#8 妖怪屋敷【半妖の陰陽道 第二章】

第二章 百鬼夜行・龍の臣

 

 

田んぼ道を抜け、近道だからと頼りなさげな木々が両脇に並ぶ、舗装もされていない細道を歩いて行く。

するとすぐに、背の高い土塀に囲まれた木戸門へ辿り着いた。

遠目に見ても、屋敷の庭で咲き誇る枝垂桜は美しい。黄昏に輝やき、もはや神々しさすらまとっている。

これには桃華も見惚れていた。

 

桃華
どれだけ経っても、いつ見ても綺麗ですねぇ
龍二
ああ、母さんの自慢さ

 

龍二はいつも通り門横にある通用口から入ろうと、鍵をさそうとする。

そこでようやく異変に気付いた。

 

龍二
……開いてる?

 

想定外の事態に龍二が固まっていると、桃華も横に並んで鍵穴を覗き込んだ。

銀次の話では、業者が玄関まで荷物を運べるようにと、母から預かっていた鍵を知人に渡すと言っていた。そして荷物の運搬が終われば、普通は鍵を閉めるはずだ。

単純な閉め忘れなら、不用心に他ならない。

それも、他人の家ならなおのこと大問題だ。

 

桃華

ほんとですね。お父さんの知人の方が閉め忘れたんでしょうか?

龍二
まったく勘弁してくれよ
桃華

本当にごめんなさい。これでもしなにかあったら、ちゃんと対応するようにと、お父さんには厳しく言っておきますから

龍二
まあいいさ。大したものなんて持ってないんだし

 

龍二は苦笑すると鍵をポケットへ仕舞い、通用口を開けた。

「まったくお父さんてば……」とぷんすか憤慨している桃華と共に、本邸の砂利石の上に足を踏み入れる。

 

周囲を見渡すと、いつも通り石灯籠が置いてあるだけで、特に異変はない。

だが本邸の纏う雰囲気は普段とは違っていた。

なんだか薄気味悪く、肌寒さを感じさせるような怪しい空気が蔓延まんえんしている。

桃華も警戒しているのだろう、口を堅く結んで慎重に辺りを見回していた。

 

しかし妙だ。

龍二の予想では、玄関の奥に立っている、百鬼夜行図の描かれた衝立ついたての前にたくさんのダンボールが置かれているはず……

そうこうしているうちに、日も完全に暮れ、暗くなって来たタイミングで――

 

桃華

――きゃっ

龍二
な、なんだ!?

 

突然、雪の結晶が舞い吹雪のような強風が襲いかかる。

桃華はスカートを押さえ、龍二も両腕で顔をかばって風を遮る。

あまりの寒さにこごえ死ぬかと思ったが、それも一瞬。

風はすぐに止み、龍二が困惑しながら腕を降ろすと、周囲の石灯籠が明かりを灯し始めた。

 

 

桃華
な、なに?

 

桃華が驚いてキョロキョロと辺りを見回すが、龍二は玄関に突然現れた人物を見据えていた。

白い雪の結晶の刺繍をあしらった水色の着物を着て、透き通るような姫カットの銀髪を後ろでまとめ花のかんざしを差している、妙齢の美女だ。

おっとりした目元に、包容力溢れる微笑みを浮かべているが、頬のなきぼくろがどこか色っぽい。

玄関で正座し、まるで主人の帰りを待っているかのようだ。

桃華も龍二の視線の先を追い、彼女の存在に気付く。

 

桃華

わっ、凄く綺麗なお姉さんです。あの人は誰ですか?

 

桃華がそう聞いて来るが、龍二は答えず玄関へと歩いていく。

 

桃華

ちょっ、ちょっとー!?

