第四章 誇り高き親友
それからたびたび、ケシーの屋敷へ誘われるようになっていた。
一番最初は、先日のお礼がしたいからとケシーの両親から誘われたので、どうしても断れなかった。
話を聞く限り、僕をアストライア家の養女にしたいというのは、彼らも望むところのようだ。
とても心優しく素敵な両親に見える。
でもだからこそ、自分の正体を知ったときの彼らの反応を知るのが怖い。
ちなみに、娘を助けてくれたお礼ということで、大量のお礼金を渡そうとしてくれたが、丁重にお断りした。
最初はリリーナに渡そうとしたのだが、「ルノのものだからルノが使いなさい」と受け取ってくれなかったので、返すことにしたのだ。
僕なんかが大金なんて持っていても、ただ持て余ししまう。
しかしそれではケシーの気が収まらないようで――
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目の前にあるのは、重ねられた分厚いふわふわのパンの上に、山のように生クリームの盛られた未知のスイーツ。
自然と目が輝き、胸が高鳴ってしまう。
僕の意識がとろけかけていると、目の前でケシーが上品に微笑んだ。
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ルノお姉様は、本当に甘いものが大好きなんですのね。どうぞ遠慮なく召し上がってくださいな
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僕は遠慮なく、ナイフで切ったパンに生クリームを乗せて口へ運んだ。
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こ、これがパンケーキっ!?
ふわふわのパン生地に生クリームを添えることで、とろけるような舌触りになり、脳を溶かしてしましそうな極上の甘味が広がる。
僕は今日、恋をしました。
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うふふっ、あんなに凛々しかったお姉様が頬をとろけさせているなんて、凄く可愛らしいですわ。なんだかドキドキしてしまいます
ここはカフェ・テラー。
二階に開放的なテラス席のある上品な喫茶店だ。
なんのお礼もできていないのは納得がいかないというケシーが、僕のために連れて来てくれた。
リリーナが今日は出かける予定がないということだったので、休暇をもらってケシーと二人で来ている。
彼女に黙っているのはなんだか後ろめたかったけれど、「知られたら邪魔されてスイーツが食べられない」というケシーの言葉に同意し、適当に誤魔化して出て来たのだ。
まぁ、アストライア家の屋敷ならマズい気もするけど、カフェなら別に問題ないよね!?
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お姉様を一人占めできるなんて、夢みたいですわ
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水臭いですわ。お姉様と私の仲ですもの。いつでも美味しいスイーツをご馳走しますわ
ケシーが天使に見えてきた。
もし僕が女性だったなら、迷わずアストライア家の養女になるのに……
なんてパンケーキを頬張りながら考えていると、誰かが丸テーブルの横で立ち止まった。
ん? 誰だろう、知ってる人かな?
僕はパンケーキに夢中で誰か確認しないでいると、ケシーの口から恐るべき言葉が出てきた。
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あら? リリーナじゃありませんの。今日は出かける予定はなかったのでは?
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夢見心地だった意識は、一気に現実へ引き戻される。
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……なぜ君がそれを知っている?
間違いない、リリーナの声だ。
一気に場の空気がひんやりと凍てついた気がする。
恐怖のあまり横が見れない。
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それよりもケシー、なにうちのルノを餌付けしてくれてるんだ?
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餌付けだなんて人聞きの悪い。ただ先日のお礼をしているだけですわ
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どうだか。ルノ、朝言ってたことと違うじゃないか。ただ買い物をしに行くだけだと言いつつ、顔は恋する乙女のようなとろけ顔だったから怪しいと思ったんだ
ひぃぃぃっ、すべてバレてるぅ!
というか僕、そんな顔してたの!?
