第四章 宿怨
空気が揺れ疾風が吹き荒れる。
首なしは素早く太刀を横へ構え、渾身の一撃を真正面から受け止める。
振り下ろされた巨大な刃はあまりに重く力強い。
踏ん張る首なしの足元がひび割れ、足袋が地面へとめり込んでいく。
彼は力で押し返すのが不可能と判断すると、刀を反らし力を受け流した。
そのままの勢いで、バランスを崩しながら地面へ足を着く武戎。
その一瞬の硬直を狙って、敵の太刀が振り向きざまに薙ぎ払われた。
しかし武戎は軽々と大太刀を逆手に持ち替えると防御し、その隙に地を蹴って跳び上がる。
着地した先は横に立つ建物の壁。
そのまま壁を両足で蹴って再び首なしへ肉薄した。
首なしは体を反らして回避。
そのまま反対側の壁へと迫った武戎は、空中で体をひねり、着地する寸前で片足で壁を蹴って高く舞い上がる。
両手で柄をつかみ、上空から一刀両断しようと振り下ろした。
――ズバァァァァァンッ!
首なしはバックステップでかわしていた。
刃の叩きつけられた地面は破片をまき散らして砕け、衝撃波が鋭利な風となって首なしの装束を裂いていく。
しかし首なしはカウンターを狙い、武戎の足元を一閃。
武戎は想像を絶する俊敏さで跳んで回避。空中で大太刀を振り上げる。
首なしは弾いて受け流し、鋭い突きを繰り出した。
太刀の切っ先は武戎の脇腹に突き刺さったが、彼が強引に体をひねったことで、外側へと肉が裂け血が噴き出す。
だが気にせず刃を振るった。
まさしく肉を斬らせて骨を断つ。
妖の頑丈さと治癒力を最大限に活かした捨て身の戦法だ。
そうでもしなければ、この剣豪には勝てない。
武戎は獣の俊敏さで地を蹴っては跳んでステップを踏み、縦横無尽に跳ね回る。
振るわれる斬撃は、まるで職人が包丁を扱うかのように軽々と。
人には到底不可能な動きだ。
対して首なしは、最小限の動きで流れるような身のこなしに、鋭くしなるような太刀筋を繰り出す。
それこそ、二メートルの刀身などものともしない剣さばきだ。
なにより感情の機微が見えないため、剣の筋がまったく読めない。
さらに一瞬で繰り出される斬撃の一つ一つが鋭利な衝撃波を放ち、周囲の壁を切り刻んでいる。
つまり、この路地裏のどこにいようと、すべてが彼の間合い。
一瞬のうちに無数の金属音を響かせ斬り合う。
武戎は既に太ももに穴が空き、脇腹や肩を裂かれ、口から血を垂れ流しながら叫んでいる。
首なしの装束もボロボロになっているが、本体へは傷一つつけられていない。
胴体を断つ強烈な一閃が放たれると、武戎は素早く跳んで敵の背後へ宙返り。
首なしは刃を立て、そのまま頭上へ到達した武戎を突き刺す。
それはみぞおちのすぐ斜め下を深々と貫いた。
武戎は血を吐き出すが、顔は歓喜に歪んでいた。
宙づりになった状態で、首なしの太刀を掴む。
そして、右の大太刀を振り下ろした。
首なしはビクッと肩を震わせると、柄から手を離し、拳を握って横へ引いた。
体の真上まで巨大な刃が迫ったところで、それを横から叩いて弾く。
軌道を逸らされた刃は首なしの足元を叩き割る。
武戎はそのまま最悪の体勢で落下し、空中で腹の刀を引き抜かれると、そのままトドメの一閃。
なんとか大太刀を間に入れて体も反らしたが、バランスを崩して地面を転がる。
止まったと同時に、首なしがうつ伏せの武戎の背を踏みつけ、起き上がれない。
既にトドメの一閃はその首へ迫っていた。
武戎は顔を憎悪に歪める。
この一瞬では、もう回避する余力は残っていない。
だが胸に誓っていた。
たとえ首を落とされようとも、まだ牙がある。
せめて、この憎き妖だけは噛み殺してやろうと。
そのとき、路地裏へ稲妻が迸り、眩い雷光が視界を覆った。
強大な電撃を収束した一撃。
通りのほうへ背を向けていた首なしは、振り向いたと同時に直撃して吹き飛んだ。
そのまま奥の壁へ衝突し、コンクリートを砕いて体をめり込ませる。
乱入してきたのは龍二だった。
彼は横たわる武戎へとまっすぐに駆け寄る。うつ伏せの状態から上を向かせると咳き込んだ。
全身傷だらけで血まみれだが、貫通した腹部の傷が一番深い。
……バカ、なんで来た!?
