最終章 投資家の戦い
伝説の大投資家、ケルベム・ロジャーが弟子の経営する商会に大金を預けたという話は、情報屋の発行する情報誌によって国内へ広まった。
それによってヤマト運用は一気に信用を取り戻し、新たな顧客の注文が殺到することになる。
早朝、ドグマン邸では血相を変えたギガスが息子を呼び出していた。
ドラン、これはどういうことだ!? きゃつを追いつめるどころか、むしろ有名になって活気づいているではないか!?
これが落ち着いていられるか! 奴らを追いつめるためにかなりの強硬手段に出たんだぞ。これでもし牙を向けてきたら、厄介なことになる
ドランは微笑を浮かべ余裕の表情を崩さずに言った。
そんな態度にギガスは困惑し顔をしかめる。
いったいどこからその余裕が生まれるのかと。
そんなこと言ってないで、どうにかせねばなるまい
大丈夫ですよ父上。切り札になりうるカードを手に入れたので
ドランはにやりと口角をつり上げ、ギガスは目を丸くした。
そうして先日屋敷で見た、銀髪ツインハーフの褐色のエルフを思い出す。
そういえば、例のパーティのメンバーを一人引き込んだと言っていたな?
ええ。彼女には、仲間たちが追い詰められ破滅していく様を見せた後で、じっくりと可愛がってあげるつもりです
ドランは普段のニコやかな表情からは考えられないような、嗜虐的な歪んだ笑みを浮かべていた。
恍惚としていて、ギガスは頬を引きつらせる。
我が息子ながら、その歪んだ趣味はどうにかならんのか?
ご心配なく。今度は壊れないように気をつけますから。私も屋敷を汚されるのはもうこりごりなのでね
分かった。後は任せるぞ
ギガスは深いため息を吐くと、ドランを下がらせた。
まぁ心配はいらないか。いくら客が増えたところで、資産を管理するだけだ。そんなすぐには利益は生まれんだろうから、その前に潰せばいい
屋敷の空き部屋では、メイド服を着たシルフィが先輩の使用人と共に掃除をしているところだった。
メイド服は、ドランの趣向に合わせてデザインされているらしく、少し露出が多い。
肩出しへそ出しにミニスカで、お淑やかなシルフィにはどうも慣れない。
それに、エルフの仲間から嫌悪されていた褐色の肌をさらすのに強い抵抗があった。
シルフィ、その顔どうしたの?
あ、これは、その……
気前の良い若いメイドに問われ、シルフィは赤く腫れあがった頬をさする。
昨日、部屋の掃除をして回っていたところ、スノウと遭遇してしまい、ぶたれたのだ。
以前のアクセサリーショップでの一件を相当根に持っているらしい。
そのとき一緒にいたメイドはなにも言えず、スノウの怒りが収まるのを待つしかなかった。
あぁ……お嬢様ね。それは災難だったわね。あの人、誰にでも容赦ないから……気にしちゃダメよ?
はい、大丈夫です
シルフィは儚げに微笑み、ほうきを持つ手を動かした。
彼女は仲間たちを助けるためにここへ来たのだ。
どんなに辛い仕事でも後悔はない。
でも本当に気をつけなさいね?
はい?
あなた可愛いから、ドラン様にお誘いを受けると思うの
お誘いですか?
ええ、あの方はシルフィぐらいの小さな女の子が好きでね。実は――
その内容を聞いたシルフィは、顔から血の気が引き手が震えた。
ドランの性的暴力。
それは言葉で言い表されるほど優しいのものではなく、これまで多くのメイドが精神を病んできたらしい。
しかもその被害者の多くが元奴隷で、極秘裏に奴隷商から買い取ってきているため、表沙汰にならないよう処理されるという。
この間も、屋敷を汚されちゃって、掃除が大変だったのよ……って、シルフィ?
や、やだ……
シルフィはその場にペタンと座り込み、震える体を両手で抱いた。
脳裏には、トリニティスイーツの仲間たち、そしてヤマトの優しい顔が蘇り涙が溢れる。
やだ……やだよぉ
ちょ、ちょっとおどかしすぎちゃった? ごめんね、悪かったよ
帰りたい……またみんなと一緒にいたいよぉ
叶わぬ願いと知りながら、溢れ出る感情はしばらく抑えられなかった。
息を吹き返したヤマト運用。
師匠のブランド力のおかげで、顧客の減少どころか新規顧客が急増してきて、店はいっぱいいっぱいだ。
それに対応すべく、人を増員してハンナに統括を任し、マヤには別の仕事を依頼していた。
おそらく、ボーン商会がグランチェス伯爵に近いかと
ヤマトは店の奥にある執務室で、マヤへ指示を出していた。
彼女は顧客台帳とギルドの開示書類を棚へ戻すとすぐに部屋を出る。
ヤマトが調べさせていたのは、ギガス率いるハンターギルド『ブレイヴドグマ』の共同出資者たちだ。
基本的にギルドは、傭兵派遣の商会や武器屋、金庫番などの商人たちが集まってできる組合のような組織。
そこにはギルドを運営する立場として、各商会や店のトップが参画し、その中で会長が選任される。
その会長選任の際に、決定権を持つのがギルドへ出資しているオーナーたちだ。
それを逆手にとれば、オーナーは会長を解任する権限も持っているということ。
ブレイヴドグマほどの大組織ともなると、オーナーや経営陣の名前は開示していなければならないので、ヤマトはオーナーを調べさせた。
さらに、ヤマト運用の顧客たちの中で、ギルドのオーナーと関係の深い者を見つけ出したのだ。
時間がない、急いで準備をしよう
護衛として控えていたアヤは返事をして、壁のハンガーにかけてあったコートをとる。
