#11 龍二の術【半妖の陰陽道 第三章】

第三章 もう一人の半妖

 

 

開始の合図と共に、時雨が六芒星を境に結界を張った。

遠野が素早く腰のポーチから呪符を取り出し、龍二も真似るように呪符を掴む。

 

遠野

浄化の焔よ、悪鬼をひとしく焼き祓え

龍二
天より高覧せし大いなる太極よ、邪気を払いて、かしこみ申す

 

遠野
龍二
 「「急急如律令!」」 

 

遠野が数枚の呪符を投げ、それが火の玉へと変わり龍二へ襲い掛かる。

対して龍二は、前方に呪符をばら撒き障壁を作る。

 

龍二
ぐぅっ

 

精神的な衝撃はあったものの、龍二の障壁は遠野の火術を防ぎきった。

 

遠野

なんだ、結界は使えるのか? けどそれは、術者の呪力次第で耐久力がまるで違うぞ!

 

遠野は攻撃の手を緩めず、連続して呪符を放ってきた。

ひたすら術をぶつけて龍二の呪力を枯渇させるつもりだ。

結んだ印を保持し、衝撃に耐える龍二。

彼の脳裏には、先日の時雨とのやりとりが鮮明に蘇っていた。

 

時雨

『――お前に呪力がないってのは、ただの思い込みだ』

龍二

『え? だって、これまで一度も陰陽術を使えたことがないんですよ?』

時雨

『それは妖刀に封じられていたからだろ?』

龍二

『でも、妖刀に封じられていたのは、妖力だけのはず……』

時雨

『少し考えれば分かることだ。龍二、お前は半妖だろ? ならその体からは、呪力と妖力の両方が生じているはずだ。なら妖力だけを封じようったって無理に決まってる。だから、一緒に封じていたのさ』

龍二

『じゃあ、俺にも陰陽術が使えるんですか!?』

時雨

『鍛錬さえすればな。お前さんは最強の妖の息子かもしれないが、最強の陰陽師の息子でもあるんだ。信じろよ、自分の力を』

 

遠野による火の連撃が止み、熱気が龍二の頬を撫でる。

顔を上げると、龍二の張った障壁は健在で完全なる防御を成していた。

 

時雨の言う通りだった。

先ほど遠野も言った言葉の通り、術者の呪力次第で障壁の耐久力は決まる。

だからこそ、火術の連撃程度ではビクともしないこの障壁が呪力の強さの証明。

 

遠野

俺の攻撃を防ぎ切ったぐらいで、得意げになるなよ。次はお前の番だ。どんな攻撃だろうと俺には通じないぞ!

 

遠野が苛ただしげに眉を吊り上げ、挑発してくる。彼は呪符を構えていつでも結界が使える状態だ。

だが龍二には五行の術は一つも使えない。いや、そんなものは最初から斬り捨てているのだ。

龍二は拳を握り、遠野へ向かってまっすぐに駆け出す。

 

 

遠野

どうつもりだ!? これは摸擬戦……術比べなんだぞ! ただの喧嘩のつもりだって言うのなら、お前はここに立っていい人間じゃない! 分からないってんなら、俺が陰陽師としてお前を叩き潰す

 

遠野は額に青筋を立てて怒りの限り叫ぶと、一枚の呪符を放つ。

「火術!」と唱え炎球を作り出し、迫る龍二の顔面へぶつけようとする。

しかし龍二は、間一髪のところで横へ跳んで回避。

そこへ追撃とばかりに新たな炎球が飛来するが、それもまた横へ転がって回避した。

 

おそらく、遠くで見守っている塾生たちから見れば、無様な姿だろう。

今まで龍二が見て来た摸擬戦と比べて、野蛮としか言いようのない戦い方だ。

そんな彼を見て、遠野はなにかに思い至ったかのように目を見張った。

 

遠野

まさかお前……陰陽五行が使えないのか? だから素手で殴りかかる以外に攻撃する術がないのか。それならやっぱり、お前はここにいるべきじゃないんだ!

 

怒りのこもったそのまっすぐな言葉が龍二の心に突き刺さる。

見学している塾生たちも顔を見合わせているのがここからでも見える。

それでも龍二は突き進む。

 

龍二

うおぉぉぉっ!

