#12 静かなる怒り【女装剣豪令嬢 第四章】

第四章 誇り高き親友

 

僕らはしばらく走り、街の外れまで来ていた。

目の前には古びた小さな屋敷。

錆びついた看板には、『キュリオン商会』と書いてある。

その目の前で、息を整えたリリーナは言った。

 

リリーナ

変態のせいで遅れたけど、これからが仕事だ

ルノ
仕事、ということはもしかして、こちらの商会へ出資のお話を? そもそもキュリオン商会とは、どんな商売を展開している商会なのでしょう?

 

リリーナが新たに出資するというのなら興味がある。

今のところは、カフェ・ハウルとドレスコード・ゴシックにしか出資していないという話だったので、まずは交渉からだろうか?

 

リリーナ

君の言う通り出資することが目的だよ。キュリオン商会は、アルゴス商会と同じく、鉱物資源を取り扱う商会だ。見ての通り規模は小さいがね

 

ということは、情報屋にアルゴス商会の調査を依頼したのとなにか関係があるのだろうか。

もっとも、その内容を僕は聞いていないので、以前彼女の言った『稼ぎ時』という言葉の意味すらいまだに分かっていないのだが。

しかしキュリオン商会という単語は、これまでの会話で一回も出てこなかったから、少し不思議に思う。

 

ルノ

もしかして、キュリオン商会とは個人的な繋がりがあるのですか?

リリーナ

いや、まったくなかった。ここのキュリオン会長とは、先日のアストライア家のパーティーで初めて知り合ったぐらいだ。もっとも、私も鉱石商との繋がりは探していたところなのだけどね

 

ルノ

はぁ……

 

彼女の意図が分からず、僕は首を傾げる。

難しいことは分からないので、今は後ろで聞いていよう。

リリーナの後に続き、キュリオン商会の屋敷へ足を踏み入れた。

 

中に入り、リリーナが女性会員に用事を告げると、すぐに会長の執務室へ案内してもらえた。

商会長のキュリオンは、柔らかい笑みを浮かべた顔に眼鏡をかけた細身の男だ。

彼はリリーナと僕が入ると、嬉しそうに頬を緩める。

 

貴族

これはリリーナ・クイントさん、まさか本当にお越し頂けるとは思ってもみませんでしたよ。それに、うるわしのナイト様までご一緒とは

リリーナ

こちらこそ、先日はどうもありがとうございました。ところで、ナイト様というのは?

貴族

気を悪くさせてしまったなら申し訳ありません。そちらのルノ・カーストさんは、まるで一騎当千の騎士のような華麗な動きで暴漢を倒したと、噂になっているんですよ。それで『麗しのナイト様』と、一部の令嬢たちの間で人気だそうです。僕もあの場にいましたが、あのときの感動が今でも胸に残っています

ルノ
そんな、大げさですよ。私はそんな大層なものではありません。ただの一般市民です
キュリオン

とても謙虚な方だ。気取らないのは好感が持てます

 

これ以上変な噂が広まるのは本当にやめてほしい。

この人の言う通り、もしかして謙虚なのが逆にダメなのか?

むしろぞんざいな態度で好感度を下げまくれば、みんな興味を失ってくれるかも! と思ったけど、僕にそんな度胸はないや。

 

リリーナ

私の友人を褒めて頂けるのは嬉しいです。ですが、今日は彼女を自慢しにきたわけではありません。先日お話した出資の件です

キュリオン貴族

ええ、ぜひお聞かせください

 

キュリオンにうながされ、打ち合わせ用のテーブルへ移動すると、彼とリリーナが向かい合って座る。

僕は護衛として後ろに控えた。

 

キュリオンが目を細め、鋭い眼光をもってリリーナを見つめると、纏う雰囲気が変わる。

小さな商会とはいえ、会長の肩書は伊達じゃない。

 

 

キュリオン

まずは当商会へ出資したいという理由をお聞かせください。先日お伝えした通り、うちはイージス金庫からの融資のみで、特定の投資家からの出資は受けておりません。オーナーとして経営に口出しできる権限を与えることになるのですから、相応の理由が欲しい

リリーナ

理由は簡単ですよ。今が商売を拡大する絶好の機会だからです

キュリオン

ふむ……話が見えませんね。商売を拡大するということは、取引先が増え、商品の売り上げが上がるということですか? つまり飽和しているこの市場で、競合から顧客を奪うと?

