第二章 百鬼夜行・龍の臣
龍二たちの激闘のすぐ後、嵐堂銀次はいつかの夜のように星を見上げていた。
やはり、こうなったか
銀次は悲しげに視線を落とし、ぽつりと呟いた。
その背中には悲壮感が漂っている。
それは、龍二が半妖として力を開放してしまったこと。
そして、星を読んで見えてしまった絶望の未来。
もう、見て見ぬふりはできないな
そう言うと、静かに目を閉じ拳を握る。
桃華という、たった一人の愛娘の未来を守るため、決意を固めるのだった。
…………………………
とある山脈の狭間にある隠世。
彼以外なんぴとたりとも侵入を許されない、永遠の闇に包まれた異空間。
凄まじい突風が吹き荒れる中、動じず堂々とたたずみ、虚無の空を見上げる者がいた。
白銀の髪は風で暴れ、その隙間から覗く深紅の瞳は妖しく輝く。
今、御許へ
低く淡々とした声で呟くと、腰の刀を抜き目にも止まらぬ速さで抜刀一閃。
すると、闇の空間が裂け徐々に広がり、蒼黒の夜空の下に広がる山道が現れた。
主様の最後の命、身命を賭して果たしてみせましょう
男は無表情で呟くと、現世へと十数年ぶりに足を踏み入れた。
主との盟約に従い、目的を果たすため――
…………………………
封印されていた血が目覚めた
ほぅ? それは本当か?
そこは、カタギではない者たちの組が構える事務所。
電気も点けず暗闇の中、会話する二体の妖の姿があった。
片方は、琥珀色の髪に色白で痩せ細った青年の姿で、上質なグレーのスーツを着崩し、鋭い眼差しを向けている。
もう片方は、口元まで隠れた黒装束を身に纏った女。肌の露出が少なく謎めいていて、整った鼻筋に切れ長の目は美しく、触れたら切れてしまいそうな鋭利な印象を受ける。
妖を変異させる希少な血だ。それを求めて争いが起こるだろう
なら、誰よりも先に手に入れるだけだ
至極その通り
……いいのか? それって、あんたの主の――
――不要な気遣いだ
女がぴしゃりと言い放つと、青年は愉快そうに頬を緩ませた。
般若、首なし
はっ! こちらに
青年の呼びかけに応え、暗闇の中に二つの影が浮かび上がる。
返事をしたのは、しわがれた老人の声だった。
すぐに越前へ向かえ
承知
…………………………
東京にある陰陽庁の高層ビル。
そこの最上階では、もう夜も遅いというのに、まだ仕事をしている男の姿があった。
黒い烏帽子をかぶり、白の狩衣を纏った平安貴族のような男。
あまりにも時代錯誤だが、シャープな輪郭に細い眉と長いまつ毛、そして狐のように細く鋭い眼差しもあってか、違和感がまるでない。
陰陽庁の長官で、安倍清明、土御門摩荼羅といった歴代最強の陰陽師たちに匹敵すると称される、土御門清麿だ。
彼の鋭い眼差しに射抜かれ、一瞬たじろいだ女性の天文官だったが、すぐに我を取り戻し机の前まで歩いていくと報告を始めた。
取り乱してしまい、申し訳ございません。たった今、北の方角から強大な妖気の発露を察知しました
ほぅ? して、それはどのような?
清麿は興味深そうに目を細める。
それが、とても恐ろしく禍々しい星なのです。ただただ真っ黒に燃えていて……ですが、すぐにまた消えてしまいました
……なるほどねぇ、そうか……まさか僕の代で、とはね
清麿は困ったように眉を寄せ呟くと、立ち上がり窓際まで歩いていく。
さて、ご先祖様でも破られた力、僕に御しきれるやろか――
…………………………
事件から数日、全身の火傷で入院していた龍二だったが、陰陽技官たちの術のおかげで回復は早かった。
だが、陰陽道に精通している医師ですら、その回復力の異常さに驚いたという。運ばれたときには、再起不能といっても過言ではない状態だったそうだ。
桃華は入院するほどではなく、酷い火傷ではあったものの毎日通院するぐらいで大丈夫だった。
その点は龍二も安心したが、病院に来るたびに
龍二さん、元気ですかーー!? お見舞いに来ましたよーっ!
