#5 半妖の覚醒 【半妖の陰陽道 第一章】

第一章 封印されし血統

 

 

月菜

龍二

 

体の感覚がなく、静かな光の世界。

今度は確かに聞こえた。

もう二度と、聞けないと思っていた優しく懐かしい声が。

 

 

龍二
……母さん?
月菜

龍二、ごめんね。今まで辛かったよね

母、月菜はなぜか申し訳なさそうに言う。

なぜ彼女が謝るのか、龍二には理解できない。

すべては自分が無能だったからいけないのだ。

その悲痛の嘆きが伝わったのか、母は強く否定する。

 

月菜

違う。あなたは無能なんかじゃない。そう思わせてしまったのは、私たちのせいなの

龍二
……私たち?

 

その言葉に違和感を覚えた。

しかし次の言葉に意識を持っていかれる。

 

月菜

あなたの力は強大過ぎた。だから封じたの

龍二
どうして?
月菜

こんな力を持っていたら、きっと危険な争いに巻き込まれる。あなたにはただ平和に暮らして、幸せになってほしかった。でも、そのせいであなたが自分の無力さを悲観し、苦しんでいたことも知っているわ。本当にごめんなさい

 

龍二の力は封じられているのだと明かされた。

それは、息子を守ろうとする母の強い意志によるもの。

ならそれを責めることはできない。

しかし龍二は問わねばならなかった。

 

龍二

じゃあ、なんで今更になって……

月菜

もう、私ではあなたを守れない。だから、あなたの力を返すわ。でも、この刀を抜く日が来ないことを心から願ってる。どうか幸せになって、龍二

 

その言葉を最後に、再び龍二の意識は暗転し、ゆっくり目を開けると先ほどと同じ場所にいた。

既に刀を支えにして立ち上がっていた。

雷光に跳び退いていた牛鬼も、またこちらへ向かって走り出している。

桃華が後ろで逃げるように言っているが、聞くわけにはいかない。

 

龍二

ありがとう、母さん

 

穏やかな表情で呟くと、左手で鞘を押さえ、右手で柄を強く握る。

その瞬間、全身に流れる血が沸騰するかのような感覚を覚えた。

眠っていたものが呼び覚まされる、そんな感覚だ。

そうこうしているうちに、牛鬼はすぐ目前まで迫っていた。

 

龍二

ありがとう……そしてごめん。今の俺に必要なのは、ただ力。それがなければ、幸せなんて掴みとれないから

 

握る手に力を込める。

全身に纏う気を一点に集めるように。

傷の痛みはいつの間にか引いていた。

鞘と柄に貼られていた無数の呪符が黒い炎を発し、燃え始める。

 

桃華

龍二、さん? いったいなにが……

龍二
下がってろ

 

背後の桃華へ告げると、龍二は雄たけびを上げた。

 

龍二
うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!

 

全身からドス黒いオーラが湧き上がり、空気を一変させる。

体中を駆け巡る血が熱い。

体が内側から燃えているようだ。

黒の覇気はその勢いを強め、やがて刀を封じていた呪符が燃え切り消し炭となる。

同時に、牛鬼がとうとう目の前まで到達し、脚を振り下ろしてきた。

勢いよくトドメの一撃が振り下ろされるが――

 

 

龍二

――闇焔やむほむら断空だんくう

 

彼は既に姿を消していた。

漆黒の炎を花のように散らせ、まるで陽炎のように。

牛鬼の凶悪な爪は地面を深くえぐっただけだ。

 

一瞬の静寂に飲まれた次の瞬間、牛鬼の左の後ろ脚がボトリと落ちる。

綺麗な切断面では、黒い炎がチリチリと燃え、やがて血が噴き出した。

 

牛鬼

グワァァァ! 貴様ァァァッ!

 

牛鬼は叫び、背後を振り向く。

桃華もなにが起こったのか分からず唖然とし、牛鬼の後方で佇む者を見た。

 

左手で鞘、右手で刀を持つのは、綺麗な銀色だった髪を闇より暗い漆黒に染め、全身から尋常ならざる妖気を溢れ出している龍二だった。

深紅の眼光を放つ瞳は、龍のもののように縦長の瞳孔で、目元から頬にかけて刺青のような黒い筋が伸びている。それは、ゆらゆらと燃えるように枝分かれした炎の残照。

そして、黒炎が収束し形作った漆黒の羽織を肩にかけ、裾をゆらゆらと揺らしている。

人でも妖でもない、形容しがたい存在に思えたが、桃華には確かに龍二だと分かった。

 

牛鬼

まさか、半妖だったのか……

龍二

来いよ、クズ

牛鬼

なんだとぉぉぉぉぉっ!

