第二章 百鬼夜行・龍の臣
ねぇねぇ~龍二さまが来てるってほんとー!?
勢いよく戸襖が開け放たれると同時に、喜びに満ちた鈴を転がすような可憐な声が飛び込んで来る。
八重歯を覗かせて弾けるような笑顔を浮かべ乱入して来たのは、和ゴスの衣装を着た中学生くらいの少女だった。
桃色の髪でツインテールを作り、黒目がちな瞳を輝かせた小動物のように愛らしい顔。
赤い帯は腰の後ろで大きなリボンのように結ばれ、花柄の黒い振袖だが裾はミニスカのように短く、ピンクと白の縞々模様の二ーソックスがよく似合っていた。
彼女は龍二を視界に捉えると満面の笑みを浮かべる。
あぁーっ! 龍二さまだぁー!
胸元へ飛び込んで来た美少女を反射的に受け止める龍二。
少女は至近距離で龍二を見上げると、幸せそうににぱぁっと笑う。
同時に隣で、桃華が悲鳴のような声を上げた。
んなっ!?
だが龍二とて彼女に見覚えがなく、なんだか懐かれているようだがその理由に心当たりがない。
パッチリとした目にあどけない笑顔で上目遣いに見つめられると、その魅力に負けてしまいそうだ。
誰がどう見ても美少女で、アニメにでも出てきそうな和ゴスが似合っていて可愛らしい。
横からなんだか負のオーラが漂ってきたが、怖くて桃華のほうを向けずダラダラと冷汗を流す。
すると、雪姫がたしなめるように言った。
鈴、お行儀が悪いですよ
えぇ~? いいじゃ~ん! せっかく龍二さまとお話しできるのにぃ
龍二は雪姫へ目を向け、自分の膝の上に座った美少女の正体を聞く。
すると、不服そうに口を尖らせていた少女が龍二へ笑顔を向けた。
鈴はねぇ、座敷童子なんだよぉ?
龍二は意外な答えに目を丸くする。
どうやら『鈴』というのは名前のようで、座敷童子という妖らしい。
その名は龍二も聞いたことがあるほど有名だ。
イタズラ好きな妖で神出鬼没だが、それが住み着いた家には幸運が訪れるという。逆に出て行ってしまえば、その家に不幸が訪れるともいう。
横の桃華も、未だに頬を引きつらせてはいるものの、もの珍しそうに鈴を眺めまわしている。
鈴の力は、この屋敷に妖気の結界を張り、招かざる者を入れないようにすることです
私が龍二さまを守ってあげるんだから!
雪姫は慈愛の笑みを浮かべゆっくりと頷き、鈴もうんうんと首を縦に振った。
父は素晴らしい仲間に恵まれていたのだと、しみじみ思う。そして、それに嬉しさを感じると共に羨ましくも思う。
龍二が「ありがとう」と礼を言うと、なぜだか鈴がクスクスと笑った。
……ひっ!
突然桃華が悲鳴を上げ、不審に思った龍二が桃華の視線の先を追うと、いつの間にか現れた異質な光景に息をのんだ。
周囲の障子のあらゆるところに、亀裂が生まれ目玉を開いていたのだ。
その血走った目玉はギョロギョロと龍二のほうを向いている。
これも妖に違いない。
龍二が眉を寄せて警戒していると、雪姫は笑みを崩さず告げた。
彼は目々連という妖です。私たちと同じく、この屋敷で頭首様に仕えていました
違う違う、目々連はぁ嫉妬してるんだよ~
はい。彼もこの屋敷を守り続けてきましたから
でもねぇ、目々連てば、ドロボーさんが入って来たときに、目を開いて驚かせて追いだすくらいしか働いてないんだよ~
鈴は無邪気なだけに容赦がない。
目々連は余計なことを言うなとばかりに、鈴を睨みつけるが、彼女は楽しそうに笑いながら無視している。
どうしてここが妖怪屋敷と呼ばれていたのか、本当の理由が龍二には分かった気がした。
どこに目を向ければいいか分からないが、龍二は正面へと頭を下げた。
すると、目々連は嬉しそうに無数の目を細めた。
こうしても見ると、可愛らしい……かもしれない。桃華は顔を青くして、げんなりした表情で斜め下を向いているが。
龍二は苦笑すると、キョロキョロと周囲を見渡す。
雪姫はそう言うと立ち上がる。
長時間正座していたというのに、足は痺れていないようだ。これも妖だからだろうか。
ちなみに、龍二は鈴の乱入のおかげであぐらを掻いていたが、隣の桃華はずっと正座していたせいで足が痺れ悲鳴を上げている。
しかし雪姫は容赦なく戸襖を開け、縁側へ出るので、龍二も鈴を横へどけて立ち上がり後へ続く。
りゅ、龍二さ~ん、置いていかないで~
ふふっ、お姉ちゃ~ん、鈴が介抱してあげるよ
へ?