 

キュリオンは顔の前で手を組み、目を光らせながら問う。

発される鋭利な雰囲気は、油断も隙もまったく無い。

しかしリリーナも場慣れしているのか、冷静に淡々と答える。

 

リリーナ

その通りです。アルゴス商会の取引先を奪いましょう

 

キュリオンが目を見開く。

これには僕も驚いた。

でも、ようやくアルゴス商会の調査を依頼した理由が分かった気がする。

おそらく、なにかしらの突破口を見つけようとしたんだ。

なぜアルゴス商会に目をつけたのかは、まるで分からないけど。

 

キュリオン

これは大きく出ましたね。あの大商会を敵に回すというのですか? なにか策がおありで?

リリーナ

もちろん。このイージス州において、もうアルゴス商会の時代は終わりです。ですが、それを話すには、私からの出資を受けるという条件をのんで頂かなければ

キュリオン

そういうことですか

 

リリーナは動じることなく告げ、持って来ていた一枚の紙をテーブルに置く。

契約書だ。

キュリオンはその内容に素早く目を通す。

 

キュリオン

…………

 

今ここで、交渉の行方が決まる。

なぜだか僕まで緊張してきた。

だが、アルゴス商会で護衛をしてたときの交渉の場を思い出し、懐かしくも感じた。

特に殺気立った商談では、破談となった際に逆上して襲いかかって来る野蛮な相手もいたから、護衛の仕事はとても重要なのだ。

キュリオンはそういうタイプには見えないが、それでも気を引き締める。

 

 

キュリオン

……分かりました。出資をよろしくお願いします

リリーナ

ありがとうございます

 

キュリオンは肩の力を抜くと、契約書にサインした。

 

キュリオン

それでは、詳細を教えて頂きましょうか

リリーナ

はい。アルゴス商会は今、窮地きゅうちに立たされています

キュリオン

ほぅ、そんな話は聞いたことがありませんね

リリーナ

それはもちろん、必死に隠しているでしょうから。しかし情報屋に依頼して手に入れた情報ですが、彼らは先日、大口の取引に失敗しました

キュリオン

その噂は本当だったのですね。しかし、一度失敗したくらいで窮地に立たされているというのは、言い過ぎでは?

リリーナ

大事なのは失敗した理由です。その原因が取り除けない限り、いつまでも失敗を繰り返すでしょう

キュリオン

おっしゃる通りです。では、あなたはその原因を知っているのですか?

リリーナ

はい。すべては一人の護衛によるものです

 

そのとき、僕はハッとして顔を上げた。

彼女が言っている原因というのは、まさか……

 

キュリオン

護衛?

リリーナ

彼らは最も強くて優秀な護衛を、不当な理由で解雇したのですよ

キュリオン

それだけですか?

リリーナ

ええ、それだけです。情報屋の調査によると、今のアルゴス商会の護衛はかなり減っているようです。その理由は定かではありませんが、商品運送の際に山賊に襲われ、その多くが倒れたからだと私は考えています

キュリオン

おっしゃりたいことはよく分かりました。つまり、彼らは大きく戦力ダウンしたせいで、最大の利点であった、他国からの安価で大量の仕入れができなくなったということですね

リリーナ

はい。このままではいずれ、在庫が枯渇し商品の値段も上げざるをえないわけです。そうなれば、取引先の鍛冶屋や素材屋は、アルゴス商会から購入する理由がなくなる

キュリオン

それで、頂いた出資金で今のうちに商品在庫を増やし、アルゴス商会の顧客を奪えと

リリーナ

その通りです

キュリオン

にわかには信じがたいことですけど、あなたの言葉を信じたとして、その解雇された凄腕の護衛を呼び戻せば、アルゴス商会は復活するのでは?

 

キュリオンの言う通りだ。

だが、それが実現することはありえない。

僕は無意識のうちに拳を握っていた。

 

リリーナ

それは無理のある話です。なぜなら彼は、もうこの国にいないのですから

キュリオン

……もしかしてその護衛というのは、リリーナさんのお知り合いの方ですか?

リリーナ

まあそんなところです

キュリオン

それなら、先ほどの情報の信頼性は増しますね。少し興味が湧きました。その方の実力は、どの程度のものなのでしょうか?