遠野

くっ、いい加減にしろ!

 

まっすぐ駆け出して来た龍二へ、遠野は再び火術を放つ。

それと同時に――

 

龍二

界っ!

 

合わせるように龍二が呪符を放ち障壁を展開して炎球を無効化。

油断していた遠野は、次の一撃を考えていない。

その一瞬の隙で、龍二は彼のふところへ入り込み、その頬へ左ストレートを打ち込む。

 

遠野

界!

龍二

くっ!

 

しかしすんでのところで、遠野は一歩下がり障壁を展開。

龍二の拳は硬く透明な壁に阻まれる。

宙で止まった拳の先で、遠野がバカにするかのような薄ら笑いを浮かべていた。

龍二はそれでも諦めず、左の拳を引いて右手を突き出す。

 

遠野

ふんっ、何回やっても無駄――なにっ!?

 

遠野の表情が驚愕に歪む。

龍二が突き出したのは拳ではなく、掌に乗せた呪符。

しかし相手の障壁がある限り、攻撃は届かない。

だからこその、会心の一手・・・・・

 

龍二

界っ!

遠野

バカな!?

 

龍二は右手の呪符を、遠野の障壁に密着させた状態で障壁を発動させ、互いの呪力による干渉を引き起こす。

結界で結界を中和したことにより、互いの障壁は消滅。

そしてそれを狙っていたとばかりに、引いていた龍二の左の拳が再び打ち込まれる。

 

龍二

はぁっ!

遠野

ぐはっ!

 

渾身の一撃は見事に遠野の頬にヒットし、彼を大きく後退させた。

さすがに体格が良いだけあって、倒れることなく数歩下がって立ち止まる。

喧嘩に明けてくれていた頃の龍二なら、そのまま回復の隙を与えずノックダウンまでもっていくところだが、これは術比べ。

相手の術を破り一矢報いたのだから、野暮な真似はしない。

 

龍二が後退して距離をとり、息を整え冷静な面持ちで遠野を見据えていると、彼はよろけながらも両足で踏ん張り、悔しげに顔を歪めた。その右頬は赤く腫れている。

 

遠野

くそっ、屈辱だ! お前なんかに術を破られるなんて!

龍二

まだ、なにか言いたいことはあるか?

遠野

当たり前だ! お前は、無能だからって自分から逃げたんだろ!? それがまた戻って来て、のうのうとしてやがる。陰陽師の世界ってのは、そんな甘いもんじゃないんだよ! 一度も逃げずに、辛くても努力し続けてきた俺たちがバカにされているようで、我慢ならないんだ!

 

龍二は目を見開く。

ようやく遠野の本心を聞くことが出来たような気がした。

これが彼の……いや、周囲の塾生たちが思っていることなのか。

 

一度逃げた人間が、また戻って来てなにも変わらずのうのうと過ごしている。

それが逃げずに必死に食らいついて来た彼らにとって、侮辱に感じたのだろう。

龍二は頭を下げた。

 

龍二

すまない

遠野

……なんのつもりだ?

龍二

あんたたちのことをバカするつもりなんてなかったんだ。でも、あんたたちの陰陽師としてのプライドを傷つけてしまったのなら、謝らせてくれ

遠野

そんなもん、今更なんの意味もねぇよ。だから、お前は俺が叩き潰す。二度と戻って来る気がおきないようになぁ!

 

遠野は両手に一枚ずつ呪符を持ち、交差するように龍二へと放った。

ありったけの呪力が込められ、術の発動と共に梵字が赤く輝く。

だが先ほどまでと違い、もう片方の呪符は緑に輝いていた。

 

 

遠野

木は火を生ず、木生火もくしょうかっ!

龍二

っ!?

 

今回のは明らかに炎球の勢いが強かった。

陰陽五行の相生を活かした火術と木術の合わせ技だ。

木術は基本、自然の恵みによる自然治癒力の向上に使われることが多いが、火術と共に使うことで炎の威力を底上げすることができる。

 

これまでの摸擬戦では、彼が木術を使うところなど見てこなかっただけに、強烈な奇襲。

だが龍二も、退くわけには……負けるわけにはいかない。

遠野には遠野のプライドがあり、龍二には龍二の強くならなければならない理由がある。

だから本気の奇襲には、全身全霊を込めた奇襲で応える。

 

龍二

すまない遠野。それでも俺は、負けるわけにはいかない

遠野

なにっ!? それは!?