と、暑苦しい調子で見舞いに来るものだから、他の患者や看護師の生暖かい視線にゲンナリした。ただ、いつもと変わらない様子がありがたい。
龍二は退院後、先日の事件の重要参考人として陰陽庁の支局へと連行され、取り調べを受けた。
なぜあの場にいたのか、ただの一般人がなぜ妖と戦おうとしたのか、どうやって牛鬼を倒したのかなど。
桃華にも同じことを聞いたのだろうが、聞かれたことは包み隠さずすべて話した。
だがそれだけでは、許してくれなかった。
龍二の力のことだ。
複数の陰陽技官に目撃されているのだから、言い訳のしようがない。
あの刀はいったいなんなのか、どんな力を持つ半妖なのか、高圧的に問い質されたが、それは龍二自身にも分からず答えられなかった。
それに、突然空から刀が降って来たなんて言っても、信じてもらえるわけがない。
龍二の答えが要領を得ず担当の技官が苛立ち始めた頃、現れたのは桃華の父、嵐堂銀次だった。
彼はそう告げた。
そんな簡単に済むことではないだろうと思う龍二だったが、なぜだか技官たちは銀次が言うならばと、簡単に龍二の身を解放した。
陰陽庁のOBというのは、そこまでの権力を保持しているものなのだろうかと、首を傾げるがようやく解放されたので良しとする。
――回復は順調のようだね
その後、銀次から「大事な話がある」ということで、龍二は嵐堂家の居間で銀次と向かい合っていた。
木目調のテーブルを挟んで畳の上に正座し、龍二の横には桃華が緊張の面持ちで背筋をピンと伸ばしている。縁側の格子状の引き戸は開けられており、中庭から舞い込む陽光はポカポカとして心地良い。
ゆったりとした様子で背筋を伸ばして座っている銀次の横には、梅柄の刺繍がされた紺色の刀袋が置かれている。
龍二は頭に疑問符を浮かべ、隣で落ち着きなく視線をキョロキョロさせている桃華へ問う。
だ、だって、これから龍二さんの秘密が明かされるんですよ? なんかドキドキしちゃうじゃないですか~
まったく、これだから龍二さんは
龍二の冷淡な反応に、桃華はやれやれ仕方がないなとため息を吐く。
なんだかイラッときた龍二だったが、目の前で銀次が咳払いすると、まっすぐに前を向いた。
彼は横に置いていた刀を掴むと告げた。
まずはこれを返そう
刀袋から取り出されたのは、龍二の力を封印していた刀だった。
黒い鞘に納められた刀は、もう封印の呪符が貼られていないためか、禍々しく強大な妖気を溢れさせている。
しかしこれは、陰陽庁に没収され支局で保管されていたはず。
この男はそれすらも取り返したというのか。
この刀の名は、『妖刀・黒災牙』
君の父の牙を元に作られた刀だ
思わぬ言葉に龍二は目を丸くする。
父は龍二が物心ついたときからおらず、母も詳しくは話そうとしなかったため、どんな人物だったのか知らない。
それに牙を元に作られたという言葉に違和感を感じる。
龍二は自分の中で渦巻いていた疑問の答えが、すぐ目の前にあるのだと悟った。
覚悟を決め強い眼差しで銀次の目を見ると、彼も分かったというように頷く。
君も想像していることだと思うが、君の父『鬼屋敷皇鬼』は人間ではない
桃華がひっくり返りそうなほどオーバーなリアクションをとるが、龍二は特に驚かない。
牛鬼と戦ったときに彼が扱っていた力は、疑いようもなく妖力。つまり妖が扱う力だ。
しかし母は間違いなく人間。
そうなると、考えられる可能性はかなり限られてくるのだ。
龍二はコクリと頷くと、無言の視線で銀次に先を促した。
遠い昔、一体の吸血鬼が異国から渡って来た。彼は人の血を吸い生きながらえてきたが、ある日、隔離世の山に迷い込んだ。そこにいたのが黒龍王という漆黒の炎を操る龍だ
漆黒の炎。
取り調べの担当をしていた技官たちも知らない力だと言っていたが、龍の力だとは想像もしなかった。