 

挑発にのせられ、わき目も振らず猛進してくる牛鬼。

それが桃華から遠ざけるための意図だとは気付かない。

 

全身を駆け巡る血はたとえようのないほどの熱さだが、龍二の思考は冴えわたっていた。信じられないスピードで体が勝手に動く。

牛鬼が桃華から十分離れたことを確認した龍二は、地を蹴り揺らめく黒炎と共に姿を消す。

桃華がまばたきをした次の瞬間には、牛鬼の背後に立っていた。

 

牛鬼

んなっ!?

 

牛鬼は慌てて足を止め、ザクザクと地面を抉りながら旋回。

両側の前脚を同時に振り上げると、龍二は刀を構えた。

強靭な脚が連続で振り下ろされる。

龍二は目を細めると、あくまで冷静にその軌道を見極めた。

 

龍二

遅い

 

一撃目は体を反らして紙一重で避け、二撃目は刀で弾く。

しかし牛鬼は諦めず、連続で脚を上げ振り下ろす。

だが何度やろうと当たらない。

龍二は刀に漆黒の炎を纏い跳び、空中で脚爪を避けた後、牛鬼の体を支えている後ろの右脚を一刀のもとに切断する。

 

牛鬼

グウゥッ!

 

すぐに跳び退くと、バランスを崩した牛鬼の頭が目の前まで下がる。

龍二は鞘を投げ捨てると拳を強く握り、その額へ渾身の打撃を見舞った。

 

――ドゴォォォォォンッ!

 

ただの殴打は衝撃を発して空間を揺らし、牛鬼の巨体を軽々と吹き飛ばす。

盛大な砂塵を上げて転がり、後ろにあったジャングルジムを破壊して止まる。

崩れた鉄筋が牛鬼の頭上から降り注いだ。

 

桃華

……本当に、龍二さんなんですか?

 

後方の桃華が戸惑いの声をかけながら近づこうとするが、後ろ手で制する。

砂塵の中からボロボロの牛鬼が出て来たのだ。

さすがの硬い外殻には鉄筋も大したダメージではないようだ。

 

牛鬼

貴様はいったい……

龍二

さあな。いいから、さっさと決着をつけよう

 

そう言って龍二は刀を上段に構えると、周囲で次々に発火が始まり刀身へ黒炎が収束していく。

牛鬼はここにきて初めての動作に出た。

残る四本の足を曲げてバネにし、地を蹴って勢いよく飛んだ。

空中で両方の前脚を鎌のように振り上げながら、龍二へ急接近する。

 

牛鬼

なめるなぁぁぁぁぁっ!

龍二

――闇焔やむほむら炎殺えんさつ

 

龍二が刀を振り下ろすと、刀身に凝縮されていた黒炎が開放され、怒涛の炎波となって敵を焼き尽くさんと燃え盛る。

肥大化した黒炎の波は牛鬼の全身を包み、その身を灼熱で焦がした。

 

牛鬼

グワァァァァァァァァァァッ!!

 

断末魔の悲鳴の後、黒い炎が息吹を衰えさせる頃には、牛鬼の体を跡形もなく焼失させていた。

 

龍二

…………

桃華

す、すごい……

 

龍二の勝利だ。

彼はたわいもないというように鼻を鳴らすと、背後へ振り向く。

不安そうに瞳を揺らし、唖然と佇む桃華を安心させてやりたかった。

だが――

 

――ドクンッ!

 

龍二

ぐぅっ!?

 

心臓が大きく跳ねた。

体の中で血が暴れまわる。

龍二は、妖気を制御できず苦悶の表情を浮かべ片膝をついた。

刃を地面に突き立て、かろうじて体を支える。

 

 

桃華
龍二さん!?
龍二

来るなぁっ!

 

慌てて駆け出す桃華だったが、龍二が必死に叫ぶと足を止める。

次の瞬間、龍二の全身から溢れ出る黒のオーラが燃え盛る業火へと変わり、その身を包んだ。

 

龍二

ぐっ、ぐあぁぁぁぁぁっ!

