#7 子爵令嬢の嫉妬【女装剣豪令嬢 第三章】

第三章 貴族たちの世界

 

 

ルノ
――す、凄い……

 

僕はしっかり手入れされた緑広がる庭園で、目の前に建つ豪邸に圧倒されていた。

グレーの屋根に壁は純白に塗装され、昼間だというのに輝かんばかりの存在感を放っている。

栄華を象徴するような堂々として侵しがたい雰囲気で、城のようでもある。

リリーナの屋敷よりさらに大きく、二階の窓からは使用人らしきメイド服の女性たちが掃除をしているのが見えた。

 

ルノ

リリーナさん、ここはいったい……

リリーナ

貴族、アストライア家の屋敷だ

ルノ

ア、アストライア家って、あの子爵家の?

リリーナ

そうだ。先祖代々、伯爵家から多数の土地の管理を任されてきた有力者だよ。血酒の商売にも明るくてね、オークションを主宰したり、専門店に出資したりと、商売でも相当な儲けを出しているらしい

 

血酒とは、麒麟キリンという希少な獣の血を熟成させ、それをブドウ酒に混ぜて造る特殊な酒だ。

滋養強壮や長寿の効能があると言われているが、希少品なため非常に価値が高く、貴族を始めとした権力者の接待に使われることが多いという。まごうことなき生粋きっすいの貴族。

うぅ~緊張するぅ。

リリーナさんは、友達のところへ遊びに行くだけだと軽い調子で言ってたけど、なんか怪しいと思ってたんだ。

だって、わざわざカフェ・ハウルで一番高いスイーツを丁寧に包装してもらってたし。

 

リリーナ

どうしたルノ、緊張してるのか?

ルノ

そりゃそうですよ、子爵家なんてやんごとない身分の方々じゃないですか。無礼を働いて監獄にぶち込まれたらどうしましょうっ!?

リリーナ

貴族に対してどんなイメージを持っているんだ。子爵令嬢とは私が貴族だった頃からの付き合いだから心配はいらない。さ、行くぞ

 

リリーナはそう言って屋敷の入口まで悠々と歩いて行く。

小心者の僕は胃がキリキリするのをこらえながら後へ続いた。

 

玄関の前で応対してくれたのは、美人なメイドさんだった。

彼女は相手がリリーナだと分かると、ニッコリと上品に微笑み、二階の応接室まで案内してくれる。

長いテーブルの席にリリーナがちょこんと座り、僕がその後ろに立って待っていると、すぐに子爵令嬢が現れた。

 

ケシー

ご機嫌よう、リリーナ。よくお越しくださいましたわ。それと、そちらの方は?

ルノ

お初にお目にかかります。リリーナさんの友人で護衛をしております、ルノ・カーストと申します

ケシー

ケシー・アストライアですわ

 

これが正真正銘しょうしんしょうめいの貴族令嬢か。

輝かんばかりの美しい銀髪をツインの縦ロールにし、黒のティアラを着けている彼女は、まずオーラからして別格だ。

顔は小さく鼻筋が通っており、鋭利な印象を与えるつり目は、貴族としての威厳と風格を象徴している。

加えて、どこか挑戦的な眼差しに勝気な堂々とした立ち姿は、一目見て高貴な血筋の令嬢だと分かるだろう。

華やかなドレスも、赤と白を基調として花柄模様がよく似合っており、フリルやオーバースカートの膨らみが、余裕のある上品さを強調する。

背が高めで胸も大きく、均整のとれた抜群のプロポーションを誇る彼女だからこそ似合っていた。

 

ケシー

ルノさんは、ずいぶんと美しい方ですのね

ルノ

い、いえ、そんなことは……

 

僕はごにょごにょしてしまう。

ケシーほどの美女に言われては委縮する他ない。

 

ぜひとも仲良くしたいと思っていたのだが、彼女は少しムッとしたように眉を寄せた。

こちらへ向けられている視線は、どう考えても好意的ではない。

これはそう……敵意だ。

 

いったいどうしたんだろう?

もしかして僕、無意識のうちに彼女の機嫌を損ねるようなこと、やっちゃった?

無礼があったのかもしれないと恐怖を感じ、慌てて頭を下げる。

 

ルノ

も、申し訳ございません。なにか私に不手際がございましたか?

リリーナ

いいや、ルノは謝らなくていい

 

そこでリリーナが口を挟んできて、火に油を注ぐようなことを言う。

ケシーもキッとリリーナをにらみつけた。

 

ルノ

で、ですが!

リリーナ

ケシーはただ、君が美しいから嫉妬しているだけさ

ルノ

へ?

ケシー

ちょっとリリーナ! 変なことおっしゃらないでくださる!?

 

そこまで張り詰めたような雰囲気を纏っていたケシーが、真っ赤になって身を乗り出した。

あれ? 思ったより怖くないかも……

リリーナはいつものように毅然とした態度で、薄い笑みを浮かべている。

というか、身分が上の人相手に大丈夫か、これ。

 

リリーナ

顔が赤いな、図星か?

ケシー

むぅ~

リリーナ

なにか文句があるのか? もしや、ルノが美しくないとでも言うつもりか?

ケシー

い、いえ……彼女はその、とてもお美しい方ですわ

 

ケシーは屈辱に耐えるように肩をプルプルと震わせながらボソボソと呟いた。

どうやら嘘をつけないまっすぐな性格みたいで、好感が持てる。

それにしても、子爵令嬢が相手だっていうのに、いつものリリーナだ。

いつもの僕のように、ケシーもいいようにもてあそばれている。

あっ、なんか彼女に親近感が沸いてきたかも!