 

龍二は懐から一枚の形代かたしろを取り出し投げ放った。

それは呪符とは違い、人形の形に切り抜かれており、式神を使役する者が扱うふだだ。

 

龍二

雷丸、俺に力を貸してくれ――式術開放『雷滅砲らいめつほう』!

 

突如、形代に流し込まれた呪力が稲妻を放ち、凄まじい雷鳴を轟かせた。

視界は眩い光に覆われ、チリチリという空気のひりつきが痛いほど肌を叩く。

 

龍二が式神の術として放ったそれは、巨大な電撃の砲弾となって、燃え盛る炎球をいとも簡単に打ち消した。

それだけでなく、唖然とする遠野の身を滅ぼさんと凄まじい勢いで迫る。

すべてが一瞬で、誰もが唖然とその決着を見守るしかなかった――

 

時雨

――そこまで!

 

時雨の合掌と共に、強大な雷は消滅した。

封印による術の無効化だ。

六芒星の内側にいる限り、講師が両手を合わせればあらゆる術は無に帰す。

雷鳴が突然止んだことで、演習室に静寂が訪れた。

龍二は想像を絶する式術の威力に唖然とし、遠野は驚愕に顔を強張らせ固まっている。

 

 

桃華

や、やったぁぁぁぁぁっ! 龍二さんの勝ちですぅっ!

 

一番最初に静寂を打ち破ったのは、幼馴染の甲高い歓喜の叫びだった。

それに続くように他の塾生たちも興奮の声を上げる。

 

男子高校生

す、すげぇぇぇ!

男子高校生

なんだ今の!? あんな規模の術、初めて見たぞ!

男子高校生

まさかあいつ、式神と契約してたのか!?

 

様々な声が室内に反響する中、ようやく我を取り戻した遠野はガクンと膝を落とし、うちひしがれるように両手を床に着いた。

 

遠野

そんなバカな……術比べで俺が負けた。なんで? なんで、鬼屋敷が式神なんて使えるんだ……

龍二

ありがとう遠野。おかげさまで吹っ切れたよ

遠野

……は?

 

龍二は遠野の前に膝を立て、手を差し伸べていた。

遠野は顔を上げ、信じられないものを見るように瞳を揺らしながら龍二の目を見つめる。

 

龍二

でも、術比べは俺の勝ちだ

 

龍二ははつらつとした笑顔を浮かべ、はっきりと告げた。

そこには後腐れない清々しさだけがあった。

遠野は目を丸くすると、ふっと口の端を緩め、それを隠すように俯く。

 

遠野

……うるさい

 

そして龍二の差し出した手を振り払って一人で立ち上がると、背を向けて六芒星の外側へと歩き出した。

彼は振り返らずに呟く。

 

遠野

次は負けない

龍二

ああ、楽しみにしてる

 

二人のやりとりが終わると、それを合図とばかりに見学していた塾生たちが鼻息を荒くしながら、龍二の元へ殺到しようと駆け出す。

龍二は立ち上がると、「さてどうしようか……」と苦笑した。

 

式神については、みんなが講義を受けてはいるが契約に成功した塾生の話は聞かない。

だからみんな興味深々なのだろうが、龍二のは理由が理由だけに詳しく話すわけにはいかない。

自身が半妖であることも隠しているのだから。

 

こういうとき、助けになってくれるはずの桃華も、今は龍二が勝利した喜びで興奮して我を忘れ、塾生たちの群れの先頭に立って迫っているぐらいだ。

 

時雨

はいストーップ!

 

龍二の後方で時雨が気だるげな声を発したかと思うと、六芒星を境に再び結界が張られた。

なだれ込もうとしていた塾生たちは見えない壁に阻まれ、おしくらまんじゅう状態になる。

先頭にいた桃華は、障壁に顔面を強打し、さらに後ろから押されて鼻がもげそうになっていた。

せっかくの美少女が内側から見たら酷い絵面えづらだ。

時雨は龍二の横まで歩み寄ると、折り重なった塾生たちへ告げる。

 

時雨

もう遅いんだから、話は明日にしろ。俺は龍二と少し話があるから、暇なやつらはほらっ、帰った帰った!