 

桃華も慌ててついて来る。

玄関まで辿り着くと、美女は両手を床へつき深く頭を下げた。

 

雪姫

お帰りなさいませ、龍二様

 

見知らぬ美女の慇懃いんぎんな対応に困惑する。

だが、龍二はどこか懐かしさを感じた。

なぜ自分の名を知っているのか、なぜ勝手に本邸へ上がっているのか、ここに置いていた荷物はどうしたのか、など聞きたいことは山ほどあったが、龍二は一旦呼吸を整える。

 

龍二
……あなたは?
雪姫

申し遅れました。私は雪女の『雪姫ゆきひめ』と申します。先代の頭首様に仕えておりました。こんなところではなんですから、どうぞこちらへ。居間で詳しくご説明します

 

そう言って雪姫は立ち上がり、屋敷の奥へと促す。

龍二が靴を脱ぐためにトートバッグを床に置くと、雪姫は「失礼します」と言ってそれを持ち、奥へ歩いていく。

彼女の姿が見えなくなったところで、桃華が龍二に詰め寄った。

 

桃華

ど、どういうことですか、龍二さん!? 私というものがありながら、お手伝いさんを雇うだなんて!

龍二
し、知らん! 俺だって混乱してるんだよ
桃華

ぐぬぅ~

龍二
まあ落ち着けって。まずは話を聞いてみようじゃないか

 

龍二は「どう、どう」と気色きしょくばんで今にも飛びかかってきそうな桃華をなだめると、すぐに雪姫の後を追う。

桃華は怪しむようにジト目を向けながら黙って後ろに続く。

 

居間の前では、雪姫が襖を開け待っていた。

中に入ると、黄金色の草で編み込まれた畳の部屋が視界に広がり、焚かれていたこうの香りが優しく漂う。

室内は行灯あんどんが白い光を放っているおかげで明るい。

壁際には水彩画が飾られ、奥の壇上には水仙の生け花が置かれており風情がある。

 

雪姫

どうぞこちらへ

 

雪姫に促され、龍二と桃華は並んで敷かれていた、紫の座布団の上に座る。

表面に龍の刺繍がされた、高級な正絹しょうけんでつくられた座布団だ。

座り心地が非常に良い。

雪姫も龍二たちの目の前に正座し、真剣な表情で向き合う。

 

 

雪姫

まずはお母上のこと、心よりお悔やみ申し上げます

龍二
っ! なにか知っているんですか!?
雪姫

申し訳ありません。詳しいことは私も……

 

雪姫は申し訳なさそうにまつ毛を伏せる。

期待してしまった龍二は、ため息を吐いて気を落ち着かせた。

 

龍二
では、あなたはなぜここに? 父に仕えていたと言ってましたけど、どうして急に現れたりしたんですか?
雪姫

それは、あなた様の龍血鬼としての血が目覚めたからです。普段からこの屋敷にはいましたが、龍二様や桃華さんの目につかないよう、姿を現さなかったんです

龍二
そうだったのか……

 

龍二は納得したように声を漏らす。

これで色々と腑に落ちた。

これまでたまに感じていた視線や、誰もいないはずなのに屋敷が綺麗に保たれていた理由が。

とりあえず龍二は桃華へしたり顔を向ける。

 

龍二

ほら聞いた通りだ。俺はなにも知らなかったし、自分で呼んだんじゃない

桃華
ふ~ん

 

だが桃華は不服そうだ。

彼女は疑いの目を雪姫へ向け、唇を尖らせながら問う。

 

桃華

どうして隠れてる必要があったんですか? 私は仕方ないとしても、龍二さんには知られても問題ないと思うんですけど

雪姫

それは龍二様のお母上、月菜様との約束です。龍二様には可能な限り、こちらの世界へ足を踏み入れてほしくないからと。しかし今はもう、月菜様は亡くなられ龍二様の力は妖たちの知るものとなりました。ですから、龍二様をお守りするためには姿を隠してはいられないのです

桃華

……それなら、仕方ないですね

 

桃華は複雑そうに眉を寄せていたが、それ以上はなにも言わなかった。

月菜の願いについては、彼女も聞いたばかりだ。否定のしようがない。

 

龍二

雪姫さん、父のことを教えてください。あなたがなぜ父に仕えていたのか、他にも仲間はいるのか、父はいったいどこへいってしまったのかを

 

龍二の声には熱がこもっていた。

聞かなければいけないことがたくさんあった。

銀次が言っていた、父の築いた百鬼夜行と彼の行方を。

それがもしかしたら、母を襲った者たちと繋がるかもしれない。

雪姫はこくりと頷くと、追憶に浸るように目を細め微笑を浮かべた。

 