リリーナ

それは、そこのルノと同等と思ってください

キュリオン

つまり、一騎当千の力を持っていると?

 

リリーナは不敵な笑みを浮かべ、深く頷いた。

ここまで聞けば、僕にも分かる。

彼女が言っている護衛というのは僕、リン・カーネルのことだ。

僕をクビにしたことで、アルゴス商会が窮地に陥っていると言っているのだ。

でも僕には自信がない。それがどうしても信じられない。

 

キュリオン

分かりました。せっかくあなたの出資を受けるのですから、そのお言葉を信じてみましょう

 

キュリオンもよく分かっているはずだ。

出資者は自らが儲けるために経営へ口を出すのだから、嘘なんか言っても意味がないことに。

後はリリーナの推測が正しいと信じるしかないのだ。

 

リリーナ

よろしくお願いします

 

交渉は上手くいき、僕らはキュリオン商会を出た。

 

特に余韻にひたることなく淡々と立ち去ろうとするリリーナを、僕は思わず呼び止めた。

 

ルノ

リリーナさん

リリーナ

ん? なんだ?

ルノ

教えてください。どうして鉱石商の商売なんかに手を出したんですか? 特に興味のある市場でもないはずです。アルゴス商会のことだって、どうなるか分からないのに

リリーナ

少し考えれば分かることだよ。君のような素晴らしい護衛を不当解雇する商会なんかに未来はないさ。だから、それを利用させてもらうんだ

 

淡々と告げるリリーナの背中は、小さながらも自信に満ち溢れていて、安心感があった。

 

 

交渉の後、せっかくだからと近くの料亭で夕食を済ませると、すっかり辺りも暗くなってしまった。

早く返ろうと急いでいると、少し淡い桃色の光に包まれた、不思議な雰囲気の通りに出る。

周囲を見るとカップルらしき男女が多く、他にも露出が多めの衣装を来た女性や大きめのコートを羽織った女性、いかにも成金といった感じの恰幅の良い男などが行き交っている。

 

ルノ
……って、ここはっ!

 

歓楽街の中でもピンク系が多い裏の通り。

落ち着け僕、ここは平常心だ。

アルゴス商会の護衛時代だって、よく通っていたじゃないか。

もちろん、アルゴスたちが楽しんでいる間の護衛として。

 

ルノ

リ、リリーナさん、こんなところさっさと抜けましょう

リリーナ

ぅっ……

ルノ

リリーナさん?

 

返事がなくて不思議に思った僕は彼女の顔を見た。

すると、顔を真っ赤にして固まっている。

彼女もこういうのには不慣れなんだ。

それなら、僕がしっかりしないと。

僕はそっとリリーナの手を握る。

 

リリーナ

ぴぇっ!?

ルノ

行きましょう。私がついているから大丈夫です

リリーナ

う、うん……

 

リリーナはしおらしく小さな声で返事をすると下を向いた。

こういう素直でしおらしいリリーナはレアなので、僕も気恥ずかしくなってしまう。

とにかく早く帰ろう。

 

しかし、歩いてすぐに二人の男に絡まれてしまった。

片方は色黒の金髪で、整った顔立ちの青年。もう一人は坊主頭にごっつい体格の大男だ。

 

 

僕はリリーナを守るため前へ出る。

 

君たち凄く可愛いね。もしかして、貴族のお嬢様だったりするのかな?

 

金髪の青年が爽やかな笑みを浮かべながら聞いてくる。

 

ルノ

いえ違います。先を急ぎますので、通してください

 

僕は彼らの目を見ることなく、淡々と告げる。

とにかく早くここから離れたい。

しかし青年は道を開けることなく、二ヤリと口の端を歪めいやらしく笑った。

 

あぁやっぱりぃ? こんなところに貴族様が来るわけないよねぇ。念のために聞いただけさ

ジン

あぁ、ごめんごめん。可愛らしいお二人さん、どうかな? ここらで働かない? 君たちぐらい可愛いければ、めちゃくちゃ稼げるよ?

 

そのとき、僕はようやく自分の失言に気付いた。

彼らはそういういかがわしい店の店員の勧誘をしているんだ。

もし貴族令嬢が相手だと、後で面倒なことになるから、あらかじめ確かめたのか。

平民と知れば、ある程度強引な態度に出ても構わないという考えだろう。

 

ルノ

結構です

まぁまぁそう言わないで。一回店を見ていきなよ。それからでも遅くないだろ?

