第四章 宿怨
ここは……
本邸寝室の畳に、座布団を敷き座る龍二の目の前で、布団に横たわっていた武戎が上半身を起こす。
同時に、熱冷ましのために頭に乗せていた手ぬぐいが落ちた。
服は着物に着替えさせており、頭から全身まで包帯でグルグル巻きだ。全身の火傷はかなり酷かったが、そのおかげで般若に深く裂かれた傷も塞がっている。
なにより、一命をとりとめたのが不思議なくらいだと、彼を手当てした雪姫も言っていた。
彼女は百鬼夜行の中でも救護の役目が多かったということで、手伝ってもらったのだ。
起きたばかりでボーっとしていた武戎も、次第に意識がはっきりしてきて、キョロキョロと周囲を見回して眉をしかめた。
おい、ここはどこだ?
俺の家だよ。お前が医者には連れて行くなって言うから、ここに運んだんだ
余計なことすんじゃねぇ
武戎はまるで、親の仇でも前のしているかのように、睨みつけてきた。
予想していた反応とはいえ、龍二はため息を吐く。
命の恩人に向かってそれはないだろ?
頼んでねぇだろうが
武戎は今すぐに出て行こうとするが、腕を支えに立とうとした途端、激痛に顔をしかめた。
なあ、いったいなにがあったのか教えてくれないか? なんで塾に来なくなったのか、どうしてあの妖と戦っていたのか
うるせぇ
取り付く島もない。
武戎は額に汗を滲ませながら、無理やりにでも体を動かして布団を這い出ようとしている。
どうしたものかと龍二が頭を抱えていると、寝室の外側からゆっくりと襖が開けられた。
龍二様、失礼致します。あら? もうお目覚めになられたのですね。ダメですよ、安静にしてなきゃ
入って来たのは、替えのタオルと水の入ったタライを持って来た雪姫だった。
彼女は「いけない子ですね」と、畳を這ってもがく武戎に歩み寄り、手慣れた動きで布団に寝かせてしまう。
あまりにもテキパキとした動きに、武戎もされるがままだ。
お、おいっ!?
さ、これでよし
そう言って雪姫はニッコリと笑う。
さすがは百戦錬磨。
手負いの半妖ごときでは敵わない。
どうぞ、こちらをお使いください
雪姫は武戎の横に置いていた古いタライとタオルを入れ替えると、去ろうとする。
あっ、良い天気だから、開けたままで
かしこまりました
雪姫は襖を開けたままにすると、頭を深く下げ去って行った。
時刻は十時を過ぎたばかりで、外から差し込む日差しがポカポカとして温かい。
部屋の外は縁側へ続き、庭では鈴が楽しそうに蹴鞠の練習をしている。
再び上体を起こし、悔しそうに掛布団を握りしめている武戎へ龍二は言った。
さっきのは雪姫。彼女が君の着替えや包帯巻くのを手伝ってくれたんだ
……てめぇ、ぶち殺す……
武戎が顔を歪め、屈辱に耐えるように奥歯を噛みしめていた。
額にくっきりと血管が浮き出て、もはや破裂しそうだ。
しかし仄かに頬が紅潮しているところを見るに、あんな美人に醜態をさらしたのが恥ずかしいのだろう。
龍二は内心で微笑ましいと思った。
龍二さま~~~
庭のほうから鈴が満面の笑みで手を振ってきたので、龍二も頬を緩ませながら手を振り返す。
すると鈴は、嬉しそうに八重歯を見せて笑い、鞠を蹴り始めた。
まるで龍二にいいところを見せようとしているようだ。
……どういうことだ?
武戎に目を向けると、彼はリフティングしている鈴を真面目な顔で見ていた。
なにが?
さっきの女も、庭で遊んでるガキも、妖だろうが
その表情は、自分も半妖だからか複雑そうだ。
妖だからと嫌悪感を示しているわけではなく、単に困惑しているのだろう。
龍二は彼の目を見て頷いた。
別におかしいことじゃない。俺も半妖だからな
……は?
これには武戎もさすがに驚いたようだ。
思わず龍二のほうへ顔を向け、唖然と目を丸くしている。
龍二は頃合いだと思い、本題に入ることにした。
お前も半妖なんだろ? 犬神の呪いのことは聞いてるんだ
てめっ、誰からそれを!?
