第四章 宿怨
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人目のつかない河川敷の影、いつも龍二が指導を受けている場所で、時雨は不服そうに眉をひくひくと痙攣させていた。
今回は龍二が前面的に悪いので、素直に謝る。
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お前ぇ、指導してもらう立場だろうが。そんな急に午前の予定をキャンセルしたいって言われても、俺にだって都合があるんだぞ
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龍二はしょんぼりと肩を落としながら再び頭を下げる。
今日は平日だったので、午前は時雨との鍛錬が予定されていた。しかし武戎を発見したのが深夜だったために、時雨への連絡が予定の直前になってしまったのだ。
さすがに龍二も、自分が夜中に妖を探していたとバレるわけにはいかず、ただただ謝るしかできない。
時雨は怒りと不満を言葉にしてぶつけてくるものの、ちゃんと予定を変更してくれたのでありがたかった。
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それで? 電話で言ってた、聞きたいことってのは?
時雨は、川にかかる橋の柱に寄りかかり、訝しげに問う。
あらかじめ龍二が言っていたことだ。
午後は聞きたいことがあるから、どうしても来てほしいと。
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龍二は武戎の目的を語る。
もちろん昨夜のことには触れず、ただ「悪鬼組の首無鬼を探して、恩人の仇を討ちたい」のだという目的を。
勝手に話して武戎には悪いと思うが、元々は時雨が話してくれたおかげで武戎の事情を知れたのだから、仕方ない。
時雨も興味深そうに聞いていた。
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それは本当か?
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そうか……しかしお前ら、いつの間にそんな仲になってたんだ?
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焦り目を泳がせる龍二。
明らかに不自然だ。
時雨の目つきが怪しむように険しくなった。
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おい龍二、なんか隠してないか?
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龍二は言葉に詰まって下を向く。
時雨がジトーっと顔を凝視してきて冷汗が流れるが、彼は「まぁいいか」と言ってため息を吐いた。
このときばかりは、神野時雨がやる気のない面倒くさがり講師で良かったと、しみじみ思う。
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……なんか失礼なこと考えてないか?
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バカにしてんのか……話を戻すが、本当に武戎が首無鬼と戦うつもりだっていうなら、絶対に止めろ
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どう考えても勝てる相手じゃない。奴は悪鬼組の幹部上席なんだぞ?
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龍二は考え込むように目線を上へ上げる。
百鬼夜行の知識がまだ薄く、上席がどれほどのものか、すぐには分からなかったのだ。
講義では触れられていたのだろうが、居眠り中だった可能性が高い。
時雨は呆れたように眉尻を下げ、ため息を吐く。
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あのなぁ、それくらい覚えておけよ。そもそも百鬼夜行ってのは、妖たちが作った独自の組織だ。だから必ず組織を上から動かす幹部がいて、その中にも役職という名の序列がある
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上から順に、百鬼夜行を率いる『頭首』、頭首が不在のときに指揮命令権を持つ実質ナンバーツーの『頭首補佐』、組織全体を把握して参謀のような強い発言権を持つ『参事』、その下に『上席』、そして『末席』と続くわけだ。つまり、幹部上席の首無鬼は、悪鬼組の上から四番目の強さだってことだ
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ちなみに、悪鬼組の幹部末席は般若って妖だから、それと比べることができれば、強さの程度が分かるだろうな。まあどちらにせよ、百鬼夜行の幹部クラスなんて、お前らが敵う相手じゃない
情報量の多さに脳がパンクしそうな龍二だったが、首なしがとてつもなく強いということは分かった。
というより、あの般若よりも強いということのほうが衝撃的だ。
直接は戦わなかった龍二でも、どれだけ強いのかは肌で感じたぐらいなのだから。
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けどまぁ、首無鬼は以前、陰陽技官から逃げる際に片腕を失ったんで、上級位階から下級位階に格下げされてる
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いや、般若はそもそも下級位階だ
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今度こそ大きな絶望が龍二を襲う。
強さの尺度が違いすぎる。
般若相手に手も足も出なかった武戎では、首無鬼になんて到底勝てるわけがない。
時雨もそれを確実に伝えるために、ここまで回りくどい言い方をしているのだろう。
龍二自身にも戦う意志すら起きないほどの恐怖を刻み込むために。
そんな考えを読んだのか、時雨が追い打ちをかけてくる。
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ちなみに、参事の宿儺と頭首補佐の鬼憑は上級、頭首の鬼骨骸は特級なんで、文字通り桁が違う。奴らが出てこないことを祈るんだな
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まぁそう青い顔するな。お前はまず、武戎にこのことをしっかりと伝えろ。あとお前も、狙われている身なんだから、十分注意するんだぞ?
