#10 リリーナの独占欲【女装剣豪令嬢 第三章】

第三章 貴族たちの世界

 

 

リリーナ

~~~♪

ルノ
なんだかご機嫌ですね、リリーナさん

 

朝食後、紅茶の入ったティーカップを彼女の前へ置きながらたずねる。

リリーナは朝からとても顔色が良く、声が弾んでいた。

しかし僕の気持ちは複雑だ。

 

そりゃそうだろう。

大勢の貴族や商人たちが見守る中で、かなり目立ってしまったのだから。

ケシーの両親に聞かれては、名を名乗らないわけにもいかなかったし。

 

リリーナ

いやぁ、昨夜は興奮のあまり寝れなかったよ!

ルノ
それは大変です。まだお休みになられてても良かったのでは?
リリーナ

なにを他人事みたいに言ってるんだ。昨日の君の活躍のおかげだよ

 

やっぱりそれかぁ。

リリーナさんの睡眠時間を奪うなんて本当に申し訳ない。

僕が困ったように苦笑していることなんて気にせず、彼女は紅茶を一口飲んだ後、嬉しそうに頬を緩ませた。

 

リリーナ

うん、実に痛快だった。最後の剣を受け止めた技なんて、いまだ現実のこととは思えないよ。あんな凄い光景を見せられたら、女の私でも胸が躍る。ケシーなんて、心あらずといった感じで、君が立ち去るまで熱に浮かされたように見つめていたし。美しい令嬢たちやボンボンどもも、君の姿に釘付けだった

ルノ
もぅやめてください……

 

思い出すだけで恥ずかしい。

だって、女装した姿で目立つんだよ? 客観的に見てイタイ奴じゃないか。

もしこれで、男だとバレた日には一生笑いものにされる、社会的に死ぬ。

僕へ向けられていた羨望が軽蔑けいべつに変わるんだ、想像しただけでも恐ろしい。

まぁでも、リリーナさんが嬉しそうなので我慢するけど。

 

リリーナ

私を見る貴族たちの目が明らかに変わったよ

ルノ
そ、そうですか。お役に立てて良かったです」

 

僕の頬が引きつる。

そりゃあ、帰り際にあんなにピッタリくっついて歩けば、マウントもとれるでしょうよ……

おまけに勝ち誇ったような笑みまで振りまいてたし。

 

それにしても、今日のリリーナさんはやけに興奮してる。

やっぱり寝不足だからかなぁ?

 

リリーナ

あの場にアリエス・コリンがいなくて良かった。興奮した彼女なら、君を押し倒してもおかしくないからね

ルノ
ええ、それは、本当に

 

屋敷での彼女のサディスティックな笑みを思い出し、背筋が凍る。

もし襲われたら男だとバレて即破滅だ。

そのときは秘技を駆使してでも逃げなきゃいけない。

 

僕がガクガクブルブル震えていると、リリーナは急に真剣な表情になり改まって姿勢を正した。

 

リリーナ

本当にありがとう、私の友人を助けてくれて

ルノ
いいえ、当然のことをしたまでです

 

その言葉は純粋に嬉しかった。

彼女の日常を守れたことがとても誇らしかった。

僕の顔が自然とほころび、リリーナをぽーっと見つめていると、彼女は咳払いして少し頬を赤くし、目を逸らす。

 

リリーナ

昨日の君は、男として見ても、その……凛々しくて、かっ、カッコ良かった……

ルノ
…へ?

 

なんていう不意打ちだろう。

不覚にも胸が高鳴ってしまったじゃないか。

僕は、そういう男としての魅力を褒められることに飢えているんだ。

 

ルノ

も、もう一回! 今のもう一回言ってください!

 

僕が横からリリーナの目を覗き込んで懇願すると、彼女は「ぅ~~~」とますます赤くなって俯いてしまう。

 

リリーナ

ち、近いよぅ……

ルノ
お?

 

耳まで真っ赤にしてゴニョゴニョ呟く姿は、いつものリリーナとは違い、とても可愛らしかった。

いつもは堂々としているが、見た目は小柄で可憐な女の子なんだ。

こうしていると妹のように思えてきて微笑ましい。

だから僕はニヤニヤするのを抑えられず、思わず率直な気持ちを口にしてしまう。

 

ルノ
可愛いなぁ
リリーナ

へにゃっ!?

 

ガタンと大きな音を立て、リリーナは飛び退く。

す、凄い運動神経だ。

あまりの速さに僕も目を丸くしてしまう。

いや、それよりも今、彼女の口から出てきた可愛らしい声はなんだ?

そっちのほうが驚いた。

 

リリーナ

み、見るなぁっ

 

リリーナは羞恥にわなわなとくちびるを震わせ、両手で顔を覆う。

なんだろう、いつもの彼女とのギャップに、なんだかイケナイことをしているようでドキドキしてくる。

うぅ~ん、なんか収拾がつかなくなってきたなぁ……これ以上なにかすると、後が怖いからどうしたものか。

 

僕が困り果てていると、玄関のベルの音が響いてきた。

お客様だ、ナイスタイミング!

僕はわき目も振らず居間から出て行く。

 

ルノ

私、お客様をお出迎えしてきますので、どうぞごゆっくり~

リリーナ

あっ、リ……ルノ!

 

僕はホールの階段を降りながら、ゆっくり呼吸を整える。

冷静に、冷静に。

ふぅっ、と一息ついて落ち着きを取り戻すと、ゆっくり玄関の扉を開けた。

 

ルノ

はいっ、お待たせしました!

ケシー

ル、ルノさん! ご、ご機嫌よう!

 

そこに立っていたのは、ケシー・アストライアだった――

 

 

リリーナ