上質な毛皮で作られた漆黒のロングコート。
以前シルフィが贈ってくれたものだ。
シルフィ、すぐに助けに行くよ
コートへ袖を通すと、シルフィとの日々が脳裏に蘇り自然と活力が湧いて来た。
彼女は、ヤマトへ光を与えた。
周囲にヤマトを認めさせ、彼が自信を持てるきっかけを作った。
(君は、数え切れないほどのたくさんのものを僕にくれたね)
ヤマトの大好きなハンターパーティ。
そこには、シルフィがいないと意味がない。
今度は、僕が君を助ける番だ――
ヤマトは、ボーン商会の会長にヤマト運用を利用してくれたことの礼を言うと共に、グランチェス伯爵にも勧めたいからと言って、間を取りもってもらった。
その返事が来てすぐに、伯爵の屋敷へと足を運ぶ。
――グランチェス伯爵、お初にお目にかかります。ヤマト運用商会のヤマト・スプライドと申します
よく来てくれた、ヤマト殿。話はボーン商会から聞いているよ。まあまずは座ってくれ
グランチェスにうながされ、応接室のソファに座ると、使用人が紅茶を入れてくれた。
目の前に座る男は、貴族というだけあってただならぬ風格を醸し出していた。
ブラウンの髪はオールバックにして、高い鼻に整った顔には余裕の表情を浮かべている。
首元にはクラヴァットと呼ばれる純白の布を垂らし、細かな刺繍入りの薄紫のベストの上からは漆黒のコートを着て、まごうことなき紳士といった印象だ。
いやぁ、まさかあのケルベム・ロジャーのお弟子さんが来てくれるとは、正直驚いたよ
恐れ入ります。ぜひ、グランチェス伯爵にも当商会のお客様になって頂きたいと思っておりまして
そうだねぇ、非常に興味深いんだが……まずは検討してみるよ
グランチェスはニコやかに言ってソファに背もたれる。
遠回しに断れたことはヤマトにもすぐに分かった。
貴族ともなると、さすがに手ごわい。
グランチェスは、顎に手を当てニコニコとヤマトの目を見て告げる。
それはいいから、本題に入ろうか?
本題、ですか?
今や時の人である君が、わざわざ営業のために僕を訪ねて来たわけじゃないんだろう?
……さすがはグランチェス伯爵。すべてお見通しですか
ふふふっ、あなどってもらっては困るね
そのとき、グランチェスの目が鋭く光った。
これ以上引き延ばせば印象を悪くするだけだと思い、ヤマトは本題に入ることにする。
実は当商会では、資産運用の投資先にギルド『ブレイヴドグマ』を選定するべきか迷っているところなんです
グランチェスは目を丸くしたものの、おもしろそうだと頬を緩ませた。
自分がギルドの出資者であると言わなかったのは、こちらがそれを知った上だと悟ったからだろう。
ほぅ? なぜそこを候補に選んだのか、理由を聞こうか
僕も以前はハンターとしてブレイヴドグマに所属していました。そのとき感じたのは、ハンターのサポートが厚く、依頼も豊富なので、これからも不動の人気を獲得し続けるのではないかということです
うん、納得の判断だね
しかし、一つだけ判断に迷うことがあるのです
……どういうことだい?
グランチェスは、それまで気を良くして頬を緩めていたが、すぐに表情を引き締めた。
ここが正念場だ。
ヤマトも緊張感に気を引き締め告げる。
会長のギガス男爵です
……なにが言いたいんだ?
彼がギルド運営のトップに座しているのでは、業績低迷のリスクが低くないと考えます
つまり、彼が経営者として無能だと?
グランチェスは真剣な表情でヤマトの目を見つめる。
すべてを見透かすような眼差しに、目をそらしたくなるが、ヤマトはなんとか頷いた。
ギガス会長は最近、稼ぎ頭だったハンターパーティを活動休止にまで追い詰めました。それも確かな証拠もなしに。そんなことをしても、ギルドにとってマイナスでしかありません。経営者としてそれすら分からないのだとしたら、彼は無能以外の何者でもありません
熱の入ったまっすぐな言葉に、グランチェスは目を丸くする。
そして最後まで聞き終えると苦笑した。
ずいぶんと容赦がないな。確かに君の言う通りだ。ギガスは権力を振りかざすだけの無能に違いない
オーナーのみなさんは、なぜ彼を会長に選んだのですか?
まぁそこは色々あってね。あのギルドがここまで成長したのは、ギガス男爵の権力を利用させてもらったからだ。裏の繋がりってやつさ。そういう裏事情くらい、君も投資家ならよく知っているだろう? だから彼が会長の座を寄越せと言ってきたとき、当時就任したばかりだったギルド会長は、自ら退くしかなかったというわけさ。候補が一人しかいないのなら、オーナーの私たちも選びようがない
そういうことだったんですか。もしその方が会長のままでありさえすれば……
今さら気にしても仕方ないさ
グランチェスは困ったように笑うと、肩をすくめた。
だがヤマトはそこを突く。
ようやく見出した活路を見逃しはしない。
僕はそうは思いません
ん?
今からでも遅くないということです。当時の会長はどなたでしたか?
それは――
その名を聞いたとき、ヤマトはわずかに頬を緩ませた。
グランチェスに礼を言って屋敷を出ると、肩の上でピー助が鳴く。
クェッ!
ああ、あと少しだ。あと少しで奴らに手が届く
ギガスたちは気付きもしていないだろう。
自分のたちののど元には既に、鋭い刃が突きつけられているということに。
ヤマトは町へ戻ると、すぐに金庫番の融資担当であるロンドの元へ向かうのだった。