#10 陰陽塾【半妖の陰陽道 第三章】

第三章 もう一人の半妖

 

 

講師

――陰陽五行とは陰陽術の基本中の基本であり、木火土金水もっかどごんすいからなる。それぞれの性質は、互いに相生そうじょうという重なり強め合う性質と、相克そうこくという相殺する性質を持つ。これら五行は、人によって一つか二つ得意な属性があり、五行すべてを扱える陰陽師は稀で――

 

そこは越前にある陰陽塾。

陰陽庁の近くにあり、陰陽技官の研修などに使われることもあるという小さなセミナールーム。

部屋はあまり広くないが清掃は行き届いていて、正面奥にホワイトボードとその前に講師の立つ演壇があり、出口へ向かって塾生の机が並んでいる。

席も三十ほどしかなく、それでもギリギリまだ埋まっていないのは、単純にこの町での陰陽塾生が少ないからだ。

 

だがその中に一人、数日前新たに加わった者がいる。

いや、復帰したと言ったほうが正しいか。

 

桃華

……龍二さん、講義中ですよっ?

龍二
んぁ?

 

講義中にも関わらずうとうとしていた龍二は、隣の席に座っている桃華のささやき声で顔を上げる。

「一刻も早く遅れを取り戻す!」と、意気込んでいた少年はどこへやら。

高校でも授業をよくサボっていたこともあって、座学は内容が頭に入ってこない。

しかし原因はもう一つある。

 

龍二
いや時雨先生の鍛錬が厳しくてな。おかげもう疲労困憊ひろうこんぱいだっての

 

龍二は講師に聞こえないよう、小声で言うと疲れたように肩を落とす。

実のところ龍二は今、朝から晩まで陰陽術を学んでいた。

桃華や他の塾生たちは、日中は学校に行っているが、龍二は既に退学しており日中は銀次に紹介された塾講師『神野時雨じんのしぐれ』から実践的な術の指導を受けているのだ。

 

時雨は最近になって、他県からここへ転勤しており、色々と忙しいのに龍二の面倒をよく見てくれている。

とはいえ、本人はいつもやる気がなさそうでグチグチ不満を垂れてはいるが……

 

つまり、日中は時雨による実践的な陰陽術の鍛錬、夕方からは他の塾生たちと陰陽塾で講義を受けるというハードスケジュールなのである。

 

講師

―こらそこ、講義中だぞ

 

ホワイトボードへ文字を書き終えた講師『山田』が二人の私語に気付き、鋭い目線を向けてくる。

身長が高く角刈りの筋肉質な男で、厳つい顔の通り塾生に対して厳しい態度をとっている講師だ。

 

龍二が一度離脱する前からいた講師で、なにをやっても上手くできなかった彼に対して厳しい言葉を浴びせ、指導していたと記憶している。

そんな強面こわもてな彼の怒りの眼差しを受け、桃華はしょんぼりと肩を落として「申し訳ありませんでした」と素直に謝る。

だが龍二は目を逸らしてなにも言わない。

 

山田

おい、鬼屋敷

龍二
……はい?

 

苛立ちを孕ませた山田の声に龍二が目を向けると、彼は額に青筋を立て頬を歪ませていた。

険悪な雰囲気が室内に流れる。

 

山田

お前、突然戻ってきたと思ったら、その態度はなんだ? 真面目に学ぶつもりはあるのか? もし、熱心に陰陽術を学んでいる塾生たちの邪魔をするつもりなら、出て行ってもらうぞ

桃華

や、山田先生、それは……

 

事情を知る桃華が横で立ち上がり、話を遮ろうとするが、龍二は「桃華、いい」と彼女にだけ聞こえる小声で言って手で制した。

そして龍二は立ち上がり、山田の目を見て頭を下げた。

 

龍二
自分のせいで貴重な時間を無駄にしてしまい、申し訳ありませんでした。ですが、陰陽術のことを学びたいという気持ちに嘘偽りはありません

 

周囲でひそひそと塾生たちがささやき合う。

昔と同じだ。

龍二に対する嫌悪感。

最初は銀髪や赤い瞳といった、他人とは違う特徴を気味悪がっていたが、彼に陰陽師としての才能が無いと分かると、親の七光りだなんだと攻撃の方向性を変えた。

今も龍二が戻って来たことに対する不満が積もっているようだ。

 

山田

ふんっ

 

山田は鼻を鳴らすと手元の参考書に目線を落とし、講義を再開する。

 

山田

……陰陽五行の他にも、基本的な術として『封印』、『滅法』、『結界』がある。封印は妖力や呪力などを封じ、滅法は妖を滅するための術だ。結界は君たちでも扱えるだろうが、陰陽術や妖術、そして物理攻撃をも遮る障壁だ。五行を含めたこれらの術の発動は、呪符なしでは誰にもできない。呪符には呪力を大幅増幅させる術式が梵字によって刻まれていて、これに言霊を乗せることで術として発動できるからだ――

 

次第に塾生たちのささやき声が静まり、みんなが講義に集中し始める中で、桃華が小さく呟いた。

 

桃華

私が余計な口出しをしたせいで……ごめんなさい

龍二
お前のせいじゃない。気にすんな

 

そう言って龍二はノートを開けてメモを取り始める。

内心は腹が立っていたが、山田の言うことも正しい。

他の塾生たちの迷惑になるようなことは彼も避けたいのだ。

それからは龍二も眠気に負けることなく、講義を終えたのだった。

 

