第五章 伝説の大投資家
町の貴族、ドグマン家の住む豪邸。
そこでは、父、息子、娘の三人が大きなテーブルを囲って優雅に食事をしていた。
端正な顔立ちに甘いマスクを貼りつけた、金髪碧眼の男がステーキへナイフを入れながら妹へ告げる。
そういえばなんと言ったか……あの鬼人、捕まったそうだよ
そっちも一緒。今朝、監獄へまた連れて行かれたらしい
ずいぶんと淡白な反応だね、スノウ。同じパーティの仲間だったんだろう?
スノウは兄の問いかけに鼻で笑って答える。
ヤマトごときも始末できないような、弱い男たちですわ。もう忘れました
我が妹ながらおっかないねぇ
スノウの兄『ドラン・ドグマン』は苦笑して肩をすくめる。
ドグマン家は、この町の一部の土地を所有しそれなりの権力を持った貴族。
ヤマトを襲った罪で騎士に捕まったスノウを助けたのは、父『ギガス・ドグマン』だった。
罪を犯したことで、懲役となるか多額の罰金を払うかとなったところで、ギガスが代わりに支払ったのだ。
もちろん、マキシリオンとライダのほうは無視したため、二人は牢に入ったわけだが。
スノウは丁寧な所作で食事を終えると、口元をナフキンでぬぐった。
優雅で余裕のある雰囲気は、とてもではないがヤマトを襲撃したときと同一人物には見えない。
父のギガスは、やれやれと首を横へ振る。
あんな無能なハンターどもと一緒に行動していたのが、そもそもの間違いだったのだ。スノウ、もうハンターにも飽きてきた頃だろう。そろそろお見合いでもどうだね? 近々わしの知り合いの――
……私をあんな目に合わせた者たちに、立場を分からせて差し上げるのです
つまり、仕返しだ。
スノウは貴族令嬢として、落ちぶれたハンターたちと共に騎士に捕まるという屈辱を受けた。
相手を同じか、それよりもひどい目に会わせないと気がすまないのだ。
娘に甘いギガスは、大きく頷いて拳をかたく握る。
そうだな。ドグマン家の娘を犯罪者に仕立て上げるなど言語道断。分をわきまえない平民には、痛い目を見てもらわねばならんな
お父様のおっしゃる通りですわ
ドランは妹が全面的に悪いのだと理解しているが、平民に対する考え方は二人と同じなので、やれやれと頷く。
しかし本当の狙いは別にあった。
ドランは微笑を顔に貼りつけ、スノウへ問う。
はい、お兄様。ですが、私が酷い目にあうきっかけを作った無能が、もうそこにいません
なんでも、新しい商会を立ち上げたそうです
ふむ、おもしろいな
ギガスは愉快そうに頬を歪めワイングラスに口をつける。
ドランはあごに手を当て、逡巡すると告げた。
ハンターパーティのほうはお父様、お願いします。投資家のほうは僕が潰しますので
任せておけ。小娘たちなど、どうとでもなるわ
ギガスはたわいもないというように鼻を鳴らす。
彼は今、トリニティスイーツが所属するギルド『ブレイヴドグマ』の会長をしている。
いわゆる天下りというものだ。
土地の管理を長男のドランに譲って引退したギガスは、今まで懇意にしてきたギルドに根回しして会長の座へと腰を据えたのだ。
ゆえに、ハンターたちは彼の手中と言っても過言ではない。
それではお願いしますわ
スノウは席を立って優雅にお辞儀をすると、部屋へ戻って行った。
彼女が出て行ったの確認すると、ギガスは険しい顔をドランへ向けた。
ドラン、お前なにを企んでいる?
ドランは歪んだ頬をついに抑えきれなくなり、凄絶な笑みを浮かべるのだった。
それから毎日、少しずつではあったが、ヤマト運用の顧客と預かり資金は増えていった。
預かった資金の運用も、小鳥たちの集めた情報をもとに、緻密な計画を立て順調に進めているところだ。
そんなある日の午後、ヤマトは誰もいない店内で受付席の前に座り、頬杖をついてぼんやりしていた。
師匠、手紙読んでくれたかなぁ
クェ~
気の抜けるような呟きに、ピー助が力なく鳴いて答えた。
店が落ち着いてきてから、ヤマト運用商会を立ち上げたことを報告すべく、師匠へ手紙を送ったのだ。
いつものごとく返事はないが、彼女もどこか遠くで活躍しているのだと信じている。
願わくば、彼女にも客として来てもらいたいものだが、それは期待が過ぎるというものだ。
こんにちはー
油断しているところに突然の来客があり、ヤマトは慌てて立ち上がる。
ピー助も突然のことでヤマトの肩から転がり落ちた。
いらっしゃいませ!