武戎は顔を怒りにしかめ体を浮かせた。
だがすぐに傷が痛んだのか、顔を歪め元の体勢に戻る。
警戒心を解くつもりが、むしろ警戒させてしまったようだ。
別に憐れんだりとか同情しようっていうんじゃない。ただ、協力関係を築きたいと思っただけなんだ
それが龍二の本心だった。
武戎が桃華を傷つけたことは簡単に許せることではないが、それとこれとは話が別だ。
今の龍二には戦うための力が必要。
だからこそ、同じ半妖である武戎と手を取り合えればと思っていた。
そしてそれが、時雨が龍二へ言った「俺はお前だから話したんだ。半妖のお前だから」という言葉への答えだ。
武戎の刀から伝わってきた怨嗟の声、それは決して一人で抱え込めるものではない。
協力関係だと? ふざけるな! なにも知らないお前なんて目障りなんだよ!
武戎はまるで警戒する犬のように、鋭い歯を剥き出しにして龍二を睨みつけている。
そうだ、俺はなにも知らない。だから教えてくれ。お前は陰陽庁の介入を避けてまで、いったいなにをしようとしているんだ?
てめぇには関係ねぇ
武戎は下を向いてかたくなに話をしようとしない。
龍二はため息を吐いて告げた。彼も無視できないことを。
関係なくはないんだ。昨日のあの妖、龍の血を探してただろ? あれ、実は俺のことなんだ
っ!?
武戎は下を向いたまま目を見開く。
般若と龍二が対峙していたとき、武戎は全身を焼かれて意識も朦朧としていただろうから、二人の会話を聞いていなくても無理はない。
俺、半妖って言っただろ? 実は龍血鬼っていう龍の血を受け継いだ妖と人間の半妖なんだ。それでこの血は妖を強くするものだから、妖たちが狙っているんだ
龍二は極めて危険な話をしていた。
もし雪姫が聞いていたらすぐに止めていただろう。
武戎が私利私欲にまみれた邪悪な者なら、龍二を殺して力を欲することだってあり得るのだ。
だが彼はそんなことしないと、龍二は直感していた。
武戎は黙って下を向いたまま表情を変えない。
……
そしておそらく、これが原因で俺の母が殺された
っ……
それを聞いた途端、少しばかり武戎の瞳が揺れた。
それに気付いた龍二は直感する。
武戎の今抱いた感情は、同情ではなく共感なのだろう。
ようやく彼の気持ちが少し分かった気がする。
……お前も、復讐なのか?
龍二は核心を突くであろう言葉を選び投げた。
もし、ある特定の妖への復讐が目的なら、陰陽庁に邪魔されたくないのは当然。一人で決着をつけようとするだろう。
武戎は深いため息を吐くと、龍二のほうは見ずに言った。
……協力はしない。俺がお前を『利用』するだけだ
あ、あぁっ! それでも構わない!
