第三章 凶霧より生まれし少女
アイテムで万全の状態に回復したシュウゴたちは、コカトリスの素材を回収し洞窟に足を踏み入れる。
フラッシュボムで最初に内部を確認したが、思った以上に広くアビススライムが生息していることぐらいしか分からなかった。
シュウゴとデュラがたいまつを持ち、デュラを先頭に、シュウゴとメイは後ろに並んで慎重に進む。
ここにも鉱脈があり結晶化した鉱石類が輝きを放っているが、今は採取するようなことはしない。


メイは無理やり笑みを作りながらシュウゴを見上げる。
胸が痛んだ。


メイはどこか戸惑ったように声を詰まらせる。
なにか問題があるのだろうかとシュウゴが首を傾げていると、前方でデュラが立ち止まった。
シュウゴが先に進まないよう、デュラは右手で制し、足元をたいまつで照らす。


シュウゴが呟くとデュラは頷く。
紫色で毒混じりの泥水の広がるその先に目を向けると、仄かな光が差し込んでいるように見えた。
出口のようだ。
となると、ここを突っ切るしか手はない。
幸いこのメンバーなら先に進めそうなので――

――きゃっ、お、お兄様!?
シュウゴはメイを両手で抱きかかえた。
俗に言う『お姫様抱っこ』というやつだ。
目をグルグル回して戸惑いの声を上げたメイだったが、シュウゴにしっかりつかまっておくように言われ、おずおずとシュウゴの首に腕を回した。
メイは状態異常にかからないので、そのまま進むことも可能だったが、鎧のデュラと違ってスカートに染み込んでは後々が大変だ。

シュウゴが指示するとデュラは頷き、毒の沼を進み始めた。
洞窟を出ると毒沼は出口から広範囲に広がっていた。
シュウゴはその先の陸地を見つけると、着地しメイを降ろす。
彼女はなぜだか頬を紅潮させているが、シュウゴには理由がさっぱり分からない。
もしかして変なところを触ってしまったのだろうかと不安になる。
すぐにデュラも洞窟を抜け、シュウゴたちと合流した。

シュウゴは思い出したように口に装着している浄化マスクを押さえる。
素材になった浄化の杖の欠片に魔力を供給し続けているため、こんな場所でもし魔力が尽きてしまったら、呼吸困難で死にかねない。
瘴気によって視界も悪く、フラッシュボムをこれまで多用したために残り一個しかないので、慎重に進む。
すぐに大きな沼に差し掛かり足を止めた。


綺麗……
その沼の色はそこら辺にある白濁色のものではなく、澄んだエメラルドグリーンだった。
メイも目を丸くし、デュラは警戒するように腰を落としてゆっくり辺りを見回している。
強い気配を感じるのだ。
この感覚は以前、孤島の洞窟でケルベロスのいた部屋から漂っていたものに近い。


は、はい、お気をつけて

大丈夫、なにか分かったらすぐに戻るよ
シュウゴは安心させるようにそう言ってバーニアで飛び上がる。
大したスピードは出さずに周囲を見渡しながら先に進んでいく。
緑の沼は思った以上に広く、中々終わりが見えない。瘴気の最も濃い場所に、普通とは違う色の沼。それに強い気配。
シュウゴは嫌な予感をヒシヒシと感じていた。
そのとき、遥か後方で声が上がる。

お兄様! 下です!
シュウゴは辛うじて聞こえたメイの叫び声に反応し下を向く。

沼に巨大な影が出現していた。
そしてシュウゴはすぐに察する。
強い気配の正体は、この沼の下に潜んでいたのだ。
シュウゴは急いで旋回し、メイたちの元へ戻るべくバーニアを噴射する。
次の瞬間、沼の中から緑色の鱗に覆われた蛇が一斉に飛び出してきた。
それらの狙いはシュウゴただ一人。

シュウゴは順々に迫りくる蛇たちを避け、行く手を塞ぐ個体を大剣で斬り捨てた。
蛇の数は数十体といったところだ。
ジャブジャブと水しぶきを上げながら、次から次へと現れる。
左足に噛みつかれるが、右足のブーツ裏からバーニアを噴射し蹴り飛ばす。
前方から三体が迫るが、肘のバーニアで変則的な機動をとり回転して回避。
そうこうしているうちに背後の蛇たちに追いつかれる。
しかしシュウゴは冷静に、肘とブーツの側面からバーニアを噴かし、旋回しつつ全方向を薙ぎ払った。
ようやく沼の岸にデュラとメイの姿を捉えた。
デュラがメイを背にかばいながら盾で蛇の突進を受け止め、ランスで迎撃している。
苦戦はしているが二人とも無事そうなので一安心だ。

シュウゴが叫んだ次の瞬間、沼で盛大な水しぶきが上がる。
シュウゴは慌てて反転し音の発生源を見た。
蛇たちが沼の水面上に引っ込み、緑の沼の中から現れたのは――

巨大な蛇女だった。
上半身は裸の女だが白目をむき肌は緑色。
腕は六本あり、それぞれに斧のような巨大な剣を握っているのが二本、残りはその腕の上下に一本ずつ大蛇が生えている。
下半身は緑色の硬質な鱗に覆われた大蛇であり、腹部の下から沼に浸かっている。
シュウゴが知るゲームのモンスター『ナーガ』のようだった。
沼の上で滞空しているシュウゴの額に冷や汗が流れる。

