第二章 闇に眠る忠誠心
三人は足元に注意し、極力沼を歩かないように進んでいく。
毒の沼は濃い紫色だから分かりやすいが、底なし沼は見た目だけでは判断がつかない。
中にはアビススライムの群れが集まって沼のようなものを作っている光景もあった。
二人とも、敵です
真っ先に魔物の気配を察知したリンが緊張に声を震わせる。
アンナとシュウゴが立ち止まり周囲を見渡すと、前方から二体の魔物が現れた。
一体はカトブレパス。もう一体は初めて見るが、掲示板の情報通りであれば『アラクネ』だ。
アラクネは下半身が巨大な蜘蛛で上半身が女。
目は複眼で背中には蝶の羽という中々にえげつない見た目だった。
それが歩くたびに、尖った蜘蛛の足が地面を抉り、泥を撒き散らす。
これもキメラと言っていいのではないかと思うシュウゴだったが、前衛として先行しようと魔力を込め地を蹴る。
――二人とも、目を閉じてください!
その指示に困惑したシュウゴがすぐに足を止め背後を振り返ると、アンナは武器を構えたまま立ち止まって目を閉じ、その後ろでリンが杖に魔力を集中させていた。
シュウゴはリンの魔法を信じ、ぎゅっと目を閉じた。
カトブレパスとアラクネが近づいて来る足音がよく聞こえる。
ホワイトスパーク!
凛とした声と共に光が放たれ、まぶたに強烈な光を感じていると、シュウゴの背後でアンナが駆け出した。
すぐにシュウゴも目を開け、バーニアを噴射する。
目を閉じ唸りながらよろめいているカトブレパスの背へ、アンナが跳び上がる。
それを見たシュウゴは、目を抑えながら後ずさり甲高い悲鳴を上げているアラクネへと急加速。
上空から振り下ろされたアンナの斧はカトブレパスの背から心臓まで大きく叩き斬り、シュウゴがまっすぐに突き出したグレートバスターはアラクネの心臓を確実に貫いた。
断末魔の悲鳴を上げて倒れたアラクネ二体……あまりに簡単に魔物を倒してしまったシュウゴは気の抜けた声を上げていた。
アンナは肝がすわっており、既に素材の回収を始めているところだ。
シュウゴもアラクネの羽を剥ごうとするが――
後方でリンの悲鳴が上がった。
すぐに振り向くと、その背後にはアラクネの姿。
まだもう一体隠れていたのだ。
シュウゴがすぐに駆け出しバーニアの出力を上げる。
アラクネは口や指から白い糸を出し、リンの足、右腕と縛っていた。
リンは杖を落とし、首にも糸が巻かれ、強く締め上げられていく。
シュウゴが焦りに歯を食いしばった。
このままでは、シュウゴの剣が届くよりも先にアラクネがリンを絞め殺してしまう……しかし、首を絞められ苦しいはずのリンは表情を消していた。
……ブレードウインド
突如、リンの手元で風が舞ったかと思うと、アラクネの糸が切れていた。
なにが起こったのか理解できないアラクネは、直接攻撃に出ようと鋭い足の爪をリンへと振り下ろす。
――キシェェェッ!
しかし悲鳴を上げたのはアラクネだった。
リンへと振り下ろされた足は関節部から綺麗に切断されていたのだ。
すぐ後ろまで接近していたシュウゴはようやく気付く。
彼女の左手に小さな杖があったことに。
シュウゴさん、お願いします!
リンが跳び退き、シュウゴがアラクネに大剣を振り下ろす。
しかし、アラクネは指から大量の糸を出して頭上に重ね盾を作っていた。
糸の強度は想像以上で大剣は受け止められていた。
リンの風魔法で切れたのは、糸がまだ薄かったからかもしれない。
シュウゴとアラクネが押し合っていると、突然シュウゴの肩に多大な重圧がかかり後ろによろめいた。
一瞬だけ肩に乗った足はすぐにシュウゴを蹴り飛ばし宙を舞う。
その直後、アラクネの後ろに地したのはアンナだった。
キシァァァァァ!
アラクネは絶叫すると、女の上半身と蜘蛛の下半身が分離して崩れ落ち、そしてすぐに動かなくなる。
こんくらいどうってことないさ
アンナは「にしし」と気さくに笑い、リンが二人の元へ歩み寄った。
二人とも、やりましたね!
ホワイトスパークは、白魔法の発光の性質を利用してるので。あと風の杖は、普通に使っても魔物に通用しないので、リーチを捨てた分、風を圧縮して威力を上げているんですよ
なんの参考ですか?