 

時雨の一方的な物言いに、塾生たちは不服そうに異議を唱えるが、仕方なしに踵を返していく。

少しずつ人の群れが小さくなり、散り散りになってくると、真っ赤になった鼻を押さえ涙目になっている桃華と目があった。

龍二と一緒に帰ろうとしているのだろうが、龍二は首を横に振って帰るよう促す。

すると、彼女は残念そうに眉尻を下げトボトボと出口へ歩き出した。

 

 

時雨

さてと……よくやった龍二。ちゃんと鍛錬の成果が出せて俺も安心したよ

龍二

……本音は?

時雨

ったく、さっさとKOされてくれれば、もっと早く帰れたのによぉ

龍二

………………

時雨

いや冗談だって! 講師にそんな目を向けるんじゃない!

 

本当に冗談かどうかは怪しいところだ。

しかし、摸擬戦前の不敵な笑みを考えるに、龍二に期待していたのは間違いないのかもしれない。

時雨は六つの呪具の棒を回収しながら語る。

 

時雨

これで分かったろ? お前の式神さえあれば、五行を使えなくても十分戦える

龍二

は、はぁ

 

龍二は釈然としない声を漏らす。

しかし「あれは時雨先生が教えるのを面倒くさがったからじゃ?」とは聞けない。

 

時雨

陰陽五行はしっかり練習しさえすれば、一つか二つくらいなら誰にでも扱えるようになる。でも、式神との契約はそうじゃない

龍二

そんなに難しいものなんですか?

時雨

お前は式神を継承できたから、その大変さが分からないだろうが、これは本当に才能と素養の差になるんだよ。式神というのはなんだったか、言ってみろ

龍二

えっと……その人の人間性が現れた姿でしたっけ? 思想や憧れが反映された一種の呪いだって……

時雨

そうだ。だから、各個人の純粋な呪力や信念、伝承に対する造詣ぞうけいの深さなんかが強い式神を生み出せるかの鍵になる。それが中途半端な奴には、とてもじゃないが式神は生み出せない。だから結局、プロの世界でも一流と呼ばれる陰陽師たちは、強力な式神と契約しているのさ

龍二

へぇ

 

龍二は目を丸くした。

本当に才能がすべてを左右すると言っても過言でない世界。

式神の術を借りて使用することを『式術開放』、式神の装備を借りて使用することを『式装顕現』と言うが、これがないと陰陽師の世界では通用しないということだ。

下手すると、今の塾の生徒のほとんどがその他大勢に埋もれてしまうかもしれない。

 

時雨

陰陽師は式神と契約できないと三流、契約できただけでは二流。伝承に出てくるような強力な式神を顕現できるような奴しか、神将と呼ばれる位置に辿りつけない。まぁそう考えれば、前神将である鬼屋敷月菜の式神を継いだお前さんは、脈ありかもな

龍二

神将……

 

龍二は息を吞む。

神将十二柱と言えば、国家最強の実力を持つ陰陽師。

確かに雷丸は強力な式神なのかもしれないが、本当にそれが神将に相応しいかと考えると疑問に思う。

そんな龍二の複雑そうな表情から思考を読んだのか、時雨が首を振る。

 

時雨

まあ、今の雷丸じゃ無理だろうがな

龍二

先生もそう思いますか?

時雨

彼の顔に貼られているっていう札、そりゃ封印の施された札だ。なんでも、お前さんの母親は、いざとなったときにその力を解き放って死線をくぐり抜けてきたらしい。だから、お前さんがそれを解放できない限りは、まだ半端な式神さ

龍二

そうだったんですか……

 

龍二としては、雷丸の顔の札はただのアクセサリー程度にしか考えていなかった。

しかし雷丸自身もそのことには言及しないので、今は放っておくことにした。

それよりももっと多くの式術と式装を扱えるようにならなければならない。

 

時雨

さてと、そろそろ野次馬たちも帰った頃だろう。それじゃあまた明日、レクチャーしてやるから、いつもの河川敷の下でな

龍二

はい、今日はありがとうございました!

 

龍二は深く頭を下げると、陰陽庁を去って行った。