 

御しきれない力が身に跳ね返っているのだ。

炎の勢いは増すばかりで、体の内外共に文字通り焼かれているような痛みが襲う。

ただただ体が熱い。

意識も焼き切れそうだ。

 

桃華

龍二さん! ど、どうすればっ……

 

目の前で幼馴染が焼かれているというのに、なにもできない桃華は悲痛の声を上げる。

そのとき、ようやく陰陽技官たちが到着した。

公園に足を踏み入れるなりすぐに、威風堂々とした低い声が響く。

 

陰陽技官

日下くさか花部はなべは技官二人の救護を。残る二人は俺に続け

 

陰陽技官
陰陽技官

「「「はい」」」

陰陽技官

 

白い装束を着た女性の陰陽師二人は、それぞれ倒れている技官へ駆け寄り木術での治癒を開始する。

 

陰陽技官

なにがどうなっている!?

 

桃華の元へと歩み寄ったのは、四十歳ほどの男だ。

装束の帯の色が薄紅うすくれないであるところを見るに、指揮者のようだ。

彼も龍二の姿を見て困惑に眉をしかめている。

 

桃華

は、半妖の彼が牛鬼を倒してくれたんです! でも、その反動で……早く助けないと!

陰陽技官

そうだったのか。事情はよく分からないが、妖気を抑えるぞ!

 

指揮者の技官は頷き、背後の二人に指示した。

自身も呪符を取り出し、漆黒の炎の中で苦しむ龍二へと呪符を放つ。

三方から彼を囲い、手印を結んで封印の呪文を唱え始める。

相手が純粋な妖であれば、その身ごと封じる術だが、半妖であれば妖の部分を抑制できるのだ。

 

陰陽技官
陰陽技官

「「「奈落より溢れ出る荒魂、鎮め退け、悠久の水底へ封じたまえ、急急如律令」」」

陰陽技官

 

龍二の周囲で浮いた呪符が輝きその身を照らす。

 

龍二

うわあぁぁぁぁぁっ!

 

しかし炎の勢いは収まらず、効果があるのかすら定かでない。

呪力を注いでいる技官たちも、顔を苦痛にしかめ額に冷汗を浮かべている。

このままではジリ貧だ。

桃華は自分にもできることはないかと、周囲を見回す。

 

桃華

……あれはっ!?

 

目に入ったのは、龍二の横に投げ出されていた漆黒の鞘だった。

桃華の頭に一つの案が浮かび、たまらず駆け出した。

 

 

陰陽技官

な、なにをしている!? 子供がどうにかできる状況じゃないんだぞ!?

 

指揮官が怒鳴るが、それでも桃華は足を止めない。

そして龍二の元へ駆け寄ると、鞘を拾う。

彼の周囲は想像を絶する熱気だった。チリチリと頬に伝わる熱は、鋭い痛みを訴える。

それでも桃華は意を決し、呪符を握ると水術を発散させ、自身の体を水気で覆う。

そして、ドス黒く燃え盛る炎の中へ身を委ねた。

 

桃華

龍二さん! 今、助けてあげますからね!

陰陽技官

んなっ!?

陰陽技官

君、やめなさい!

 

桃華は炎の中へ腕を伸ばすと、自身も凄まじい熱気に焼かれながら、龍二が両手で握る柄を掴む。

 

桃華

ぅっ!

 

皮膚が焼かれる鋭い痛みに顔を歪めるが、それも一瞬。

力を振り絞り、地面から刀を抜く。

 

桃華

負けないっ! 龍二さんは渡さないっ!

 

そして、その刃の切っ先に鞘を当て納刀した。

 

陰陽技官

なんだ!? 急に炎が……

 

直後、龍二の体を覆っていた黒炎は跡形もなく霧散し、妖気も消失した。

桃華の見立て通り、この鞘が妖としての龍二の力を封じていたのだ。

そして彼自身も、髪の色が黒から銀に戻って頬の黒い筋も消え、羽織っていた黒炎の羽織も消えていた。

 

龍二はなにが起こったのか分からないというように、茫然と目の前にいる桃華を見つめる。

 

龍二

……桃、華?

桃華

おかえりなさい、龍にぃ

 

その言葉がじんわりと龍二の心に温もりを与える。

母を失ってもまだ、帰る場所はあった。

それは今の龍二にとってかけがえのないものだ。

龍二は照れくさそうに苦笑する。

 

龍二

その呼び方はやめろよ……ただいま、桃華

 

そして満足そうに頬を緩めると、一筋の涙が頬を伝い、意識を手放したのだった。