――ケシー、うちのボディガードに色目を使うのはやめてもらおうか?

 

クイント家の屋敷は現在、修羅場と化していた。

なぜかケシーは僕の腕に抱きつき、幸せそうに頬をとろけさせている。

そしてそれを見て、リリーナは憤怒の形相で仁王立ちだ。

うぅ、なんか胃がキリキリする。

 

ケシー

まぁ、色目を使うだなんて、女同士なんですからスキンシップの範囲内ですわ

 

ケシーはそう言って僕の腕に頬ずりしてくる。

『女同士のスキンシップ』と言われて、僕は罪悪感にさいなまれていた。

あぁ~ごめんなさい! 騙していて本当にごめんなさい!

 

だがそんな後ろめたい気持ちも、腕に押し付けられた膨らみによって弾け飛ぶ。

や、柔らかいっ!?

僕の脳に衝撃が走った。

う、腕に押し付けられているこれは、もしかしなくても、お、おっぱ、ぱぱぱぱぱぱぱぱパイーン!?

いけない、思考がすべて吹き飛んでしまった……

 

リリーナ

顔を赤くして、どうしたんだ? ルノ

ルノ
ひっ……

 

リリーナが絶対零度の目を向けてきていた。

視線だけで胸をわしづかみにするような鋭い目がこ、怖すぎる。

彼女は僕が男だと知ってるから、喜んでると勘違いしているんだ。

ど、どどどっどうしよう!?

僕があわあわしていると、ケシーはさらに腕を強く抱き、リリーナへ告げた。

 

ケシー

ルノさんをアストライア家の養女として迎え入れますわ

リリーナ

却下だ

ケシー

どうしてあなたに決める権利がありますの!? あなたは所詮、ただの雇用主でしょう? もし彼女に金銭面での問題があるのなら解決できます。ですから、もうあなたの元で働く必要はありませんわ

リリーナ

そもそも急すぎる。ルノをアストライア家に迎えて、どうするつもりだ?

ケシー

わ、私のお姉様になってもらうのですわ。ずっと前から、ルノさんのような素敵なお姉様が欲しかったの

リリーナ

はぁ? 寝言は寝てから言いなさいな

ケシー

お父様もお母様もルノさんならと、お許しくださいましたわ

リリーナ

やれやれ、そんな理由で押しかけられても困るな。ほら、ルノからもなにか言ってやってくれ

ルノ
……へ?

 

あれ? 僕の思考が吹っ飛んでる間に、なんか凄い話になってない?

ケシーは期待に満ちた、キラキラした目で上目遣いに見てくるし、リリーナは威厳に満ちた力強い眼差しで見つめてくるし、針のむしろだ。

誰か助けてぇ……

 

ケシー

ルノさん、ぜひとも当家の養女になってくださいな。そうすれば、もうお金の心配もいりませんし、大好きなスイーツだって食べ放題ですのよ?

ルノ
ス、スイーツ食べ放題!?
リリーナ

ルノ

 

ひぃっ、また地獄の底から響くような声が……

いけないいけない、僕としたことが。

とても魅力的な提案だけど、彼女が言っているのは僕を『養女』として迎え入れることだ、『養子』じゃない。

正体を明かしてしまえば、話は変わってくるのだろうけれど、リスクが高すぎる。

僕が男と知ったとき、彼女はどんな反応をするのか、憧れのお姉様を見つけたという幻想を砕いたとき、彼女はいったいどんな行動に出るのか、それを確かめる覚悟が僕にはない。

僕はケシーからそっと体を離すと、意を決して告げた。

 

ルノ
ケシー様、お気持ちはとてもありがたいです。ですが、私はリリーナさんの護衛を辞めるつもりはありません。どうかご容赦ください
ケシー

そんなぁっ! どうしてですの!?

リリーナ

ルノはな、人には話せない大変な事情を抱えているんだ。そしてそれを知っている私としか、一緒にいることはできない

 

リリーナは神妙な表情でそう告げた。

っておぉぉぉぉぉい!

またなんてことを言ってくれるんだこの人はぁ!

どうしていつもそう、余計なことを言うかなぁ!?

あー頭が痛くなってきた。

 

ケシー

そんな事情があるんですの? それなら、私にも教えてくださいまし。どんなことでも必ず受け止めてみせますから!

リリーナ

ダメだ、君に話すことはできない」

 

リリーナは口では深刻そうに言っているが、勝ち誇ったようなドヤ顔をしている。

この表情は……ただマウントを取りたいだけじゃないかぁぁぁっ!

今朝の可愛らしい反応といい、僕には妹が駄々をこねているようにしか見えない。

 

ケシーが捨てられた子猫のように潤んだ瞳で見上げてくると、罪悪感がこみ上げてきた。

それでも僕は、すべてを明かして楽になりたい気持ちを抑え、頭を下げる。

 

ルノ

本当に申し訳ありません

ケシー

そう、ですか……

 

ケシーは悲しげに呟きうつむく。

あぁぁぁ、心が痛いぃ。

 

ケシー

……諦めません

ルノ

え?

ケシー

私、ルノさんのこと……いえ、ルノお姉様のこと、諦めませんから!

リリーナ

何度来たって同じだよ。私とルノの絆は、誰にも断ち切れない

 

ケシーとリリーナがにらみ合う。

バチバチと火花を散らし、それぞれの背後には、虎と龍が見えるようだ。

いや、どうして本人を無視して話を進めるの、あなたたち。

 

ケシー

それでは今日のところは失礼しますわ。ルノお姉様、リリーナ、ご機嫌よう

 

怒涛の嵐を巻き起こした張本人は、優雅に去って行くのだった。