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龍二は礼を言うと、少し慌てたように背を向ける。
武戎が回復する前になんとか説得しないと、大変なことになるからだ。
もう龍二の頭には、首なしと戦おうなどという気は微塵も残っていなかった。
そんな龍二を見た時雨は慌てて声をかける。
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は? お、おいっ、まだ鍛錬する時間はあるだろ!?
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ポカンと口を開けて固まった時雨を置いて、龍二は足早に去って行く。
彼の背中が見えなくなってから、時雨の怒りの叫びが河川敷に響き渡るのだった。
日が暮れ始め薄暗くなる逢魔時、既に悪鬼の魔の手はすぐそこまで迫っていた。
陰陽塾のセミナールームのある小さなビル近傍の公園。
そこに植えられている樹木の上に立つ、二つの怪しい影があった。
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あそこが陰陽塾か
怪しく目を光らせ呟いたのは般若。
その傍らには、存在感なく静かにたたずむ首なし。
先日、龍の血の持ち主を見つけた般若は、彼が陰陽術を使っていたことから陰陽塾か陰陽庁のどちらかにいるのではないかと推測した。そこで、彼の年齢と陰陽師としての雰囲気から、まだ見習いであると考え陰陽塾に狙いを絞ったのだ。
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おそらく、龍の血を継いだ少年はここにいるはずだ。しかし……
般若は声のトーンを落とし、塾の横に立つ三階建ての立派な建物へ目を向けた。
陰陽庁の支局だ。
彼らにとってネックなのは、陰陽塾を襲撃した際に、すぐに陰陽技官たちが駆けつけてきてしまうこと。
腕には自信のある二人だが、標的を連れ去ることを考えると、失敗するリスクがわずかにある。
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首なし殿、すまぬが囮役を買っては頂けないか?
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……
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わしは陰陽塾を襲撃し、その場にいる人間を皆殺しにして少年を連れ去る。それまでの間、陰陽庁の邪魔が入らないように派手に暴れて引き付けておいて頂きたい
申し訳なさそうに般若が言うと、首なしは上半身を少し下げ了解の意思を示す。
そしてすぐに、木の葉を散らして姿を消した。
般若も外套のフードを深くかぶり、大きく跳ぶ。
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――さてと
陰陽塾のビルの目の前に着地した般若は、拳を握りしめ正面を見据える。
歩き出そうとしたそのとき、背後から男の声がした。
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般若が無言で振り向く。
丁度塾に入ろうとしていたのは時雨だった。
彼は突然目の前に現れた、ボロボロな外套の般若に文句を言う。
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しかし般若は微動だにせず、フードの奥から鋭い眼光で時雨を睨みつけている。
時雨もその怪しい雰囲気に表情を引き締めた。
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……ここに、龍の血の少年がいるな?
その言葉を聞いた途端、時雨の目つきがわずかに険しくなる。
だが表情はできるだけ変えず、動揺を見透かされないようにしていた。
声に感情を乗せず相手の問いに答える。
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そう言いつつ、時雨は右手をポケットへ入れ呪符を掴んだ。
しかし放とうとして固まる。
目の前に立っていたはずの敵の姿がない。
微かな妖気を感じたと思ったときには、すぐ背後からしわがれた声が響いた。
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――そうか、なら死ね――
一方その頃。
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――本当に申し訳ございません
本邸の庭で桜千寿を見上げる龍二へ、雪姫が深く頭を下げる。
龍二が戻って来た時、武戎の姿はどこにもなかった。もちろん、彼がいつも持ち歩いている愛刀もだ。
どういうことかと龍二が問い質したところ、雪姫は屋敷の奥にいたため気付けず、鈴は昼寝をしていたという。
一部始終を見ていたという目々連に事情を聞くと、武戎は桜千寿を登って屋敷の外へ出たらしい。
桜千寿も妖術で心に干渉して止めようとしたが、強い怨念に邪魔され失敗したようだ。
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龍二は悔しげに顔を歪め拳を握る。
「龍二を囮にする」という話も嘘だったというのか。
心に傷を負った半妖を信じさせることすらできず、自分の無力さに腹が立つ。
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龍二様……
雪姫もかける言葉を見つけられず、戸惑うばかりだ。
そこへ場違いな明るい声と共に、鈴が駆け寄って来た。
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龍二さまー!