恥ずかしい……と、とにかくなにか言い訳しなきゃ……
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頬にクリームをつけたままでは、なんの説得力もないな
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僕は慌てて頬の生クリームをナフキンでふく。
カァァァッと恥ずかしさで顔が赤くなっていくのが分かった。
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ふふっ、お姉様は本当に可愛らしいですわ
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はぁ、もういい。休日になにをしようが君の自由だ。邪魔して悪かったね
ため息を吐いてリリーナが背を向ける。
その背中がなんだか寂しそうで、僕は胸が締め付けられるように痛んだ。
後で、どこかで甘いものでも買って帰ろう。ぶつぶつ言われるかもしれないけど、隠すような真似をしたことは素直に謝らなきゃ。
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リリーナはお姉様を独占しすぎですわ
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でも、少し妬けてしまします
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ケシーは立ち去るリリーナの小さな背を見ながら、寂しそうに呟いた。
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昔は人見知りの恥ずかしがり屋で、気の弱い可愛らしい女の子でしたから
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最近になって、ようやく肩肘張っていない無防備な一面も見られるようになった。
あれがリリーナの本当の姿なのかもしれない。
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でも、ご両親が亡くなって貴族の身分を剥奪され、仲の良かった兄弟姉妹と離れ離れになってからは変わってしまいました。そのときからですの。今のように背筋を伸ばして胸を張り、強くあろうと無理をするようになったのは
やっぱり無理をしているのだろうか。
しかし兄弟姉妹とも離れ離れになってしまったという話は、初めて聞いた。
僕に自分の話をしないのは、弱さを見せないためなのか。
それともまだ信頼が足りないのだろうか。
もしそうなのだとしたら悔しい。
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もしかして、再び貴族の地位を欲している理由は……
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また兄弟姉妹と一緒にあのお屋敷で暮らすためだと言っていましたわ。みんなとても仲が良かったですから
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実は以前、リリーナにも言ったんです。アストライア家の養女にならないかと。でも、『それでは意味がない、クイント家として貴族に戻って、家族みんなであの屋敷で暮らすんだ』と断られましたわ。そのときはただの強がりではないかと心配していましたけど、必死に努力して自分の力で稼いで、なんとかあの屋敷を維持し、今の状況まで立て直しているのを見て、私は憧れたのです。その気高さと強さに
やはりリリーナは凄い人だった。
どんなに打ちのめされても、必死にあがき目的を達成するまで、決して諦めない。
それは一種の才能だ。
そんな人と一緒にいられて、僕は心から誇りに思う。
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ですから、初めてルノお姉様を見たとき、嫉妬してしまいましたわ。だって、私では届かないと思っていた憧れの友人の隣に立っていたのですから。でも、あなたにはそれだけの強さと魅力があった。だからこそ、リリーナもあなたを護衛に選んだのでしょうね
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恐れ多いことです。ですが、ただ純粋に嬉しいです
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それでも、私はあなたが欲しい
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ただの貴族だというだけで、なんの強さも持っていない私ですが、ようやく必死になれることを見つけたんです。たとえ泡沫の夢であっても、憧れのリリーナが立ちふさがったとしても、諦めることはできません
僕をまっすぐに見つめる彼女には、確かな覚悟があった。
リリーナが貴族を目指すように、ケシーの夢もまた、止めることはできない。
それが他人からどんなに理解されないことであっても、彼女にとってはすべてだ。
もちろん僕は正体を明かすわけにはいかないから、その願いに報いることはできないけれど、その純粋な気持ちに水を差したりはしたくない。
だから、僕は微笑を浮かべながら言った。
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いつだって受けて立ちますよ
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必ずあなたの抱擁に辿り着いてみせますわ、ルノお姉様
少し危険な香りがするけれど、こんな美しい令嬢に求められていることを誇りに思おう。
…………………………
ある日、リリーナは町の情報屋を訪れていた。
以前にアルゴス商会の調査を依頼していた情報屋だ。彼女は一人で店に入り、「ここで待っていてくれ」という指示に従い、僕は店の横の壁に寄りかかっていた。
聞かれたくない話の一つもあるのだろう。
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きゃーっ! 私、お声をかけてこようかしら!?
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ただ待っているだけなのに、いつの間にか目立ってしまっていて居心地が悪い。
リリーナさん、早く戻って来ないかなぁ。
ため息を吐いて下を向いていると、ふと妙な視線を感じた。
……なんだろう?
