第二章 闇に眠る忠誠心
ある日の夜。
シュウゴは珍しく酒場に足を運んでいた。
カムラの中央にあり、夜はクエストの達成感に酔いしれたいハンターや、ひと仕事終えて慰労のために訪れる討伐隊員らがよく訪れる。
シュウゴは喧騒の中、ダークブラウンのテーブル席の隅で一人、肉と酒を楽しむ。
ここはバラム商会が運営の助勢をしており、料理も酒も格安な割に質が良い。

――あれぇ? あんた、シュウゴじゃないかい?
突然横から声を掛けられ声の主を見上げると、そこに立っていたのは、昔孤児院で一緒に暮らしていた『アンナ』だった。
ウェーブのかかった短めの銀髪を後ろで一つに束ね、肌は褐色で肩やへその出た露出度の高いレザーアーマーを身に着けている。
まるでゲームによく出るアマゾネスといった風貌だが、実は獣人族で頭にちょこんと生えている角は牛のもの。
男勝りな性格に怪力で、よくガキ大将のように振舞っていた。
シュウゴもよくからまれたが、そこは元大人の余裕で適当にあしらいあまり関わらないようにしていた。
とはいえ反応しないわけにもいかないので、シュウゴは愛想笑いを浮かべる。


やっぱりあんただったか。邪魔するよ
二カッと無邪気な笑みを弾かせたアンナは、シュウゴの許可なく向かいに座る。彼女の頬は赤くなっており、所作からも酔っていることがよく分かる。

一人でいることが裏目に出た。
アンナはトロンとした瞳をシュウゴへ向けながら、右手に持っていたジョッキを机に置く。

最近はどうよ? あんた、早くに孤児院を飛び出してったから、皆心配してたんだ

アンナがハンターになった当時、結構な噂になって広場の掲示板にも書かれていた。
獣人族の少女がバラムに認められ、その怪力で魔物と互角に渡り合っていると。

お互い辿り着く場所は同じだったってわけか。意外だったのは、あんたみたいな優男がハンターなんてやっていることだね。外で遊ぶよりも、体を鍛えるよりも、あんたは書物を読み漁ってた。目指すなら神官の上位職か、討伐隊の参謀だと思っていたんだけどねぇ
アンナはジョッキに視線を落とし、その場でグルグル回しながら語る。
シュウゴは「色々あったのさ……」と、当たり障りのない言葉で応えた。
しばらく思い出話にふけっていると、また別の女性が声を掛けてきた。

――もうっ! アンナってば、急にいなくなったと思ったらこんなところにいたのね
声をかけられたのはアンナの方だった。
目の前に立ち、疲れたように「もぅ~」と頬を膨らませているのは、長い金髪におっとりした目元、透き通るような白い肌にすらりとした体型で抜群のプロポーションを誇るエルフの女性だった。
カーキ色の長袖とスカートの上から、金属の胸当てや膝当てを装備し、深緑のマントを羽織っている。
森の弓兵といった印象だ。

ごめんリン、忘れてた
アンナは悪びれもせず陽気に笑う。そしてリンを隣に座らせると、シュウゴへ紹介する。

シュウゴ、こいつはリン。私やあんたと同じでハンターだ。昔は神官をやってたらしくてサポート専門さ。リン、こっちの冴えない男がシュウゴっていうんだ
シュウゴはずっこけそうになる。折角美女と知り合えたのに、いきなり出鼻を挫かれた。
リンの方は「もう、アンナったら」と楽しそうにクスクス笑っている。
シュウゴが苦笑しながら「よろしく」と頭を下げると、リンは柔らかく微笑んだ。

よろしくお願いしますね、シュウゴさん。ところで、気になることがあるんですが……


先日、カオスキメラを撃退した赤毛のハンターって、もしかしてあなたですか?
リンは目を輝かせシュウゴを見つめる。
シュウゴが本当のことを言おうか迷っているとアンナが笑いながら割り込んだ。

おいおい、人違いだって。シュウゴにそんなことできるわけ――


やっぱり!

……は?
アンナにカチンときて勢いで答えたシュウゴ、嬉しそうに声を弾ませるリン、理解が追いつかずキョトンとするアンナ。
それからシュウゴは、先日のカオスキメラとの戦いについて語った。

はぁ~あのシュウゴがねぇ~

ちょっとアンナ、飲み過ぎじゃない? 明日クエスト行くのに、二日酔いじゃ困るよ

明日クエストに行くの?

そうなんです。私たち先月クラスCに上がったんですけど、尻込みしてまだ沼地に行けてなかったので、明日こそはって思って

そうだったんだ
シュウゴはわずかに声のトーンを落とす。
瘴気の沼地の情報を得られると期待したが、行ったことがないのであれば仕方ない。
そのとき、アンナが急に顔を上げ焦点の合っていない目をシュウゴへ向けた。

そぉだ! シュウゴ、あんたも一緒に来いっ!