武戎は荒い呼吸を繰り返しているが、意識ははっきりしている。
妖は物理的な攻撃ではそう簡単に死なないが、それは半妖も同じだ。
龍二は周囲の陰陽技官たちの死骸を見渡し顔を歪める。
顔に怒りを滲ませ奥へ目を向けると、敵は悠々と歩き出していた。
左腕がなく服もボロボロだというのに、圧倒的なまでの存在感を放っている。
ただ遥か前方を歩いているだけなのに、眼前に刃物を突き付けられているような緊張感がある。
静かなる殺気が肌に突き刺さり、自分が死の淵に立っているのだと嫌でも認識させられた。
龍二はこれまでにない緊張感に顔を強張らせながらも、首なしから目を逸らさず武戎へ問う。
ほっとけ。今の俺ならすぐに回復する
バカ言うな! 俺はここで奴を殺す。逃げるなら勝手にしろ!
二人が言い合っている間に、首なしが歩きながら太刀を振るった。
まだ十メートルほど距離があるため斬撃が当たるはずもないが、なにかしらの遠距離攻撃があると龍二は直感する。
目の前に呪符を放って障壁を張った直後、武戎が叫ぶ。
バカ!
そして横から蹴り押された。
――ズサァンッ!
龍二の体が左へズレたすぐ後、呪符が真っ二つに裂かれ、背後の地面が砕けて縦一直線の亀裂を作った。
龍二は驚愕に目を見開き、首なしを見る。
彼はただ太刀を振るった体勢のままで、特に強力な妖気を放った痕跡はない。
斬撃による衝撃波だ。
だが、ただの衝撃波ではなく、術を切り裂くほどの威力を持っている。
そのとき、龍二はようやく気付いた。
陰陽技官たちの死骸の周辺に、切断された呪符が落ちていることに。
忌々しげに顔をしかめる龍二。
今の一撃ですべてを理解した。
首なしに狙われている限り、彼の間合いの中であり、この場からは逃げ切れない。
だが武戎は違う。
そう言って龍二は立ち上がり、表情を引き締める。
武戎は激痛にうめきながらも声を荒げた。
ふざけるな! そいつは俺が殺すと言ったろうが!
龍二は形代を握ると首なしへと歩き出す。
武戎から距離を離すために。
そして首なしも、太刀を肩に担ぐと駆け出した。
バカっ、よせ! お前の太刀打ちできる相手じゃねぇ!
武戎が必死に叫ぶが、龍二は足を止めない。
実際のところ足の震えが止まらないが、どうにか逃げ切るための方法を考える。
そのためには大きな隙を作るしかない。
背負っている黒災牙を抜けば、どうにかなるかもしれないが、龍の血を制御できる保証がないため、逃げるための手段としてはリスクが高すぎる。
彼は形代を強く握って胸に当て、雷丸へ念じた。
次の瞬間、トクンと心臓が脈打つ。
頭に浮かぶまま、その名を叫んだ。
形代を握る龍二の手が眩い雷光を放ち、稲妻が発散したときには一振りの刀が握られていた。
龍刀・雷斬。
雷丸の愛刀で、荒れ狂う雷を宿し電撃によって敵を焼き払う刀だ。
龍二は急接近してくる首なしを見据え、雷斬を払う。
すると刀身から電撃が放たれ、それは空を裂き敵を襲う。
首なしは急停止し、太刀を振り下ろして叩き斬り電撃を霧散させた。
再び走り出す首なしへ連続して稲妻纏う斬撃を放つ。
日頃の時雨との鍛錬のおかげで、呪力の制御は問題ない。
呪力を刀へ流し、それを脳内イメージによって稲妻へ変換。
雷斬を振るうと同時に剥離させ、放電による斬撃へと移す。
しかし首なしも迫りくる稲妻に慣れたのか、走るスピードを緩めることなく、最小限の動作で避け、弾き、斬り捨てながら瞬く間に龍二へと肉薄。
龍二も呪力の制御を切り替える。
雷斬の刀身に雷を収束し、まるでビームソードのような白光の刃と化す。
雷斬と太刀の激突は空気を震わせた。