シュウゴが適当に笑って誤魔化すと、アンナもリンは首を傾げていたものの、すぐに素材の回収を始めた。
三人はしばらく歩き、瘴気が濃くなってきたところで足を止めた。
前方を見渡すと、広い毒沼が多数点在している。
浄化マスクをしているからと言っても、直に足を浸せば皮膚が爛れかねない。
ええ、引き返すしかなさそうです
ここまで来て退くのもなぁ……
アンナが嫌そうに顔をしかめる。
シュウゴのバーニアを使えば、一人で先に進むことは可能だが、単独行動はリスクが高くシュウゴとしては避けたかった。
欲に目が眩んで突き進んでも、死んでは意味がない。
三人は口々に残念だと呟きながら踵を返す。
………………待ってください
歩き出してすぐにリンが足を止めた。
アンナとシュウゴも足を止めてリンを見ると、彼女は眉間にしわを寄せ耳がピクピクと小刻みに揺れている。
なにかしらの音を聞き、その正体を確かめるべく耳を澄ましているようだ。
……来ます
リンは神妙な表情で呟き背後へ振り向く。
彼女が見据えている斜め上空を見上げると、一体の魔獣が飛来した。
それはまっすぐにシュウゴたちの元へ飛んできて、近くの岩壁の上に降り立つ。
シュウゴたちをじっくり見下ろすその魔物は、全身が紫色の羽毛で覆われ、鋭く黄緑色のくちばしに頭には燃えるように真っ赤なトサカ。
そのでっぷりした体を支えている二本の足の後ろ、尻尾の部分からは深緑の光沢放つ鱗に覆われた蛇の尻尾を伸ばしていた。
クラスBモンスター『コカトリス』だ。
シュウゴは叫び、唖然と棒立ちで見上げている二人の前に出た。
そして左腕をコカトリスへと突き出しアイスシールドを発生させると、その氷を通してコカトリスの姿を捉えた。
シュウゴに指示されたリンは目を閉じ、白魔術の杖を掲げると魔力を溜め始める。
アンナはシュウゴのすぐ背後に走り寄り、アイスシードの内側からコカトリスを見上げた。
情報通りであれば、コカトリスと至近距離で目があえば石化するという。
対策としては直に見ないことと、近づかないこと、そしてその目を潰すことだ。
コカトリスはシュウゴたちを威嚇するよう吠えると、足場を蹴り一直線に飛び掛かって来る。
シュウゴはシールドへの衝撃に身構えるが、リンの魔法の方が早かった。
ホワイトスパーク
カアァッ!?
一瞬で周囲がホワイトアウトする。
それをもろに食らったコカトリスは、シュウゴたちのすぐ前方へ急落下し、沼の泥を激しく飛散させた。
倒れたまま唸り声を上げるコカトリスは、泥の中で両足をジタバタともがく。
今だっ! シュウゴは尻尾を斬れ! 私は頭を叩き斬る
アンナが叫ぶと、シュウゴは氷結の盾を霧散させ左肘のバーニアを左斜め後ろ、腰のバーニアを背後へ噴射し、コカトリスの右側面から尾の方へと回り込む。
アンナはまっすぐコカトリスの頭へと駆け、両腕で斧を振り上げた。
くらえぇぇぇ!
――カッ!
なに!?
アンナの斧がコカトリスの頭を叩き割るその寸前、コカトリスは目を見開いた。
それを目の前で直視してしまったアンナは、驚愕の表情を浮かべたまま石化する。
文字通り、全身が硬直し肌が石膏のように白く変色していく。
アンナ!
コカトリスは起き上がると同時に頭を振り上げ、石化したアンナを突き飛ばす。その後方にいたリンは突然の事態に身動きがとれず、
きゃあぁぁぁっ!
石化したアンナの体を真正面から受け倒れる。
当たり所が悪かったのか、身を起こしたリンの額からは一筋の血が流れていた。
コカトリスの背後へ回っていたシュウゴも、尻尾を振るわれ叩き飛ばされる。
なんとか両腕で顔を守ったものの、泥の上をゴロゴロと転がった。
悠然と立ち上がったコカトリスが羽を広げ、リンとアンナの元へ飛び掛かるも、シュウゴがすぐに立ち上がり背面噴射でコカトリスへ急接近する。
シュウゴが横から近づいてきたことに気付いたコカトリスは、羽をたたみ体を丸めるようにしてシュウゴにぶつかった。
接近とともに横薙ぎしたグレートバスターも、コカトリスの羽毛を浅く裂いたところで体当たりの勢いに負け、シュウゴごと突き飛ばされる。
シュウゴがアンナとリンの目の前へ着地すると、コカトリスはその場で静止した。
シュウゴは前を向いたまま叫ぶ。
リンは「は、はいっ!」と慌てて返事をすると、杖に魔力を溜め始めた。
しかしそれを見過ごすコカトリスではない。
コオォォォォォォォォォォォッ!
コカトリスの口から漆黒と深緑の入り混じった、猛毒のブレスが放たれる。
シュウゴは反射的にアイスシールドを展開するが――
猛毒による腐食は深刻で、氷がみるみる溶けだした。
そしてそのままシュウゴの左腕までも溶かしていく。
コカトリスのブレスが止んだときには、左腕は肘の下から完全に溶けてなくなっていた。
しゅ、シュウゴさん!
シュウゴ!?
リンとアンナの叫びがシュウゴの耳に届いた。
どうやらアンナは無事に回復したらしい。
シュウゴは叫び、コカトリスの足元へと駆ける。
コカトリスが足を振り上げるが、シュウゴは真横へ跳び回避。コカトリスがブレスを吐くがバーニアを駆使して縦横無尽に回避する。
それを見ていたアンナとリンは悔しそうに顔を歪めるが、魔方位石を取り出して転石の方向を確認すると駆け出した。
やがて、アンナとリンが遠くまで逃げ十分に時間を稼げたと悟ったシュウゴは、コカトリスにフラッシュボムを喰らわせ無事離脱する。
そして途中でアンナ、リンと合流し三人でカムラへ戻るのだった。