 

ケシー

ふんっ!

 

しかし彼女へニッコリ微笑んでも、そっぽを向かれてしまった。

やっぱりやりすぎだよ、リリーナさん。

 

 

ケシー

それで、彼女はいったいなんなんですの? 友達で護衛だなんて、関係がよく分かりませんわ

リリーナ

ん? あぁ、拾った

ケシー

あぁぁぁっ、なんだか頭痛がぁ……

 

ケシーが苦しげに額を押さえる。

うん、その気持ち、僕もよく分かるよ。

 

リリーナ

どうしたケシー、大丈夫か? ルノ、彼女は具合が悪いようだから介抱してやってくれ

ケシー

あなたのせいですわ!

 

ケシーは興奮してテーブルに両手をつき、バンッと小気味良い音が鳴った。

まるでコントだ。

 

リリーナ

こらこら、マナーがなってないぞ。それでも誇り高き貴族様か?

ケシー

あなたこそ、元貴族のくせに、拾い食いのような品のないことをして……

 

ん? 拾い食い?

もしかして僕のことかな?

もしそうなら、泣いちゃうよ?

 

リリーナ

どうしたんだケシー、今日はえらく不機嫌じゃないか

ケシー

別に。ルノさんに少し思うところがあるだけですわ

 

ケシーはそう言って、つーんとそっぽを向く。

やっぱり僕、なにかしちゃったのかな?

でも下手に口を挟むわけにはいかないし、う~ん……

 

でも、敵意を向けられて、なんだか安心感を覚えるのも確かだ。

最近は過剰なほど、好意的な視線ばかりにさらされていたから。

あぁーこの地に足のついた感じ、いい……

 

ケシー

なんなんですの、この人? 気持ち悪い笑みを浮かべて、幸せそうにしているんですけれど

リリーナ

気にするな。ペットみたいで可愛いだろう?

 

その後すぐに、メイドが切り分けたケーキを持ってきてくれた。

リリーナが買ってきたカフェ・ハウルの逸品だ。

ここはリリーナの友達ということで、僕も一緒に食べることをケシーが許してくれた。

なんだかんだ言って優しい。

 

ケシー

やっぱり、リリーナのお店のケーキは格別ですわね

ルノ

僕までご馳走になってしまって、申し訳ありません

 

僕が恐縮してヘコヘコしていると、ケシーはこちらへジト目を向けてきた。

なにかを疑っている様子だ。

 

ケシー

『僕』? 今あなた、自分のことを僕と言いました?

ルノ

へ? ……あっ、いえ、そのぉ……

 

しまったぁぁぁぁぁっ!

ケーキの美味しさに油断して、思わず口走ってしまった!

ど、どどどどうしようっ……このままじゃ男だとバレて、子爵令嬢の怒りを買ってしまう!

 

しかし隣のリリーナは、優雅に紅茶を飲みながら冷静に言った。

ケーキは既に皿にない。

 

リリーナ

気にするな、ケシー。この子はたまにボクっになるんだ

ケシー

なんです、それ?

リリーナ

いや、大した意味はない

 

僕も意味は分からないけど、とても屈辱感を感じるのは気のせいだろうか……

 

ケシー

そうですか。まったく、品がありませんわね

ルノ

も、申し訳ございましぇん……

 

かんでしまって、「バカにしているんですの?」というような鋭い視線を向けられてしまった。

視線が痛くて、スイーツの味なんて気にする余裕はなかった。

 

令嬢二人は、紅茶を飲みながらのんびり話した

僕はほとんど相槌を打っていただけだが、リリーナとケシーは、まるで本当の姉妹のように気兼ねなく楽しそうに話していた。

幼なじみというのは伊達じゃないらしく、見てるこっちもなんだかほっこりする。

 

それからしばらしくて、リリーナはそろそろいい時間だと告げた。

 

ケシー

楽しい時間というものは、すぐに過ぎ去ってしまいますのね

リリーナ

そうだね、また来るよ

ケシー

あ、その前に一つだけ

リリーナ

ん?

ケシー

本日の夜、この屋敷でパーティーを開きますの。いつも通り、当家の出資する血酒専門店ヴィーナスの会員と、その紹介であれば、身分関係なく参加できますわ

リリーナ

そうか……ぜひ参加させてもらいたい

 

リリーナは逡巡した後、参加を告げ、それを聞いたケシーが目を丸くした。

 

ケシー

あら、珍しいですわね。なにか心境の変化でも?

リリーナ

まあね。私のような没落貴族なんて、行ってもみじめな思いをするだけだから、こういうの避けてきた。でも、いつか再び貴族になろうとしているのだから、いつまでも避けてはいられないさ

ケシー

別に無理をしなくても……

 

ケシーは心配するように瞳を揺らす。

ただ純粋にリリーナのことを気にかけているようだ。

しかしリリーナは、頬を緩ませ首を横へ振った。

 

リリーナ

今の私には、ルノがいる

ケシー

そう、ですわね……少し嫉妬してしまいますわ

リリーナ

ふふっ、君が珍しく不機嫌な理由が分かったよ

 

リリーナはおかしそうに笑うと立ち上がり、アストライア家の屋敷を去る。

僕もケシーへ感謝を込めて頭を下げ、リリーナへ続いた。