龍二に剣術の心得はない。
だから、がむしゃらに振り回す。
ぶつかり合うたびに迸る稲妻は、首なしの装束を焼くが、太刀をムチのように振るい冷静に受け流されていく。
そして隙を見極め、鋭い突きを繰り出してきた。
間一髪で龍二がそれを受け切ると、すぐさま攻守は逆転。
目にも止まらぬ連撃が龍二を襲った。
龍二は雷斬の刀身に収束していた雷を一気に放電。
眩い電撃が周囲を焼くが、首なしは瞬時に飛び退きダメージはない。
彼は再び接近しようと腰を落とすが、龍二は距離を詰めさせまいと形代を放った。
形代が光を発散させる。
それは前方へラッパ状に広がる無数の電撃。
無数の電撃はすべて首なしへと狙いを定め、飛来し乱れ打つ。
首なしも右腕を曲げて深く腰を落とし、抜刀術のような構えをとった。
視界が歪んだかと見紛うほどの覇気が放たれ、無数の剣閃が煌めく。
首なしが目にも止まらぬ速さで刃を振り、無数の電撃を一つ一つ切り払っているのだ。
龍二の目のには、首なしの目の前で次々と稲妻が弾けていることしか視認できない。
その一瞬の後、すべての攻撃は消滅していた。
首なしのボロボロの装束からは、ところどころ煙が上がり、太刀の刀身からは残留した電気がチリチリと弾けている。
龍二の頬が引きつり、思わず後ずさる。
この術は、これまでの時雨との鍛錬の末、ようやく得た術だというのに。
心が折れそうだった。
目の前に立つのは侍などではない、正真正銘の悪鬼だ。
だが龍二とて諦めるわけにはいかない。
巨大な雷の塊はしかし、覇気を纏った斬撃で一刀両断される。
唖然と立ち尽くす龍二の目の前に、首なしは立っていた。
急接近に反応できない龍二へ、無慈悲にも太刀は振り下ろされる。
――どけ!
しかし受け止めたのは、武戎だった。
うおぉぉぉっ!
雄叫びを上げ力の限り大太刀で押し退け、首なしはバックステップで後退する。
見たところ、武戎の体の傷は既に血が止まっていた。
呪力はまるで衰えておらず、呪いで強化された状態を維持している。
ふんっ、邪魔だ。てめぇは引っ込んでろ!
武戎は龍二に背を向けたまま吐き捨てると、地を蹴り首なしへ肉薄する。
白刃の煌めきが幾重も宙を這い、重く甲高い金属音が連続して響く。
龍二は雷斬の柄を握りしめた。
武戎はどうあっても首なしを倒すつもりのようだ。
それならばと、刀身に稲妻を帯電する。
既に日も暮れ、真っ暗な路地裏に眩い灯を灯した。
武戎が押し飛ばされ、二人の距離が離れたところで電撃を放つ。
首なしは素早く反応し、その場で回転してそれを断ち、再び急接近してきた武戎の一撃を弾く。
ちっ!
彼は忌々しげに舌打ちしながらも、首なしの切り払いにあえて押し飛ばされ、宙返りして壁へ両足をつける。
首なしは隙だらけの武戎へ太刀を振り上げ、衝撃波を放とうとするが――
電撃の散弾が再び首なしを襲う。
また高速の切り払いですべて受け切られるが、その背後に武戎が迫っていた。
龍二は再び刀身に帯電し、駆け出しながら叫ぶ。
畳みかけるぞ!
うらぁぁぁっ!
巨大な刃が敵の背後から襲うが、既に見切っていたようで首なしは後ろを向いたまま太刀を後頭部へ構えて受け止める。
まだまだ!
武戎はそれを起点に二撃目、三撃目と斬りつける。
首なしは素早く体を回転させて受け流していく。
その背後へ龍二の黒災牙が振るわれた。
しかし首なしは、その場で素早く一回転。
円状の衝撃波が二人を襲った。
ぐっ……
武戎も龍二も刀で防御し距離を離される。
再び駆け出すと、首なしは太刀を地面に突き刺し、妖気を一気に開放した。