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龍二さまどうしたの? なんだか暗いねぇ。でも無事に帰って来れたなら良かったよ~
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龍二は片膝を着いて鈴に目線を合わせると、その肩に手を置いた。
なんだか胸騒ぎがする。
なにか大変な失敗を犯してしまったかのような、そんな予感があった。
鈴は嬉しそうに肩に乗った龍二の手を両手で握り、頬ずりしながら答えた。
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小鳥さんたちから聞いたんだけどねぇ、商店街のほうで『熊』が出たんだってー。だから、みんなお外に出ちゃだめなんだって
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龍二は首を傾げた。
町中に熊が出るなど突然すぎる。
冬眠から目覚める時期なのかもしれないが、それでも違和感があった。
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一つの可能性に思い至り、龍二はハッと顔を上げた。
それは考えたくもない最悪の可能性。
だが、悪い予感ほどよく当たる。
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あっ、龍二様!?
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龍二さま~どこ行くの~?
龍二はわき目も振らず駆け出し、商店街へと向かうのだった。
予感が当たらぬことを願いながら。
その頃、武戎修羅は心底待ち望んだ邂逅を果たしていた。
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高揚感を抑えられず、声を弾ませる武戎。
そこは商店街のただ中にある広い路地裏。奥は行き止まりで、周囲の建物の背が高いため光は当たらず仄暗い。
彼の目の前には、無数の陰陽技官の死骸が転がっていた。
上半身と下半身を切断されていたり、腕を斬り落とされていたり、首を綺麗に切断されていたりと、むごいものだった。
猟奇的な殺人事件でもこんな光景はそうそう見れるものではない。
暗い視界も相まって、血は黒く見え、まるで奈落の底に広がる闇のようだ。
その血の海の奥に立つのは、灰色の小袖の上に縞合羽を羽織り、脚絆で締めた足に足袋を履いた、江戸時代の旅人のような侍。
ただし、首から上はなく布を首元に巻いている異形の者だ。
左は腕から先がなく袖をはためかせ、籠手を装着した右手に刃渡り二メートルほどもあるとてつもない長さの太刀を握っていた。
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武戎の顔が凄絶に歪み、剥き出しの牙は獲物を貫かんと勢い良く伸びる。
全身から禍々しくどす黒い妖気が溢れ出し、筋肉が硬く肥大化していく。
燃えるような赤髪は腰ほどまで伸び、ガタイの良くなった体は犬の毛皮が濃くなり身長も二メートルは超えた。
獰猛な息遣いで唸る武戎は、両手を地に着いて四つん這いになり、犬のような恰好をとって爛々と輝く琥珀色の瞳で首なしを睨みつけた。
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犬神化した武戎の憤怒の叫びが路地裏へ響き、ゆらゆらと佇んでいた首なしがようやく体を武戎へ向ける。
そして太刀を振り上げると、地を蹴り瞬時に肉薄。
――キィィィィィンッ!
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首を断つ軌道で振り下ろされた一太刀はしかし、武戎が鞘から抜いた刀に受け止められていた。
刃こぼれが酷くギザギザで今にも折れそうなボロボロの刀。
彼は片手を地についたまま、首なしの太刀を押し返す。
首なしはふわりと跳ぶと、距離をとって着地した。
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次の瞬間、武戎の声に反応したかのように刀がドクンドクンッと脈打つ。
まるで生きているかのようだ。
手から柄、柄から刀身へと犬神の妖力が流れ込んでいく。
その刀は以前、犬神に縁のある地だという祠を訪れ、手に入れたもの。
犬神と同化した武戎にはすぐに分かった。
生前、犬神の首を刎ねた刀だ。
その名は――
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ドクンッ!
名を呼ばれた刀は大きく脈打ち、禍々しい妖気を纏って変貌する。
武戎が刀を横へ振り払うと、宿怨大太刀は巨大な刃となっていた。
刃幅は広く刃渡りも長くなって柄は焦げ茶色の毛皮に覆われ、巨大な岩をも斬れそうな大剣。
武戎は左手を地に着いたまま大太刀を担ぎ、足に力を込める。
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このときをずっと待っていた。たとえ、腕や足をもがれようと、首だけになろうとも……てめぇは俺の手で殺すっ!
武戎は地を蹴り、砲弾の如く凄まじいスピードで飛び出した。