第一章 絶望の異世界
その光景はシュウゴの想像を遥かに超えていた。
イメージしていた砂漠などどこにもなく、辺り一帯が真黒だった。
風は強く、砂塵と共に黒い霧を巻き上げている。
それに肌寒く、この広大な闇に一人だという孤独感が少しずつ恐怖心を増大させていく。
シュウゴは深く深呼吸すると、グレートバスターを背から肩へ担ぎ直し、ゆっくりと歩き出した。
周囲がまったく見渡せず、どこへ進むかの検討もつけられないまま進む。
しばらく進むと、砂嵐の荒々しい風切り音に紛れ、なにかの足音が聞こえ始めた。
足を止め冷静に耳を澄ますと、大きな魔物の足音や甲高い鳴き声がときたま風に乗って聞こえてくる。
まるでホラーゲームでもやっているかのような恐怖に身震いした。
ここまで進んで、やっとまともな思考ができたことに苦笑する。
しかしそう考えると、無数に現れるという情報だったアリジゴクは全然現れない。
シュウゴの気が抜けてため息がもれた。
立ち止まり上空を仰ぐが、真っ暗でなにも見えない。
気を取り直して前を見た次の瞬間――カトブレパスの頭が目の前にあった。
カトブレパスの重い頭を叩きつけられ、シュウゴの体が吹き飛ばされる。
しかし、気付いてすぐに目を閉じて両腕でガード出来たのは不幸中の幸いだった。
あの魔眼を直で見てしまっては、その時点で終わりだ。
シュウゴは勢いよく砂の上を擦り砂塵を巻き上げて転がる。
やがて静止すると激しく咳き込んだ。
うつ伏せの状態から顔を上げ周囲を見回すと、四体のカトブレパスに囲まれていた。
しかしいくら視界が悪くとも、鈍足のカトブレパスの接近に気付かないはずはない。
と、なると……
くそっ! そういうことか!
シュウゴはカトブレパスに接近されたのを気付けなかったのではなく、カトブレパスに接近していたのを気付けなかったのだ。
状況を把握すると、一緒に飛ばされた大剣を掴み、立ち上がるべく膝を立てる。
っ!?
次の瞬間、体勢が崩れた。
手や足をついていた砂が突然崩れたのだ。
そしてそれは大きな渦となって巨大な円を作り、その中央へ吸い込まれていく。
そんな!? アリジゴクだと!?
シュウゴの体もその流れに従って次第に埋もれていく。
さらに、上空からイービルアイが飛来し、その目の中央に光を収束させ始めた。
先ほど聞こえた甲高い鳴き声の正体はこれか。
絶体絶命の状況に奥歯を強く噛みしめる。
その体は既に腹まで埋まっており、中央のくぼみへはもうすぐだ。
くっ!
シュウゴは急いで左腕を頭上に掲げ、氷の障壁を作った。
同時にイービルアイのレーザーが放たれ、衝撃と熱量にひたすら耐える。
さらに、両足に強い衝撃が走った。
両側からなにかに挟まれているようだ。
その力はあまりにも強く、もし生身の足だったらいとも簡単に潰されていただろう。
おそらく、アリジゴクの大顎だ。
シュウゴを地中へ引きずり込もうと怪力で引っ張っている。
ぐぅぅぅっ
今度こそ万事休すに思われた。
しかし――
うおぉぉぉぉぉっ!
イービルアイのレーザー放射が終わると同時にシュウゴは叫んだ。
全魔力をバーニアとブーツに集中させる。
イービルアイの次の照射までのインターバルは十秒程度。
それまでに脱出しなければならない。
風魔法と炎魔法による圧縮燃焼で噴射し、地上へ飛び上がろうとする。
――ブォォォォォォォォォォッ!
地中でけたたましい爆音が鳴り響く。
徐々にシュウゴの火力がアリジゴクの力を上回り、砂の渦から脱していくが、アリジゴクはそれでも足からアゴを離さない。
やがて、シュウゴはアリジゴクごと地中から抜け出すことに成功し、海で大物でも釣ったかのように砂煙が盛大に舞い上がる。
いやデカっ!
全身の露出したアリジゴクは想像以上に巨大だった。
全長は十メートルほどで背中に硬い殻を持ち、内側からは野太い足が六本。
頭自体は小さいものの、アゴだけが巨大でギザギザのはさみのようになっている。
だがさすがのアリジゴクも空中での咬合力は地中のときより弱く、すぐにシュウゴの足から口を離した。
そのまま流砂の渦へと落下していく。
逃がすかっ!
シュウゴは肘のバーニアを上へ向けて噴射すると、アリジゴクへ急降下し左手で右側のアゴを掴む。
そして、右の大剣を振り下ろした。
キキキキキキキキキ!
アリジゴクの右顎のはさみを切断したシュウゴは、すぐさま横へと噴射し緊急回避。
直後、イービルアイのレーザーがアリジゴクの頭上からまっすぐ降り注ぐ。
アリジゴクは地上へ叩きつけられたが、さすがにそれだけでは死なず、そのまま地中へと潜っていく。
シモンの依頼通りアリジゴクの素材を手に入れたシュウゴは、方角も確認せず無我夢中で飛び去るのだった。
しばらく低空飛行を続けたシュウゴは適当なところで着地する。
ここまで移動すれば、オアシスか廃墟ぐらいはあると踏んでいたが、そんなものどこにもなく、どこまでも砂漠が広がっているだけだった。
シュウゴはよく耳を澄まし、魔物が近くにいないことを確認すると、大剣を地面に刺しアイテムポーチを漁った。
素材収納ゴム袋を取り出しアリジゴクの顎を入れると、エーテルを飲んで魔力を回復した。
深いため息をつき、魔方位石を取り出して転石の方向を確認する。石の光の強弱は明確で、転石の方向はだいたい分かった。
大剣を抜き、再び飛び上がろうとした、そのとき――
――ゴオオオォォォォォォォォォォ!!
