位階の妖にまでなるとは想像もつかない。
自分は想像以上に危険な存在なのだと、龍二は改めて思い知った。
分かったら、もっと自重しろ
は、はい……
龍二がしょんぼりと肩を落として俯くと、時雨は病室を出て行こうと背を向けた。
……あっ、時雨先生、待ってください!
ん? まだなにかあんのか?
もし知ってたら、鬼憑って妖のことを詳しく教えてくれませんか?
……どうして
時雨の反応に龍二は少したじろぐ。
振り向いた彼の表情は先ほどとは違って硬く、声も少し低かった。
なにか聞いてはいけないことのような、そんな雰囲気を出している。
だが龍二も抑えることはできない。
半妖なのに、なんであれほどの強さを持っていたのか知りたいんです。それにあいつは、妖の力と陰陽術を同時に操っていました
龍二の目は好奇心に輝いていた。
半妖にも上には上がいるのだと知り、高揚しているのだ。
その強さの秘密を知れば、自分がさらに強くなるためのヒントが得られる、そんな期待があった。
しかし時雨は、冷たい目で龍二を睨んだ後、背を向けて言い放つ。
ダメだ。奴のようになることは許さない
ど、どうしてですか? 別に悪鬼組に入ろうとか、そんな話じゃありませんよ?
……奴は禁術に手を染め、陰陽庁から追放された『元陰陽技官』だ
え!?
呪力と妖力が打ち消し合わずに使えているのは、禁術によるものだ。式神と妖を融合させる禁術によって、奴の式神である『麒麟』は歪んでしまい、妖に近い存在となった。それで禁術の行使がバレて陰陽庁から追放されたのさ
そんな……
龍二は唖然と呟き、それ以上なにも言えない。
鬼憑が元陰陽技官だということにも衝撃を受けたが、まさか禁術を使っていたとは思わなかった。
彼のような強さを求めれば、陰陽庁を敵に回すことになるということだ。
なんだか目の前が真っ暗になるような、そんな感覚を覚えた。
……分かったら、奴のことは忘れろ。でないといつか、お前も闇に魅入られることになる
龍二は無言でシーツを握る。
気まずい沈黙が訪れ、時雨は今度こそ病室を出て行こうとする。
言葉が見つけらず、龍二が顔を上げたそのとき、新たな客がやって来た。
――龍二さーん! 調子はどうですかー!?
元気よくドアを開けたのは桃華だった。
丁度ドアの取っ手に手をかけようとしていた時雨と目が合い固まる。
……し、時雨先生、こんにちは! 先生もお見舞いにいらっしゃってたんですね!?
おぅ、こんにちは。病院ではもう少し静かにしような
は、はいぃ……ごめんなさい
そんじゃ、俺はもう帰るから後は任せた
時雨が苦笑しながら病室から出て行くと、入れ替わりに桃華が入って来る。
龍二は、先ほどまでの空気を引きずらないよう、いつもの感じで軽く手を上げた。
もう! 心配したんですからね!?
そんな龍二を見て桃華は頬を膨らませる。
実は襲撃事件の当日、彼女は塾に来ない龍二を心配して電話をかけまくっていたのだ。
首なしを倒した後、山田講師からの電話に出た龍二だったが、そのときようやく桃華の鬼電に気付いた。
だが覚醒状態だった龍二は、見た目通りの冷徹さで無視していた。
悪い悪い
まったくもうっ
桃華はしょうがないと言うように、眉尻を下げため息を吐くと、手に持っていたフルーツ盛りだくさんのバスケットをテーブルへ置く。
メロンにみかんにリンゴ、マスカットとカラフルでなんだか明るい気分になれる。
これ、塾のみんなからのお見舞いです
ありがとう。でも来たのは桃華だけか?
龍二は不思議に思い、首を傾げた。
静谷たちか、もしかしたら遠野も来るかもしれないと思っていたからだ。
そうなんですよ。なんかみんな、二人の邪魔しちゃ悪いからとかなんとか……
桃華はよく分からないというように、頬に手を当て首を傾げる。
アホ毛も反応するようにひょこひょこと動いている。
彼らの意図になんとなく気付いた龍二は、頬を引きつらせた。
……お前それ、なんか勘違いされてないか?
へ? ……えぇぇぇっ!?
桃華も龍二の言わんとしたことが分かったのだろう、顔を真っ赤にしてのけ反った。
だから声が大きいって
ご、ごめんさい……でも龍二さんが変なこと言うからですよ?
