#15 砕翁拳【半妖の陰陽道 第四章】

第四章 宿怨

 

修羅

――式装顕現『焔刀・罪火』

 

般若が地を蹴り、姿を消した次の瞬間、武戎は本能的に大きく跳び退いていた。

そして鞘に灼熱の業火を纏い、目の前の空間を根こそぎ焼き払う。

着地してすぐに前を見る武戎だが、般若の姿はどこにもない。

あの一瞬でいったいどれだけの距離を移動したというのか。

 

般若

――惜しいな。だが、わしの縮地は見切れまい

修羅

っ!

 

ブオォォォンッ!

 

真後ろからしわがれた声が聞こえ、武戎は慌てて振り向きざまに切り払う。

しかし、やはり般若の姿はなかった。

 

修羅
くそっ、どこだ!?

 

苛立たしげに眉を歪め、警戒しながら周囲を見回す。

すると上のほうから気配を感じ、顔を上げた。

般若は屋根付きベンチの四角い屋根の上に乗り、月の下で外套をはためかせていた。

 

般若

たかが小童の戯れかと思うたが、かなりの威力だ。さぞ高名な式神とお見受けする

修羅
このぉっ!

 

敵の冷静さが武戎のしゃくに障る。

彼は屋根の上へと火術を連続して放った。

しかし般若は、もう回避しようとはしない。

その場で足幅を広げ、腰を落とし拳を構えた。

 

般若

冥土の土産に、わしの技も見せてやろうかの

 

迫る複数の炎球を前に、般若は冷静に呼吸を整える。

憤怒の形相で前方を見据え、吐いた息は白く、まるで熱気のようにも見える。

一糸乱れぬ集中力は己の妖気を拳の一点に集め、極限の一撃を放たんと軋み出した。

そして、白い息を吐きながらゆっくり拳を引くと、覇気の開放と共に放つ。

 

般若

砕翁拳さいおうけん烈波れっぱ

 

般若が拳を突き出すと同時に、なにかが破裂したかのような大きな音が響き、空間が歪む。

同時に烈風が走り、目前まで迫っていた炎球をまるでロウソクの火を消すかのように、一瞬でかき消す。

凶器となった風の塊は、そのまま下の武戎へ音速で迫った。

 

修羅
くっ!

 

なんとか反射的に横へ転がって回避。

 

――バゴォォォンッ!

 

その直後、風の直撃した地面は砕け、まるで巨大な鉄球でも落ちたのかというほど深い溝を作っていた。

武戎の額につーっと冷汗が流れる。

 

般若

ほぅ? 避けたか

 

般若の感嘆の声は、武戎の後ろから聞こえ、彼は慌てて立ち上がって距離をとった。

 

修羅
界!

 

そして障壁を張ったと同時に、肉薄され無数の打撃を打ち込まれる。

 

修羅
ぐぅっ!

 

透明な障壁の先で武戎の顔が苦痛に歪む。

目にも止まらぬ速さで無数の打撃を浴びせられ、呪力という名の精神力を徐々に削られていく。

般若の拳は一撃一撃が速い上に重い。

これが悪鬼組の幹部。

武戎は今さらになって、その強さの一端を認識した。

 

修羅
このぉぉぉっ!

 

がむしゃらに焔刀を振るうも、瞬時に距離をとられ当たらない。

再度、地を蹴り急接近してくる。

焔刀を再度振るおうと振り上げるが、振り下ろすと同時にその手首を掴まれた。

 

だが止められたのは左手と鞘。

武戎は右手で鞘に納まった刀の柄を握り抜刀して振り下ろす。

だが右手首も掴まれた。

 

般若

なんだこの刀は? なまくらではないか

 

刀身を目にした般若は、バカにするように呟く。

その刀の刃は、刃こぼれが酷くギザギザで、なにも斬れないほどにボロボロだった。

武戎は一瞬、怒りに顔を歪ませるが、その隙だらけの腹へ鋭い蹴りが入る。

 

修羅
がはっ!

 

衝撃で突き飛ばされ距離が離れるが、般若の縮地の前では零距離に等しい。

すぐに体勢を立て直そうとする武戎の目の前で、般若は既に拳を振り下ろしていた。

なんとか紙一重で避けようと体を反らす、が――

 

般若

砕翁拳・斬空ざんくう

修羅
ぐわぁぁぁっ!

 

武戎は突然襲った鋭い痛みに叫んだ。しかしその表情はなにが起こったのか理解できていない。

拳はかすりもしなかったのに、肩口から胸にかけて斜めに大きく斬り裂かれていたのだ。

遅れて鮮血が噴き出す。

致命傷なのは明らか。

 

般若

ふん、拳が当たらなくとも、わしが裂いた空間は鋭い刃と同じよ

 

般若は拳を引き、トドメの一撃を見舞おうと構える。

武戎は倒れそうになるのを根性と怒りだけで踏ん張った。

そして震える右手は刀を捨て、懐から形代を取り出す。

般若がトドメの一撃で武戎の胸を貫こうとしたその刹那――

 

般若

む?