雪姫

我が頭首、皇鬼様はお優しい方でした。数百年前に吸血鬼として異国から渡り、龍の血を吸った頭首様は力に溺れることなくしばらく、この国を彷徨っていたそうです。当時、この国の陰陽師たちは妖は絶対悪と認識し、無害で矮小な妖から人としての心を持った半妖まで容赦なく滅していました。それを許せなかった頭首様は、陰陽師と敵対し多くの妖を救ったのです。私もその一人でした

龍二

そんなことが……

 

龍二は驚嘆に呟く。

銀次に聞いて想像していた人物像とは全く違った。

圧倒的な力を持つという話から、かなりの傑物を想像していたがそんなことはなく、妖とは思えないほどの温情を持っていたようだ。

息子の龍二としては、そんな父を持てたことがなんだか誇らしい。

 

雪姫

あの方の魅力は情に厚いところです。弱い妖を陰陽師から助けるだけでなく、己の血を分け与えて瀕死の状態から救ったり、自らの身を守るための力をつけさせたりしていました。しばらくすると、頭首様に助けられ恩義を感じていた妖たちが頭首様の元へ集まり始め、いつしか百鬼夜行だなんて言われるようになったのです

龍二

それは銀次さん……桃華のお父さんからも聞きました。己の血を分け与えたことで最強の百鬼夜行を成したと。でも、今ではそんな話、噂にもなりません

 

龍二は眉を寄せ表情を引き締めた。

現代でも百鬼夜行というものは存在する。

妖たちが徒党を組み、一つの組織として行動しているものの総称だ。

龍二の聞いたことのある百鬼夜行では、『悪鬼組』や『怪談衆』などがある。

 

しかし、龍血鬼の率いた百鬼夜行の噂など聞いたこともない。

桃華にも「知ってるか?」と視線を向けるが、彼女も首をゆっくりと横へ振った。

 

雪姫

今でも頭首様の『百鬼夜行・龍のしん』は活動しています。幹部の一人が頭首代理として率いていますが、人と関わるようなことはしていないので、もう忘れ去られているのでしょう。もちろん、今は離れていますが私もその一員でした

龍二

それなら父はどこに?

 

龍二が神妙な表情で問うと、雪姫は悲しげな表情でその長いまつ毛を伏せた。

 

 

雪姫

頭首様は……ある日、お一人でいるところを陰陽師に襲われ、お亡くなりになりました

龍二

そんなっ……まさか、神将十二柱が!?

雪姫

相手の素性は分かりません。当時の頭首補佐が駆けつけたときには、瀕死の頭首様が横たわっていたそうです。それがあってからすぐに百鬼夜行は縮小し、月菜様はまだ幼い龍二様を連れてここを出ていかれたのです

龍二

そんなっ、どうして……

 

龍二は言葉を詰まらせ、やるせない気持ちで拳を握る。

父、皇鬼は人に害を成すような妖ではない。昔ならばいざ知らず、十数年前であればむやみやたらと陰陽師に狙われることもないはず。

そしてなにより、数百年も陰陽師たちと戦い生き抜いてきた龍血鬼が負けるなど、にわかには信じられなかった。

そのとき、嫌な想像が脳裏をよぎり龍二はハッと顔を上げる。

 

龍二

まさか、黒災牙を作るために牙を抜いたから……

雪姫

いいえ、たとえ牙がなくとも頭首様のお力は絶対的なものです。陰陽師などにおくれをとりはしません

龍二

じゃあ、いったいどうやって父を殺したっていうんだ!?

雪姫

そ、それは……

 

興奮に声を荒げた龍二に、雪姫は肩を落とし頬を歪ませて俯く。

桃華も心配そうに眉尻を下げ、控えめに声をかけてきた。

 

桃華

りゅ、龍二さん……

龍二

……怒鳴ったりしてすみません

雪姫

いえ、謝るのはこちらのほうです。すべては私たちが力不足だったせいですから

 

雪姫はそう言って深く頭を下げる。

場には重苦しい雰囲気が漂っていた。

悲しい真実を明かされ、行き場のない怒りはどこへぶつけることもできず、龍二はただ黙って拳を強く握りしめるだけだ。

桃華も今は大人しく下を向いている。

そのとき、

 

――姫ちゃーん!

 

そんな空気を払拭するかのような、明るい声が廊下から響いた。

聞き覚えのない声に困惑する龍二だったが、パタパタと軽快な足音はすぐそこまで迫っている。