それが最大限の譲歩だとすぐに分かった。
俺は、この憎悪だけが生きるための糧と信じてきた
武戎はボソボソとひとり言のように語り始めた。
――彼は幼い頃、ある町の公園の砂場で不気味な犬の首を見つけた。
無邪気で心優しかった少年は、そのままでは寒いだろうと思い、首を持って行こうと触れた。
その直後、武戎の頭におぞましい怨嗟の声が次々と響く。
狂ったように泣き叫び、正気を取り戻したときには、犬の首はどこにもなかった。
武戎に憑りついたのだ。
それ以来、時おり二重人格のように突然発狂したり暴力的になったりと、異常事態にたびたび見舞われた。
そんな彼を気味悪がった両親や知り合いは、少年の「呪われた」のだという訴えは一切聞かず、彼を追い出したのだった。
それからしばらくて、犬神の呪いはさらに武戎を蝕み、やがて一体化するまでになる。
陰陽師が彼の惨状を目にした時には、既に同化が進み手遅れだったという。
彼は孤独にさまよい、半妖であるせいで餓死もできず、身体は成長していく。
それにつれて、少しずつ犬神の力も制御できるようになっていた。
そんなときだ。彼が拾われたのは。
拾ったのはいわゆる極道の頭。
彼は武戎の子供ならざる力に目をつけ、組の用心棒として育てて悪事に利用した。
しかしあるとき、組は抗争中だった敵の組が雇った妖によって全滅することになる。
そのとき現れたのが『首のない侍』だ。
武戎は、かばってくれた頭もろとも串刺しにされたが、半妖の体のおかげで一人生き延びた。
その後、復讐のために妖を雇った敵の組を壊滅させるが、首なしの行方は分からず、彼を探し出すためだけに情報の集まる陰陽庁への配属を目指すのだった。
龍二は苦しげに頬を歪め呟く。
武戎の半生は想像を絶するものだった。
同じ半妖だというのに、自分がどれだけ恵まれた環境にいたのかと思い知る。
しかし武戎は、幼少の話をするときは怒りや憎しみを抑えるように話していたのに、極道に拾われてからは懐かしむように穏やかな表情だった。
確かに俺は、小さい頃から半妖であるせいで力が強かった。『おじき』はそれを利用するために、俺を裏の世界へ引きずり込んだ。世間様からすれば、ろくでもねぇ極悪非道な人間に見えるのかもしれねぇ。それでもな、俺にとっては生きる道を示してくれた唯一の恩人だったんだ。だから、それを奪ったあいつだけは許さねぇ
龍二は目の前の光景に息をのむ
かたく拳を握りしめる武戎からは、凄まじい妖気が溢れ出していた。
それに呼応するように体が脈打ち、全身に巻いている包帯の隙間から見える肌は、焦げ茶色の毛で徐々に毛深くなっていく。さらに髪も目に見えて伸び牙や爪が鋭くなって、包帯がパンパンに張っていることから体も肥大化しているようだ。
おそらくこれが犬神の呪いの力。
憎悪の感情が妖力となって彼に力を与えているのだ。
……首無鬼がこの町で目撃されたっていう情報は?
もちろん知ってる。だから般若の野郎に居場所を吐かせようとした
これでようやく昨夜の状況と繋がった。
それなら、もう般若の相手はしなくていい。首無鬼の狙いも俺に違いないから
だろうな。だから、お前を囮に――
――俺が囮になって、首無鬼を呼び寄せるよ
武戎の声にかぶせるように龍二が提案し、彼は驚いて固まった。
まさか、自分からそんな危険な役を買って出るとは思わなかったのだろう。
だが龍二も本気だ。
雪姫たちは危険だと止めるだろうが、彼ら悪鬼組の行動は早すぎるのだ。
龍二が力を開放したのは、まだ一回のみ。
それでここまで迅速に対応できるのには、違和感を覚える。
それに――
『――たしか、龍の血の持ち主も半妖だと鬼夜叉殿が言っていたが……』
般若の言葉から察するに、龍二の事情を知る妖が悪鬼組の中か、その背後にいる可能性がある。
だから、彼らから情報を得なければならない。
そのためには誰かの協力が不可欠で、武戎の目的が最も合致しているのだ。
武戎はさぐるように、眉をしかめて龍二の目を見ながら問う。
お前、正気か?
なに言ってんだよ。正気で半妖なんてやってられるか
龍二は笑いながら言い放つ。
その言葉に、武戎も少し表情を柔らかくしたのが分かる。
満足した龍二は立ち上がって部屋の外に出た。
よしっ、まずは情報収集だ。また夕方になったら帰って来るから、それまではちゃんと寝て、怪我を治しておけよ? なにかあったら、厨房のほうに雪姫もいるから
言われるまでもねぇよ
武戎が薄ら笑いを浮かべて吐き捨てると、龍二は満足したように頬を緩ませると寝室を出て行った。
……変な奴だ
足音が遠ざかりやがて聞こえなくなると、武戎はそう呟き立ち上がった。
先ほどまで怨恨で増幅されていた妖気は元に戻り、髪の長さや毛、肥大化していた筋肉なども普段の姿に戻っていく。
完全な人間の姿に戻ったときには、火傷はほとんど完治していた。
武戎は邪魔な包帯を取り払うと、布団の横に置いてあった愛刀を手に取る。
これは、俺の戦いだ――