鈴が新しいおもちゃを見つけたかのように目を輝かせ、手をわきわきさせている。
桃華の顔が恐怖に引きつり、「助けてくれ」と龍二に潤んだ目を向けてきた。
しかし龍二は、見て見ぬふりをして部屋を出ると――
ぎゃーーーーー!
桃華の悲鳴を遮るように、後ろ手で戸を閉めた。
雪姫の姿を探すと、彼女は枝垂桜の前で龍二を待っていた。
縁側に出されていたスリッパを履き、彼女の横に並んで枝垂桜を見上げる。
すると、舞い散る花びらに混じって妖気を感じた。
はい。決して枯れることなく咲き続け、人を惑わしたり、心に安らぎを与えたりと、心に干渉する妖です
龍二は目を見開き、瞳を揺らしながら呟いた。
これで謎が解けた。
この枝垂桜が、ただの一度も枯れなかった理由、それは妖だったからなのだ。
そして、自分が落ち込んでいるときに、母がここへ連れて来た理由も今ならよく分かる。
この桜は父がいなくなった後も、母や龍二を支え屋敷を守り、その役目をしっかりと果たしていたのだ。
龍二は頬を緩ませると、桜千樹の太い幹に手を当て目を閉じる。
心がなんだか温かくなるようだった。懐かしい感覚だ。
――ドクンッ!
桜千樹の中で、なにかが大きく脈打った。
それが歓喜の震えなのだと龍二には分かった。
龍二様
龍二が後ろを振り向くと、着物が汚れるのも構わず雪姫がひざまづき、こうべを垂れていた。
これより我ら、百鬼夜行・龍の臣は、龍二様をお守りするとここに誓います
龍二はむずがゆさを感じながらも、朗らかな表情で告げた。
…………………………
越前にある真夜中の港。
大きな倉庫の上に佇む二つの異質な影があった。
一人は、ボロボロな紺色の外套で全身を覆い、フードまで深々と被って素性を隠した男。
もう一人は、襦袢の上から紺の羽織を着て腕には籠手、下は武者袴、腰には刀を差した侍のような恰好。異質なことに、頭部には三角笠をかぶっている……というより浮いている。首から上がないのだ。
異形の雰囲気を纏った者たちは、夜風に吹かれながら闇に佇んでいた。
……
一人で喋っているのは、外套の男。
声はしわがれた老人のものだ。
首のない侍は語り掛けられても微動だにしていない。
そのとき、下から彼らへと光が当てられた。
おい、てめぇら! 何者だ!?
倉庫の横で、柄の悪い男たちがこちらを睨みつけていた。
短刀を肩に乗せたオールバックのグラサン男や、頬に刺青のある厳つい男が、アタッシュケースを持ったグレースーツの男を守るように立っている。中には銃を取り出している者もいて、ただの男たちの集会にしてはどうもきな臭い。
外套の男は腕で光を遮り、やれやれと肩をすくめた。
おおかた違法な品の取引現場にでも遭遇したのだろう。
ふむ……首なし殿、やはりそなたは目立つようだ
……
首なしは淀みない動作で腰の刀の柄に手をかけるが、外套の男が止める。
よい。ここはわしに任されよ
そう告げると、倉庫の上からヤクザたちの目の前へ飛び降りた。
並の人間であれば無事では済まない高度だったが、男は地響きを鳴らし地面を踏み砕いて着地すると、目の前で驚愕の表情を浮かべ後ずさるヤクザたちへ向き直った。
な、なんだてめぇは……
わしは悪鬼組・幹部末席『般若』
悪鬼組だぁ? 聞かねぇ組だな。さては、よそから俺らのシマを奪いに来やがったか
前に出たリーダー格の男がドスのきいた低い声に怒りを滲ませる。
すると後ろの男たちが般若を囲むようにと、横へ広がりながらジリジリと歩み寄って来た。
しかし般若は、怯むことなく淡々と問う。
そんなことよりも聞きたいことがある。龍の血はどこだ?
は? なんだそりゃ? てめぇ、どこに雇われた奴かは知らねぇが、調子乗ってると沈めるぞ!
男が凄みのある声で怒鳴ると、ヤクザたちはそれぞれドスや銃を懐から構え、臨戦態勢に入る。
交渉の余地もないと判断した般若は、ゆっくりと頭のフードを外した。
――んなっ!?
現れたのは、生の鬼の顔だった。
白い肌の頭部には二本の鋭い角が生え、よく神楽で使われる能面のような憤怒の形相を顔に貼りつけている。吊り上がった口からは真っ赤な口内が覗き禍々しい。
男たちがその相貌に絶句していると、般若は腰を落とし腕を外套の内側から出して構えをとった。
ふんっ、ならば問答は無用。ここを通さぬのなら、押し通るまで――縮地
般若が地を蹴った瞬間、その姿を消した。
数瞬の後に、屍の山が築かれたことは説明するまでもない。