おっ、いたいた~やぁヤマト、繁盛してるかい?
グレイスさん! お久しぶりです。来てくれたんですね!
見知った顔を見て、ヤマトは嬉しそうに声を弾ませた。
来店したのは、隣町で店を開いている若い鍛冶屋だ。
ヤマトのソウルヒート時代、厳しい寒波が訪れ氷属性の魔物が大量発生することを読んだヤマトの提案を受け、グレイスは火属性の武器を数週間早く大量生産し始めた。そして想定通り火属性武器の需要は上がり、二人で大儲けしたという経緯がある。
また君に儲けさせてもらうよ
ご利用ありがとうございます!
グレイスは手続きの書類を書き終えると、少し真剣な表情になってたずねてきた。
ところでヤマト、君は一時期、トリニティスイーツというパーティにいたと聞いてたけど……
へ? 確かにそうですけど、今はもうパーティから手を引きましたよ?
いったいなんの話かとヤマトは首を傾げる。
すると、グレイスはホッとしたように少し肩の力を抜いた。
そうか。それじゃあ今回の件、悪影響はないかな?
どういうことですか?
もしかしてまだ知らないのか? トリニティスイーツの『ハンター活動休止措置』を
……は?
突然の言葉にヤマトは頭が真っ白になる。
嫌な予感をひしひしと感じた。
実は昨日、トリニティスイーツは他のパーティをだまし打ちにして、ライバルを減らすような卑怯なパーティだって、ギルドが公表して活動休止にしたんだ
そ、そんなバカな……
信じられなかった。
そもそもその話は、自分のよく知るパーティのことなのかすら疑わしい。
しかし、もしなにかの冤罪でそんな状況に追いやられているのだとしたら、ただ事ではない。
グレイスさん、教えてくれてありがとうございます!
おぅ、お役に立てたなら良かったよ。それじゃ、運用のほうはよろしく頼むわ
グレイスは空気を読んだようで、「それじゃ、俺は行くわ」と軽い足取りで去って行く。
ヤマトは慌てて机に置いていた書類を片付け始めた。
そしてすぐに店を閉めて臨時休業とし、ギルドの仲介所へと駆け出すのだった。
…………………………
クエスト仲介所へ行っても、ラミィたちの姿はなかった。
町の人たちに聞いて回りながら、探していると、ようやく日が暮れる前に見つけることができた。
ラミィ、ハンナ、シルフィ、マヤの四人は、大広場のベンチに座り、肩を落としてうつむく姿が哀愁を漂わせている。
クェ……
……ヤマトさん
ヤマトがどう声をかけようか考えながら近づくと、シルフィが顔を上げた。
瞳を揺らし、不安に押しつぶされそうな表情を見ると、グレイスの言っていたことが間違いでなかったのだと分かる。
あはは……ヤマトくんには気付かれたくなかったのになぁ
いつもは快活な彼女が暗い表情をしていると、胸がしめつけられるようだ。
ラミィとマヤは立ち上がると、ヤマトを見つめた。
いつになく真剣な表情に息をのむ。
……スノウのしわざだろうね
その名前を聞いてヤマトは目を見開く。
マキシリオンとライダから離れたと聞いて気にもしていなかったが、まさか単独でしかけてきたというのか。
ヤマトは彼女への警戒を怠ったことを強く後悔する。
ヤマトは怒りに肩を震わせ拳を握りしめる。
あまりにふざけた話だ。
自分たちの私利私欲のために襲っておいて、今さら被害者面しようというのか。
彼女には、貴族としての誇りなどかけらもないのだろう。
それで、ギルド側はトリニティスイーツを疑い、ハンターとしての活動の休止を命じてきたんだよ。ギルドの規約に違反しているおそれがあるからとね
もちろん、それはしました。でも全然ダメだったんです。ギルド会長の方針だからって
やられたよ。今のギルド会長は、ギガス・ドグマン。スノウの父だ
なるほど、スノウは父親にすがりついたわけだ。
貴族としての誇りは持たないのに、権力だけは利用しようとするなんて、あまりにも性根が腐っている。
だが、いくら貴族でギルドの経営者が相手だろうと、やりようはあるはずだ。
それもダメだろうな。騎士はあくまで領主の下に属する組織であって、公平な立場。今回の件は民間の組織内部でのいざこざだから、介入はできない
実のところ、今所属しているギルド『ブレイヴドグマ』は町で最大規模を誇り、その分依頼なども無数に舞い込んで来る。
ブレイヴドグマの他にも小さなギルドは存在しているが、報酬の額やクエストの種類が遥かに劣るのだ。
だから極力、ギルドの移転は避けたところなのだが……
私たちも手分けして他のギルドを回ってみました。でも、どのギルドも犯罪者はお断りだと言って、入会を許してくれないんです