地面が大きく揺れた。
シュウゴは体勢を崩し、その場に膝をつく。揺れはしばらく収まらず、なにが起こっているか見当もつかない。
せめて、黒霧が止んでさえくれれば状況が見渡せるというのに。
アイテムポーチを急いで漁り、フラッシュボムを取り出した。
掌に収まるほどのサイズで、上のボタンを押すと三秒後に強烈な光を発する消耗品だ。
イービルアイのレーザーを収束でなく、発散させるという発想からシュウゴが設計したもので、今ではハンターの間で大人気のアイテムとなっている。
シュウゴは早速ボタンを押し、前方の上空へ向かって放り投げた。
――パアァァァァァン!
破裂音のような乾いた音が鳴った直後、視界は光に包まれる。
シュウゴは数秒経ってからゆっくりと目を開けた。
彼の思惑通り視界が晴れ、目の前の光景が良く見えるようになった。
そしてすぐに、見なければ良かったと後悔することになる。
目の前……いや、砂漠を埋め尽くしているのは、一体の蛇だった。
もはや竜とも言える。
この広大な砂漠を『泳いでいる』蛇竜がいたのだ。
その巨大さを言葉で表すことは難しく、潜っては遠く離れた場所に姿を現し、また潜っては……というように、たった一体の体で砂漠中に無数のアーチを作っている。
その漆黒の鱗は鈍い光沢を放ち、途轍もない強度を誇っていることはド素人にも分かる。
そして、その体から発されているのが黒い霧だ。
つまり、この蛇竜こそが砂漠を闇に包んでいる謎の正体だった。
シュウゴは目を見開いて後ずさり、すぐさま魔方位石で転石の方向を確認すると、全速力で戦場を離脱した。
無事にカムラへ戻ったシュウゴは、紹介所でいつも通りクエストの完了手続きを済ませるとシモンの元へ向かった。
こりゃまた凄い恰好だな。それにその顔、幽霊でも見たのかい? まあ座りなよ
シュウゴが入るなりシモンが陽気に笑う。
いつも通りマイペースなシモンのおかげで、シュウゴはようやく冷静さを取り戻し自分の状況を認識した。
体中砂だらけで髪はボサボサ。
顔が酷く強張っているのが分かる。
口の中が砂でジャリジャリしているが、今はそんなことに構っている余裕はない
そうか、きっちりこなしてくるとはさすがだねぇ。で、なにか有益な情報は得られたのか?
シュウゴがやれやれとため息をつき、アリジゴクに噛まれた両足の膝辺りに目線を落とす。
シモンはシュウゴの視線を追って隼の足の膝回りをじっくりと目視点検していく。しばらく独り言を呟きながら入念に見ていたが、いつになく真剣な表情になった。
なるほどね。確かにこの両方のヒビを見れば敵の強さが分かる。今度、きっちり修理しよう。このヒビを放っておいたら、いつか壊れて歩けなくなるぞ
わ、分かった。ぜひとも頼むよ
まぁかなり大変だったようだけど、無事でなによりだ。でも、その辛気臭い表情は、これが原因じゃないんだろ?
……ああ
さすがに勘が鋭い。シモンの妖しく光る瞳に先を促され、砂漠の汚染源について話す。
魔物の群れから間一髪で逃げ切った後、どこかも分からない場所で休憩してたんだ。そのとき、フラッシュボムを使えば一時的に周囲が見渡せるんじゃないかって閃いたわけさ。で、実際にそれをやったら確かに見えたんだよ、砂漠の全貌が
砂漠の全貌? ずいぶん大げさな言い方だな
……一体の蛇、いや、竜がいたんだ。そいつは地上と地中を縫い、砂漠中に体を張り巡らせていた。その体から熱気みたいに湧き出ていたのが、砂漠を覆っている黒い霧だったんだよ
シモンは腕を組んで真剣な表情で聞き入っていた。シュウゴが語り終えると、彼は奥にある棚から一冊の書物を取り出した。
持ち主不明の手記だよ。数年前、港に漂着していたのを僕が拾ったんだ。書いてある内容が突拍子もないことばかりだったから、誰にも教えずにお蔵入りしていたんだけど……おっ、あった!
シモンが興奮したようにそのページをシュウゴへ見せる。
そこには、とある蛇竜のことが書かれていた。
そのページに載っていた魔物の名だ。
それが砂漠の支配者であり、それを倒さないと砂漠の霧は晴れないと書かれている。
そして、いつかはその範囲を広げ、隣接する町まで飲み込むとも……
まさか本当に存在しているなんてね。もし凶霧解明のために戦い続けるのであれば、避けては通れない道だろう
シモンの言う通りだ。凶霧の謎を解明し元の世界へ帰るためには、どんな強大な敵だろうと立ち向かわなくてはいけない。
シュウゴは自分に言い聞かせるように呟き、拳を強く握る。
そしてまとわりつく絶望を振り払うべく、前へ進むことを胸に誓うのだった。