この身の毛のよだつような落ちつかない感じは――
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――ルノちゃん、みーつけたっ
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震える肩を抱きながら、おっかなびっくり横を見ると、すぐ近くの曲がり角から顔を半分出してこちらをジトーっと、じっとりねっとり見つめている美少女がいるではないか。
表情が希薄だからなお怖い。
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あら、ちゃんと名前を憶えていてくれたのね。嬉しいわ
アリエスは僕と目が合うと、微笑を浮かべ優雅に歩み寄って来た。
これは変態――じゃなかった、大変だぁ!
僕は冷や汗をだらだらとかきつつ、引きつった笑みを浮かべて挨拶をした。
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ご、ご機嫌よう、アリエスさん
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ご機嫌よう、ルノちゃん。今日はご主人様はどうしたの?
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ちょうど今、情報屋の方から調査依頼のご報告を受けられているところです
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そう、どうしてあなた一人でここに立たされているの?
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そ、それは分かりませんが、リリーナさんのご都合ですから
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ふぅん? ひどいご主人様ね
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そ、そんなことはありません!
しまった、分かり切った挑発なのに思わず反応してしまった。
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大丈夫よ。私ならあなたに寂しい思いをさせたりしないわ
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な、なにを……
アリエスは愛おしそうに目を細め、その細くて綺麗な手を僕の頬に当てる。
ひんやりした感触はどこか心地いい。
彼女の目を見ると、濡れたようにしっとりとした蠱惑的な眼差しで僕を見つめていた。
年齢は二十前後で僕やリリーナと変わらないはずなのに、なんという色気だろう。
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さぁ、私と結婚しましょう
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そ、それは、前にも断ったはずで――
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大好きなスイーツだって、たくさん食べさせてあげるわ
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本当ですか!?
ハッ! いけない、思わず我を忘れてしまった。
なんという精神攻撃だろう。
あれ? それよりもなんでこの人、僕が甘いもの大好きだって知ってるんだろう?
怖いから聞かないでおくけど。
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頬を赤く染めて、期待に膨らんだ表情、素敵だわぁ
えっ、僕そんな顔してんの?
ダメだ、スイーツへの期待が抑えられないみたいだ。
これは本格的にピンチだと思ったそのとき、救世主は現れた。
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ルノ? どうした、そんなに興奮して。発情期か?
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違います!
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あら、もう戻ってきてしまったの? ルノちゃんのご主人様。意外と早かったわね
そう言ってアリエスは僕の頬から手を離し、数歩下がる。
今の口ぶりだと、リリーナが店に入って行くところから見ていたみたいだ。
リリーナは僕の隣に立つと、腕を組んでアリエスをにらみつけた。
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また君か、変態アートコレクター
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その言い方だと、私がそういう絵を集めている人みたいに聞こえるのだけれど? 誤解を招くような発言はやめてほしいわ
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ふんっ、自業自得だろう
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とんだ言いがかりね。まぁでも、今はあなたに用はないわ。私はご主人様に見捨てられて、寂しい思いをしているルノちゃんを引き取ろうとしていたところよ
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え? ち、ちがっ
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そうだったのか……寂しい思いをさせてすまない、ルノ
いや真に受けないでくださいよ!
違うんです、寂しかったのは本当ですけど、別にアリエスさんやスイーツになびいてたわけじゃないんですぅ~
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というわけで、おいでルノちゃん
アリエスは柔らかい笑みを浮かべ甘い声を発すると、再び僕へ両手を伸ばした。
まずい、このままじゃ僕の信用にかかわる。
『スイーツ』というキラーワードを口にされる前に、どうにかしなきゃ!
心は少し痛むけれど……僕は拳を強く握り、大きく息を吸った。
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ち、近寄らないでください、変態!
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んな!? まさか、ルノちゃんがそんなことを言うなんて……でも、その恥ずかしそうな顔で言われると、ゾクゾクしてくるわ
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ひぃっ、変態!
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あぁ、その蔑むような目もいい!
あれ? なぜか逆効果だったみたいだ。
むしろ彼女は恍惚とした表情で喜んでる。
しかしリリーナはその隙を見逃さなかった。
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は、はい!
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あっ、こら待ちなさい!
僕はリリーナに手を引かれ、なんとか変態の魔の手から逃れたのだった。