 

その後、陰陽庁の演習室を借りての摸擬戦に移る。

演習ルームは、高校の体育館より一回り小さい程度の広さで、鋼製床仕様の白いタイルに白い壁と殺風景な印象を受ける。

陰陽庁の職員たちは時おりここを利用して術の研究開発や、技能試験などを行うらしい。

 

部屋の床中央から等間隔の位置に穴が六つあり、今は金術で作られた長い棒の呪具が差し込まれていた。

呪具によって六芒星を形作り、戦闘時に内外をへだてる結界を張るのだ。

 

時雨

よし、今日はもう遅いから一戦だけにするぞー

 

今日の摸擬戦を担当する講師は神野時雨だ。

赤みがかった長い髪を後ろで結んで、黒のスーツを着ているがシャツは皺だらけで、ズボンから半分だけはみ出ている、だらしのない男である。

常にやる気のなさを全身で体現しており、塾生たちも時おり彼が他の講師から注意を受けているのを目にするぐらいだ。

 

男子高校生

先生、この時間でしたら、いつもは三戦はしていますよ?

 

他の塾生がもっともな意見を口にするが、時雨は彼に恨みがましい目線を向けると、諭すように告げた。

 

時雨

そんもんは知らん。時間に対する価値観てのは人によるんだよ

男子高校生

しかし、他の講師とここまで違いがあると、一日の学習量が変わってきてしまうのですが……

時雨

うるさい。俺には俺のプランがあんの。分かったらほら、一度みんな壁際に寄りな

 

逃げるように塾生の正論を受け流し、時雨は手の平を振って塾生たちを壁際へ集める。

いい加減な人だと嫌悪感をあらわにする塾生もいるが、よく日中の鍛錬に付き合ってもらっている龍二に文句は言えない。

 

時雨

さて、と……

 

時雨は眠たそうな目で塾生たちを見回した。

基本的に摸擬戦は、講師が対戦する二人を指名する。

選ばれた二人は中央の、金術の呪具による六芒星に囲まれた内側に入ると、講師が結界を張り、外側の見物している塾生たちへ術が飛び火しないようにする。

戦闘は陰陽術を扱い、殺傷力のない武器の使用は自由だが、あくまで術比べによる勝敗が重視されるのだ。
龍二が緊張の面持ちでいると、時雨と目が合った。

 

時雨

よし、まずは龍二、行け

龍二
え?

 

まさか自分が指名されるとは思ってもみなかった龍二は、目を白黒させる。

彼に今扱える術などたかが知れている。それは時雨も承知のはずだ。

他の塾生たちも、龍二は無能という印象しか持っていないだけにざわついている。

 

時雨

ほら龍二、呆けてないで行った行った。んで、対戦相手は……希望者いるか?

 

投げやりな時雨の言葉に、歩き出していた龍二はため息を吐いた。

なるほど時雨らしいと納得してしまう。

 

彼は対戦する塾生を選ぶことすら面倒だったのだ。

だから最弱の龍二を指名し、後は誰かが彼を瞬殺するのを待って、早めに摸擬戦を終わらせようとしているのだろう。

龍二は初めての摸擬戦で、緊張に顔を強張らせているというのに。

 

時雨

……あれ? いないか?

 

しかし、龍二が六芒星の内側に入っても未だに立候補者は出てこなかった。

そもそも普段から落ちこぼれの龍二と関わろうとする者がいないのだから、あえて練習にもならない龍二と摸擬戦をしたところで意味はない。

これは時雨の痛恨のミスだ。

 

桃華も周囲の塾生たちを見回しながら、不安そうな表情でそわそわしている。

このままでは彼女が立候補して、時間切れまで摸擬戦を引っ張るといった茶番に出ないか心配だ。

 

時雨もそろそろ龍二を戻らせようかと、肩を落として振り向いたそのとき、声を上げた男子塾生がいた。

 

 

遠野

俺がやります

時雨

お? 遠野か、よく申し出てくれた。それじゃあ存分にやってくれ

遠野

もちろんです

 

龍二との摸擬戦を買って出たのは、遠野大樹とおのたいき

短髪で背が高く大柄の青年で、陰陽師というよりはスポーツ選手が向いていそうな体格だ。

しかし陰陽術の実力は、これまで摸擬戦を見てきた塾生の中でもトップクラスだと認識している。

 

桃華もハラハラしながら時雨を見やり、龍二もこれでは話にならないのではないかと時雨へ視線を送るが……彼は目が合うと不敵な笑みを浮かべた。

それはまるで、「お前なら勝てる」とでも言っているような自信溢れる眼差し。

 

龍二は気を落ち着かせるように拳を握ると、目の前に立った遠野を見た。

 

遠野

よぉ、鬼屋敷。これが初めての摸擬戦だな

龍二
あ? あぁ
遠野

それは気の毒だな。けど、容赦はしないぞ

 

遠野とは話すのも初めてだったが、あまり仲良くできそうにない。

言葉はまだ当たり障りないが、彼の向けてくる険しい視線には、明らかな侮蔑と嫌悪感が混じっていた。

まるでなにかの怨みでも買ったかのようだ。

龍二が困惑しているうちに、時雨が端の棒の前に立って告げる。

 

時雨

よし、二人とも準備はいいな? じゃあ離れて――摸擬戦開始!