修羅
……式術開放『降魔侵焼こうましんしょう

 

次の瞬間、武戎の全身が炎に包まれ、般若は巻き添えになる前に飛び退いた。

 

般若

なんと見上げた根性よ。敵に殺されるぐらいならと、自死を選んだか

 

般若の言う通り今武戎を焼いているのは、己を滅ぼす地獄の炎。

体から急速に水分が失われ、武戎は叫びながらもがき苦しむ。

既に戦意を失い、憐憫れんびんの情を滲ませながら武戎の最後を見届けようとする般若。

そこへ新たな術が飛来する。

 

 

龍二
――式術開放『雷滅砲』!

 

般若は不意打ちにも関わらず、大きく跳んで緊急回避。

彼が興味深そうに術者のほうを見ると、銀髪の青年が全身黒こげになった武戎へ駆け寄るところだった。

 

龍二
武戎!

 

地面にもくっきりと黒い焦げ跡が残り、その上へ武戎は倒れる。

龍二は駆け寄るも、あまりの熱気に頬を歪ませた。

 

龍二
酷い……

 

武戎の体からは煙が立ち、肌も真黒に焦げて見るも無残な有様になっている。

しかし奇妙なことに衣服は無事だ。

通常の炎で焼かれたわけでないことは一目瞭然。

龍二は武戎をかばうように前に立ち、般若を睨めつけた。

 

龍二
お前がやったのか、妖!
般若

ふむ、少々誤解されてはいるが、おおむね間違いない

龍二
よくもっ!

 

般若の淡々とした答えは、龍二の逆鱗に触れた。

両手に呪符を握って、すぐにでも戦える体勢をとる。

しかし般若は、右の掌を龍二へ向けて言った。

 

般若

まあ待て若者。一つ聞きたい

龍二
……
般若

龍の血を知らないか?

龍二
っ! ……それを知ってどうする?
般若

聞いているのはこちらなのだが……ふむ、微かな妖気を感じるな

 

般若は顎に手を当て、龍二を凝視する。

龍二は目の前の男が時雨の言っていた、「龍の血を探している妖」なのだと悟り後ずさった。

彼はおそらく、龍二の背中に背負っている黒災牙から漏れ出る妖気を感じとっているのだろう。

 

般若

そこらの妖などよりも、遥かに禍々しく強いな。おぬし、半妖か? たしか、龍の血の持ち主も半妖だと鬼夜叉おにやしゃ殿が言っていたが……

龍二

……まさか、お前が母さんを殺したのか!?

般若

ん? おぬしの母など知らんわ。しかしこれは行幸ぎょうこう。先刻、龍の血の持ち主を知ってどうするのかと問うたな? 答えは、我が主に捧げるのよ!

 

叫ぶと同時に、喜々として般若が地を蹴り、急接近する。

想像を絶するスピードだ。

 

龍二

くっ!?

 

龍二は遅れて障壁を張ろうとするが、呪符の展開が間に合わない。

直撃を覚悟した龍二だったが、そのとき――

 

般若

――っ!?

 

般若が突然、突進を止め後ろへ跳び退いた。

次の瞬間、彼のいた場所をさかいに横一文字に空間が裂けた。

遅れて吹き荒れる凄まじい強風。

 

龍二

な、なんだ!?

 

龍二は暴威にさらされてひざまづき、なにが起こったのかまったく理解できなかった。

風が止み、前を見てみると、地面が大きく裂け横一文字の亀裂が入っている。

それはまるで、般若と龍二を遮る境界でも作ったかのようだ。

般若も険しい表情で周囲をゆっくり見回している。

 

般若

なんだ、今の強大な妖気は……ちぃっ、邪魔が入ったか

 

般若は忌々しげに舌打ちすると、脳に焼き付けるように龍二を今一度凝視し、地を蹴った瞬間姿を消した。

 

龍二

な、なんだったんだ、いったい……

 

慎重に周囲を見渡すが、一瞬だけ感じた強い妖気はもうどこにもない。

混乱に顔をしかめ立ち尽くす龍二だったが、後ろで武戎のむせる声が聞こえ、我に返って慌てて駆け寄った。

彼は荒い呼吸を繰り返しているが、一命は取り留めたようだ。

 

 

龍二

は、早く医者に――え?

 

龍二が携帯を取り出して電話をかけようとしていると、彼の袖を武戎が引っ張っていた。

 

修羅

……やめろ。余計な、ことをするな……

龍二

な、なに言ってるんだ!? このままじゃ死ぬぞ!?

修羅

だい、じょうぶだ……邪魔を、されるわけには……いか、ない

 

ぎらつく目でそう言った後、武戎はガクンと倒れ意識を失った。

慌てて心音を確認するが、気絶しているだけのようだ。

 

龍二

いったいどうしろって言うんだよ

 

龍二はしばし茫然とするが、このま放っておくわけにもいかず、彼を背負い公園を歩き去った。

 

龍二は時雨から龍の血を探す妖が現れたと聞いた日から毎晩、町を歩き回っていた。

それが母の仇と繋がっている可能性があったからだ。

もちろん、雪姫たちが黙ってはいなかったので、塾終わりに本邸へ帰ることなく一通り回ってから帰るということを繰り返していた。

それを続けていったことで、運良く武戎の危機に駆けつけることが出来たのだ。