正直なところ大人げないと言わざるをえない。
いくら娘のためとはいえ、ハンターパーティ一つ潰すのに、どれだけの労力をかけているのか。
彼が真っ当な経営者であれば、これまで高難易度のクエストを多くクリアしてきて、ギルドの収益に貢献してきたパーティを潰すなど、百害あって一利なしだ。
おそらく他の幹部は気付いているはず。
だがやはり、ドグマン家の権力が強く文句を言えないのだろう。
ヤマトは意を決して告げた。
え? そんなことしてもなにも……
……分かった。それならパーティを代表して私が行こう
ヤマトは頷くと、ラミィと護衛のアヤを連れ、ドグマン家の屋敷へ向かうのだっだ。
…………………………
屋敷に着く頃には夕方になっていた。
黄昏を背にそびえ立つ豪邸は優美で、広い庭の芝生が金色に輝いている。
屋敷の白い外装は手入れが行き届いており、劣化している部分が見えない。
ヤマトは、漆黒の柵で作られた門の内側に立つ燕尾服の男に声をかける。初老の紳士といった雰囲気でこの屋敷の使用人だろう。
すみません、スノウさんはご在宅でしょうか? 話があってきたのですが
失礼ですが、あなたのお名前をお聞きしても?
町の隅に店を構えている、ヤマト・スプライドという者です。名前を伝えてもらえば、すぐに分かると思いますので
かしこまりました。少々お待ちください
使用人はにこやかな表情で告げると、屋敷のほうへ向かって行った。
そして玄関扉の前に立っているメイド服の使用人に事情を伝えると、彼女は屋敷へ入る。
おそらく本人に確認しているのだろう。
しばらくして、門が開き庭へと案内された。
しかしヤマトたちを待ち構えていたのは、スノウではなかった。
始めまして、君がヤマトさんかな? スノウの兄、ドラン・ドグマンです
お初にお目にかかります。ヤマト運用商会の会長、ヤマト・スプライドと申します。彼女はハンターパーティ、トリニティスイーツのリーダーのラミィ、こっちは護衛のアヤです。スノウに話を聞きたくてやってきました
ラミィとアヤは無言で頭を下げる。
二人の美しいメイドと屈強な執事の前に立つドランの印象は、ヤマトの思っていたものと少し違った。
もう少し嫌味たらしい高圧的な態度をとってくると思っていたが、清潔感溢れる紳士だ。
しかし、どこか陰険な雰囲気も隠し持っており、ニコニコしているものの、細い目が時おり鋭く光る。
ふむ、君がヤマトくんか。それとトリニティスイーツ。よく屋敷へ来てくれたね。でも残念ながら、妹は君たちに会うことができない
なぜですか?
すまないねぇ、それは答えられない。その代わり、僕が話を聞こう
ああ、その件ね。もちろんは話は聞いているよ
彼女が言っているのは、すべてデタラメです。もし真相を知りたいのなら、騎士団に聞けば分かるでしょう。ですから、ギルドへ事情を説明して、私たちの活動休止をすぐに解いてほしいのです
そうかそうか。しかし申し訳ないが、僕はこれでも兄なのでね。妹を信じずに他人を信じろというのは、同意できないな
ラミィは顔をしかめた。
言っていることは真っ当のように聞こえるが、ただの身内びいきで、どう考えても公正な判断ではない。
そしてやはり、彼はどこか歪んでいる。
口調は丁寧だが、なにか企んでいるような眼差しにヤマトは嫌悪感を覚えた。
あなたが本当に妹のことを考えているのなら、むしろ間違ったやり方を正し、導くべきではないんですか!?
私は、スノウが不自由なく生きていけるようにサポートしたいだけさ
それがたとえ、他の誰かを不幸にしても、ですか?
さあね
ドランは苦笑して肩をすくめる。
やはりまともに話すつもりはないようだ。
まだ言葉を続けようとするラミィの肩に手を置き、ヤマトは前へ出た。
僕たちは権力には屈しません。必ず無罪を証明して、あなた方の歪んだやり方を正してみせます
へぇ、おもしろい
ヤマトの言葉を受け、ドランは眉をピクリと動かしわずかに片頬を歪ませた。
それは「やれるならやってみろ」という挑発的な笑みだ。
行こうラミィ
で、でもっ
これ以上は無駄だ
くっ
ドランへ背を向けて歩き出すのヤマトの後ろをラミィが悔しそうに続く。
そのとき、ドランが思い出したかのように突然声を上げた。
そうそう、そういえば君たちのパーティに、銀髪褐色のエルフがいたよね? 彼女、中々見込みがあると思うんだ
シルフィのことだとすぐに分かり、二人は立ち止まった。
ラミィは怪訝そうに眉をしかめながら問う。
あなたとシルフィの間にどんな関係が?