そう言って桃華は急にもじもじしだして、チラチラと龍二のほうを見てくる。
長いアホ毛も、心なしかハート型に見えなくもない。
急にしおらしくなるから、龍二も反応に困る。
だからコホンと咳払いして、話を逸らした。
大丈夫、みんな無事ですよ。時雨先生が足止めしてくれたみたいで
龍二は意外そうに目を丸くした。
先ほどの時雨の様子を見るに負傷している様子は見られなかったので、般若との交戦はしていないものと考えていたが、そうではなかったらしい。
はい。先生が足止めしている間に、陰陽技官の方々も来られて、一緒に追い払ったらしいです
すぐに首なしの元へ増援が来なかったのは、それが原因だろう。
陰陽庁側も、『熊』が出たからと人払いし、まさか首なしと戦っている者がいるとは思っていなかったはずだ。
だからまずは、塾の安全確保を最優先した。
逆にそれが、修羅にとっては好都合だったわけだが。
龍二は誇らしげにうんうんと頷く。
よく指導してもらってる龍二だから分かるが、時雨の実力はあの見た目とやる気のなさに反して、相当なもののはずだ。
ひょっとすると、龍二の想像している以上に強いのかもしれない。
しかし、桃華は時雨の話にはあまり興味ないようで、龍二の体を見回していた。
それよりも、龍二さんのほうは大丈夫なんですか? また妖刀を抜いたって聞きましたけど
龍二は神妙な表情で壁に立てかけてある黒災牙を一瞥した。
どうしても牛鬼戦の最後に桃華を傷つけてしまったことを思い出してしまい、胸が苦しくなる。
しかし桃華は、そんな龍二の葛藤も知らず、ずいっと身を乗り出して来た。
じゃ、じゃあ、あのときのような姿になったんですか!?
興味深々といった彼女の様子に、龍二は戸惑う。
妖の力を使ったことを咎めるのかと思いきや、なんだか目を輝かせていた。
えっ? べ、別に、あのときの龍二さんがカッコ良かっただなんて思ってませんから! もう一回見たいだなんて、思ってないんですからね!?
少しツンツンした感じでそっぽを向く桃華。
頬はほんのりと赤く、アホ毛は元気に跳ねていた。
龍二は容姿のことを聞いたつもりではないので、眉をしかめて「なに言ってんだコイツは」という表情になっている。
と、とにかく、危ないことに首を突っ込むのはやめてください
龍二は気のない返事をして手をひらひらと振るが、桃華は「絶対分かってないだろ」と言うような目でジトーっと見てくる。
それより武戒……修羅は、塾に来てないのか?
はい……私との摸擬戦以降、一度も塾には姿を見せていません
桃華がまつ毛を伏せ残念そうに言うと、龍二も眉尻を下げ「やっぱりか」と呟いて寂しそうにため息を吐く。
首なしたちとの戦いの後、修羅も紫電によるダメージが大きく、龍二と共に入院していたが、数日後には病院を抜け出し姿をくらましていた。
復讐を果たした今、彼がこれからどうするのかは分からない。
ただ、もう二度と会えないかもしれないという不安は、龍二の胸を締め付けた。
大丈夫ですよ。きっとまた戻って来ますから
桃華は無理やり笑みを作って龍二を励まそうとする。
その反応が少し意外だった。
いいのか? あいつはお前を……
摸擬戦のことなら気にしてません……というのは嘘で、次こそは勝とうと銀狼に芸を、じゃなかった術を覚えさせているんですから
そう言って拳を握る。
どうやら龍二の心配は杞憂なようで、まっすぐで負けず嫌いな彼女は、修羅へのリベンジに燃えていた。
背後にゆらめく炎が見えそうなくらいだ。
いつもと変わらない様子に龍二は小さく笑う。
それを見て、桃華も嬉しそうに微笑んだ。
まずは龍二さんです。雪姫さんや鈴ちゃんたちも心配しているでしょうから、早く退院して元気な顔を見せてあげてください!
龍二は屋敷で待つ妖たちを思い、強く頷いた。
本邸へは銀次のほうから連絡がいっているらしいが、屋敷から出られない彼女たちは歯がゆい思いをしているに違いない。
包み込むように優しく微笑む雪姫や、天真爛漫に笑う鈴の顔が脳裏に浮かび、龍二は「仲間たちの元へ帰りたい」という思いを強くする。
それから数日後、龍二は無事に退院した。
その間、桃華だけでなく静谷や遠野たちも見舞いに来てくれて、照れくさくもどこか温かさを感じるのだった。