いくら妖の跋扈する世界だと言っても、龍などは伝説上の生き物にすぎないのだ。
人の怨霊や悪意などから生まれる妖とはわけが違う。
さすがに勝ち目がないと悟った吸血鬼は、龍の隙をついてその血を吸った。それによって絶大な力を得た吸血鬼は、龍を退け現世へ戻ったという。以後、彼は『龍血鬼』と呼ばれるようになった。君が黒い炎を扱えるのは、黒龍王の血を継いでいるからだ
そうだ。その龍血鬼こそ君の父親だよ
龍二は衝撃の真実に声を詰まらせた。
まさか、そんなとてつもなく恐ろしい血が流れていたなど、思うはずもない。
それなら母がその力を封じていたのも頷ける。
横に座る桃華も、話についていけていないようで、目を点にしてボーっとしているぐらいだ。
そうだ。吸血鬼というのは、その牙を突き立て人から血を吸うが、妖からは妖気を吸う
ああ。つまり、君が受け継いだ強大な妖気を封じるのに、最適だったというわけだ
龍二にもようやく分かった。
黒龍王の力を妖刀に吸わせることで抑制し、さらに封印の呪符を貼ることで、龍二自身から完全に隔離していたということだろう。
しかし疑問が生じた。
吸血鬼にとって牙とは、大事な体の一部のはず。
……そういうことですか。しかしなぜ、自分の牙なんていう大事なものを使ってまで、妖刀を作ったんでしょうか?
それは、月菜くんと同じ理由だろう
銀次は頬を緩め優しく諭すように言った。
龍二の脳裏に、黒災牙を握ったときに伝わって来た母の言葉を思い出す。
――あなたは無能なんかじゃない。そう思わせてしまったのは、私たちのせいなの――
あのとき感じた違和感、それは母ともう一人の誰かの存在が感じられたからだ。
今ようやく、それは父だったのだと理解する。
そして、自身の牙を使って黒災牙を作った理由が母と同じなのだとしたら――
――こんな力を持っていたら、きっと危険な争いに巻き込まれる。あなたにはただ平和に暮らして、幸せになってほしかった――
龍二は大きく息を吸って目を閉じる。
頬が歪みそうになるのを必死に抑える。
気を緩めれば、今にも涙がこぼれ落ちそうだった。
龍二にとっては顔も声も知らない父。それでもやはり父だった。
母と同じように、息子の幸せを一番に考えていたのだ。
二人の息子として、こんなに嬉しいことはない。
桃華が遠慮がちに呟きながら、龍二の背中に手を置く。
いつもは元気で騒々しいくせに、こんなときだけ空気を読めるから困る。
銀次もしばらくなにも言わず、龍二が落ち着くのを待った。
それからしばらくして、龍二は清々しい表情で銀次の目を見て問う。
分からない。黒災牙が完成してからしばらくして、行方不明になったんだ
彼の星は禍々しく強大なものだったが、急に消失してしまったんだ。そんなことできる陰陽師がいるとは思えないが、もしかすると彼はもう……
桃華が声を震わせながら両手で口元を覆い、龍二は表情を曇らせ膝の上の拳を握る。
もし、滅されたのだというのなら、その原因は牙を失ったことによる弱体化が大きいのかもしれない。
そう思うと、龍二には言いようのない悔しさが込み上げてきた。
銀次は遺憾そうに目線を落とすと、「すまない」と呟いた。
桃華も唇をギュッと結び、重苦しい沈黙が訪れた。
だが次の瞬間――
――ゴゴゴゴゴッ、ズドォォォォォンッ!
雨も降っていないというのに、空から雷鳴が轟き一瞬光が視界を覆ったかと思うと、嵐堂家の中庭へ雷が落ちた。
静寂を破った突然の雷鳴に心臓が跳び上がる。
桃華がビクンと肩を震わせ、慌てて龍二の服の袖をギュッと掴み、体を寄せて盾にする。
龍二も突然のことに驚き身構えた。
既視感を感じた。
これは先日の夜、牛鬼を退け黒災牙を落とした雷。
それが再び出現したことに、龍二はかすかな高揚感を感じていた。
胸の前で腕を組み目を閉じていた銀次もまったく動じていない。