リリーナ

ル、ルノ……

ルノ

くっ……

 

青年はグイグイ詰め寄って来る。

やっぱり強引にくるつもりだ。

そしてついにその手を伸ばして来た。

仕方ない、リリーナさんを守るためだ。

ここは強引にでも――

 

 

ウイニング

――その人に触れるな

 

そのとき、凍てついた冷気のように冷たく、抜き身のナイフのように鋭い声が僕たちを守った。

青年は伸ばしていた手を止め、僕も臨戦態勢を解く。

横を向くと、そこには二人の従者を連れた黒いスーツ姿の紳士がいた。

 

ルノ

……ウィニング様?

ウイニング

やぁルノさん、また会ったね

 

彼はにこやかに僕へ微笑むと、表情を消し男たちへ鋭い眼差しを向けた。

その無言の迫力に金髪の青年は怯み、大男も顔を強張らせる。

 

ウイニング

彼女たちは僕の知り合いだ。手を出さないでもらいたい

あぁ? 急に割り込んできてなんなんだよ!

お、おい待てジン。ウィニングってまさか、貴族の?

 

威勢良く言い返そうとした青年の肩を大男がつかんで止める。

彼の探るような問いに、ウィニングは答えず凄みのある笑みを浮かべた。

 

……ちぃ、行くぞ

 

二人はようやく諦め、つまらなそうに舌打ちして去って行った。

 

 

ウイニング

ルノさん、大丈夫? なにかされてない?

ルノ
いえ、危ないところで助かりました。本当にありがとうございます
ウイニング

それなら良かったよ

 

ウィニングはそう言って甘く微笑む。

肩の力が抜け安堵しているのがよく伝わってくる。

それに本当に嬉しそうで、とても魅力的な笑みだ。

 

これは令嬢たちが夢中になるのもよく分かる。

僕が男でなければ、白馬の王子様のように見えたことだろう。

すると、後ろからブラウスの袖が引っ張られた。

いけない、リリーナさんを差し置いて二人で話していた。

 

ルノ

ご紹介します。私の友人のリリーナ・クイントさんです。リリーナさんはご存知でしょうが、こちらは男爵家のウィニング・グレイシャル様です

リリーナ

リリーナ・クイントと申します。先ほどは助けてくださり、誠にありがとうございました

ウイニング

いや、当然のことをしたまでだよ。でもここら辺は、あなたがたのような淑女しゅくじょが来る場所じゃない。早く帰られたほうがいい

リリーナ

は、はい……

 

リリーナは再び顔を赤くして伏し目がちになる。

すっかり肩の力が抜けた僕は、ウィニングへ微笑んだ。

 

ルノ

でも少し驚きました。ウィニング様もこういう場所に来られるんですね?

 

なんだか親近感が湧いてきた。

なんというか、謎めいていて不思議な雰囲気のあるウィニングが、こういう俗っぽい世界とは無縁に思えたのだ。

すると、彼は一度周囲を見回し、慌てて口を開いた。

 

ウイニング

ち、違うんだ。別にそういう目的で来たわけじゃない。たまたまこの近くに用事があっただけだよ

 

ウィニングは顔を少し赤くして弁明するようにまくし立てる。

いつもの余裕があって落ち着いた話し方とは違い、新鮮な反応だ。

それがおかしくて、クスリと笑みがこぼれてしまう。

 

ルノ

そうだったのですね。でも別に、そういう目的で来ていたとしても、やましいと感じることはありません

 

だって男だもの。

むしろ完全無欠そうなこの紳士だからこそ、安心感を覚えるんだ。

僕の反応に、ウィニングは驚き目を丸くすると、頬を緩ませた。

 

ウイニング

器の大きな女性だ

ルノ

いえ、男性です。騙してすみません……)

ウイニング

とりあえずここは危ない。僕たちが近くまで送るよ

ルノ

え、えっと……

リリーナ

ルノ、せっかくのご厚意だから、甘えさせて頂こう。ウィニング様、よろしくお願い致します

ウイニング

うん、任せて

 

結局僕たちは、屋敷の近くまでウィニングに送ってもらった。

その後、いつもの調子に戻ったリリーナは、「まさかあのウィニング男爵すらも落としていたとは……」と変な勘違いをしていた。

まあその誤解もそのうち解けるだろう。