シュウゴは一縷の望みに賭け、ナーガの目の前に躍り出た。
メイが慌てたように「お、お兄様っ!?」と呼び止めるが、今は気にしていられない。

シュウゴはナーガの目を見て語り掛けた。
しかしナーガは特に反応を見せることなく――

シュウゴの頭上から剣が振り下ろされた。
側面への噴射でなんとか回避するが、斬撃の風圧で吹き飛ばされる。
態勢を立て直すと蛇たちが再び動き出していた。
シュウゴは思考を逃走に切り替え、メイたちの方へ飛ぶ。
デュラとメイも洞窟へ向かって走り始めていた。
緑の沼から離れると蛇たちも追ってはこれず、三人は間一髪で逃走に成功したのだった。
無事に町へ帰還したシュウゴたちは、すぐにバラムへ沼地でのクエストの結果を報告した。
コカトリスの討伐、広い洞窟の出口に毒沼が広がっていたこと、その先にあるエメラルドグリーンの沼に瘴気の蛇神『ナーガ』がいたこと、そしてその先には新たなフィールドが広がっている可能性が高いことなど。
バラムは嬉しそうに満面の笑みで頷いていた。
報告が終わると明日にはヴィンゴールへ報告をするよう言われた。
そこで今回の罪の件も許しを請うという。
翌日、三人は領主の館に訪れた。
前回と同じく真ん中の絨毯の奥にヴィンゴールが立ち、その両脇に対照的な雰囲気の側近が二人、絨毯の脇に討伐隊、文官のキジダル、バラムらが並んでいた。
シュウゴたちはヴィンゴールの前に立つ。
ヴィンゴールはバラムから渡された報告書を読み、興味深そうに目を細めた。

ほぅ、コカトリスを倒したか。よくやってくれたな。それに毒の沼を進み、強大な魔物の存在まで暴くとは……なんとも勇ましい。これもそなたの言っていた、メイの特性のおかげか?

シュウゴはヴィンゴールの問いに間髪入れず答えた。
それに続けてバラムが口を開いた。

いかがでしょうか? 彼らの力が今後のカムラの発展に必要であることは明白。何卒、今回の罪については寛大な処置をお願いしたく存じます
バラムが仰々しくこうべを垂れる。
シュウゴたちも「よろしくお願いいたします」と深く頭を下げた。

……いいだろう。シュウゴ、デュラ、メイ、そなたたちによる討伐隊業務妨害への容疑、不問とする。異論のある者はいるか?
ヴィンゴールが厳かに告げ、臣下たちを見回した。
最後にキジダルへ問う。

そなたはどうだ? なにか問題は?

滅相もございません。領主様の賢明なご判断に従うのみでございます
キジダルは以前の挑戦的な雰囲気を出すことなく頭を下げていた。
彼は物事の判断基準は厳しいが、真に良しとしたことにケチを付けるような人間ではないようだ。
その点にシュウゴは好感が持てた。
シュウゴたちはヴィンゴールに深く礼を述べると、領主の館を去った。
家に戻ったシュウゴはデュラに席を外すよう伝え、メイに向き直った。
メイはシュウゴの神妙な表情からなにかを悟り、怯えたような表情になる。


今回の戦いでよく分かりました。大変なお仕事なんですね

でもよく耐えてくれた。これでもう、君がハンターなんてする必要はなくなったよ

……え?
突然告げられた言葉にメイは戸惑いの声を上げる。
シュウゴはこれからのことをゆっくり話し始めた。

今回はメイの存在を皆に認めてもらうために、やむを得ずとった手段だった。君の意志も確認せず勝手に進めてしまって本当に申し訳ない。でもそれが上手くいった今、君に戦ってもらう必要はない。君は自由を手に入れたんだ
シュウゴは笑みを浮かべ楽しそうに声を弾ませる。
だがメイは、浮かない顔をしていた。

自由、ですか?

そうだよ。まずは家を探そう。商業区に不動産屋があるから、安い家を紹介してもらおう。次は仕事だけど大丈夫。教会の運営する孤児院の手伝いとか、商業区の雑貨屋の販売員とか、意外と色々あるから
シュウゴがどんどん話を進め、メイの表情はどんどん曇っていく。
その理由に思い当たったシュウゴは笑いかけ安心させようとする。

それまでのお金のことなら心配いらないよ。一人で稼げるようになるまで、俺が工面するから。今回のことでメイには色々と助けてもらったから遠慮はいらない

違うんです。私は別に自由なんて……これからもお兄様たちのお手伝いが出来ればそれでいいんです

いいんだメイ。君はもう戦わなくていい

…………
メイは不安そうな顔を向ける。
その瞳は揺れており、まるで見捨てられた子犬のようだ。
だがシュウゴも譲れなかった。
コカトリス戦でメイの優しさを垣間見たからこそ、彼女を戦わせてはならないと思っていた。

俺らと一緒にいたって戦ってばかりだ。メイが不幸になるだけなんだぞ

そんなこと、やってみなければ分かりません。なにが私の幸せかは私にしか分からないんですから。だから私、戦います

だからって、無理をすることは――

――独りはもう嫌なんです
シュウゴは言葉に詰まった。
メイにかつての自分が重なったのだ。
今のメイにとってのシュウゴ。
それは、かつてシュウゴがこの世界で目を覚ましたばかりの頃、ひたすら求めてきた……『手を差し伸べてくれる存在』だった。

シュウゴは大きく深呼吸し、肩の力を抜いて頬を緩ませるとメイに手を差し伸べた。

メイは差し伸べられた手をまじまじと見つめ、感激したように目を潤ませる。
そして勢いよくシュウゴに抱きついた。

はい! よろしくお願いします! お兄様ぁっ!

(やれやれ、また甘えん坊なパーティーメンバーが増えたな)
シュウゴはメイの頭を優しく撫でながら、外で待機しているデュラを思い浮かべ苦笑するのだった。