共闘に自信のないシュウゴが慌てて待ったをかけるが、リンも満更ではないようで、その場に立ち上がり律儀に頭を下げる。

シュウゴさんさえ良ければ、ぜひお願いします
しかし前世からノーと言えないサラリーマンだったシュウゴは、異世界でも変わらずで……

……今回だけだよ?
断り切れないのだった。
翌日の午後、紹介所で合流したシュウゴ、アンナ、リンの三人は相談に相談を重ね、初沼地のクエストを決めた。

転石のある第二教会へ辿り着くやいなや、シュウゴが何度目かも分からない提案を持ちかける。
彼らが受注したクエストに問題があるとシュウゴは言っているのだ。
しかし何度言ってもアンナは聞く耳を持たない。

脂肪がなんだって? 相変わらずあんたは変な言葉を使うね。とにかく、クラスCハンターが三人も集まってるんだから、大丈夫だよ
アンナは能天気にわははと笑う。リンも心配している様子はなく、二人のやりとりに口は挟まない。
彼らの今回のターゲットはクラスBモンスター『コカトリス』の討伐だ。
まずクラスBというだけで、カオスキメラと同等かそれ以上に危険な相手。
それに瘴気の沼地は今回が初めてで、勝手が全く分からない。
いくら三人がクラスCの猛者だからといっても、分が悪すぎる。
それに極めつけはシュウゴのゲーム経験である。

シュウゴは深いため息を吐くと、腕を組んで唸り始めた。
するとリンが急に声を上げる。

二人とも、あれを見て下さい
シュウゴとアンナがリンの視線の先を追いかけると、討伐隊らしきグループがハンター用の転石とは別の転石から転移していくところだった。
この第二教会に転石は二つあった。
教壇の右にあるのが、ハンター用の転石で討伐隊に同行した神官が転石を設置したフィールドに転移できる。
左側にある方は討伐隊用の転石で、マップ開拓の途中で設置した転石、いわば中断セーブのようなもので、彼らはこれを駆使して新たなフィールド開拓に挑んでいる。
有効なフィールドが発見できれば、新しい素材の発見ができ、それを職人や料理人が活用できるので町の生活水準が上がる。
だからこそ、討伐隊は民の税金によって働いているのだ。

そういえば広場の掲示板に書いてありました。討伐隊がまた新しいフィールドを発見できそうだと。なんでも、明けない砂漠の霧の薄い円周上を回りながら、その先を目指して進んでいるんだとか……

へぇ、さすがは討伐隊。どこかの誰かさんとは違って勇気があるねぇ
アンナが意地の悪い笑みを浮かべシュウゴを見る。
シュウゴは反論出来なかった。
自分が逃げ出した明けない砂漠で戦っている戦士たちがいる。
彼らは彼らなりのやり方で前に進んでいるのだ。



確かに失敗する可能性は高い。
だがゲームでもモンスターを初見で倒すことは難しい。
何回も挑んで負けながらも、その挙動や特性を経験として蓄積していくのだ。
この世界もゲームと大きくは変わらない。
明確に異なる点と言えば、死ねばそれっきりだということ。
それならば――

三人は緊張半分、好奇心半分で瘴気の沼地へと乗り込んだ――

フィールドに到着してすぐにシュウゴが咳き込んだ。
続いてアンナとリンも「うっ……」と顔を真っ青にして口元を抑えており、シュウゴはアイテムポーチに手を回して充血した目で叫ぶ。

アンナとリンも慌てて浄化マスクを顔につけ、三人ともしばらく無言で息を整えた。
浄化マスクは、網目の木のカバーが口を覆いかぶさる形状になっており、カバーの内側は平べったい布のマスクになっている。
この網目になったカバーの素材は、浄化の杖を加工したものであり、微小な魔力を与えることで有毒な物質を吸い込まないようにできている。
これもシュウゴが設計したものだ。

ふぅ、まったく誰だよ、掲示板に嘘の情報を貼り付けたアホは!? どこがマスク推奨だよ!? こんなん必須の間違いだろ。死ぬところだったわ

アンナが額に青筋を浮かべ憤慨している。
マスクによって声がくぐもっているため、よく聞かなければ魔物の唸り声にも聞こえかねない。
シュウゴは大剣を背から肩に担ぎ直して歩き出した。

アンナも背に納めていた大斧を両手で持つ。
かなりの巨大さと重量を持つ斧だ。
柄の上部である斧頭にはカトブレパスの頭蓋骨が使われており、あえて重量を上げ、刃の部分は討伐隊が開拓中の滝の裏で掘ったという高ランク鉱石を使っている。
牛と人の獣人族であるアンナだからこそ扱える代物というわけだ。
リンは太く長い木製の杖を両手で抱える。
それは白魔術を宿した杖であり、神官を辞職した際に愛用していたものを贈られたという。
あらゆる白魔術が封入されており、それだけ制御が難しいが、使いこなせば傷の治療だけでなく、状態異常の回復やバリアをはることも可能。

にしても、シュウゴの装備は凄いねぇ。その細身にイカした重装備なんて反則だろぅ

カッコいいですよね

た、大したことないよ。それよりも沼には気を付けて
アンナとリンに羨望の眼差しを向けられ、シュウゴは頬が緩んでいた。
シュウゴは慎重に二人の前を歩いて進んで行く。
辺りには沼に生える灰色の草や枯れた木々が無数に生えており、酷いものだった。
いったいどうやったらここまで自然が朽ちるのか想像もつかない。
もしかしかたら、アンフィスバエナのような巨大ななにかが瘴気を発生させているのかもしれないと、シュウゴは緊張に顔を強張らせるのだった。