面識はないさ。でも、一目見ただけで僕には分かるんだ。彼女ならきっと、素晴らしい働きをしてくれるって
……なにが言いたいんですか?
彼女を君たちのパーティから引き抜きたい
ゾクリとヤマトの背筋に悪寒が走った。
なんですって!?
もちろん、彼女の待遇はかなり優遇するし、君たちがしばらく生活に困らないよう、お礼としてしばらく資金援助してもいい
ドランはニコやかに素晴らしい提案だろうとでもいうように語るが、ヤマトたちには不快でしかなかった。
この男の感性がなに一つ理解できない。
むしろなにか得体の知れないおぞましさを感じる。
耐え切れなくなったラミィがとうとう叫んだ。
ふざけるな! シルフィは売り物なんかじゃない! 大切な仲間なんだ!
まあ感情的にならないでおくれよ。この場で返事ができないのは分かる。だからぜひとも、彼女にも私の提案を伝えておいてくれないかい?
お断りします
冗談ではない。
心優しいシルフィのことだ。この話をまともに受け、みんなのためだと言ってドランの元へ行くに決まっている。
そんなこと絶対にさせない。
……そうかい、残念だ
そして今度こそ、ヤマトたちは屋敷を去るのだった。
…………………………
ヤマトたちは、肩を落としながら薄暗くなった通りを歩いていく。
仲間たちの待つ広場へはもう少しだ。
マヤと相談したんだけど、今の装備を売って貯金を切り崩していけば、しばらくは大丈夫
ええ
確かに高ランクの装備を売れば、高く売れるし維持費は浮く。
しかしそれと同時に、ハンターとして復帰するのが厳しくなるということ。
余剰資金を切り崩していけば、高品質な装備や消耗品を買いそろえることは厳しくなって難易度の高いクエストをクリアできなくなり、また底辺ハンターに戻ってしまうのだ。
それではソウルヒートの辿った末路と同じ。
もし良かったら、うちの商会で働かないか? 今の運用状況ならそれなりの収益が見込めるし、給料だってちゃんと払えるから
幸い、金庫番からの融資金も十分にある。
ラミィは一瞬目を輝かせたが、すぐに眉尻を下げて目をそらした。
で、でも迷惑をかけるわけには……
大丈夫さ。今回の件だってすぐにカタがつくだろうし
……分かった。みんなに相談してみるよ
ヤマトは快く頷いた。
そこでローブの袖を引っ張られていることに気付く。
ん? アヤ? どうかした?
ヤマト様、少しお話が
そう言って小声でささやいてくるアヤだが、ちらちらとラミィを見て悩むそぶりを見せる。
彼女に聞かれたくない話ということだろう。
ごめんラミィ。先に戻ってて
うん、分かった……ヤマト
ん?
色々とありがとう。君には本当に世話になりっぱなしだね
気にしないで。困ったときはお互いさまだから
……本当にありがとう。それじゃ、また後で
ラミィが早歩きで去って行くと、ヤマトはアヤに向き直った。
それで、どうしたの?
実は先ほどの屋敷でのことなのですが……
なにかあった?
ドラン・ドグマンの背後に控えていたメイドたち……私、知ってます
あのメイドたちを?
彼女たちはかつて、奴隷商で一緒にいた奴隷たちです
な、なんだって!?
ヤマトは思わず声を上げ、驚愕に目を見開いた。
同時に怒りと嫌悪感が湧いてくる。
貴族ともあろう者が奴隷を買うだなんて、あっていいわけがない。
奴隷の売買は、この国では違法な商売なのだから、貴族なら見つけた時点で摘発するのが筋というもの。
彼女たちを奴隷の生活から助けるため……というにしても、あのドランの雰囲気を考えると想像しがたい。
僕は間違っていなかったか……
ドランは印象通りの男だった。
なにかしら裏で悪事でも働いていそうだと直感していたが、まさか女奴隷を買っていたとは。
そうなるとますます、シルフィを彼に近づけさせたくない。
ヤマト様、このことは、ハンナには言わないでほしいのです
どうして?
相手は貴族。たとえ、かつての仲間たちがそこにいたとしても、なにもできはしません。むしろ、今の不安な状況では、精神的な負荷を増やしてしまうだけです
……分かった
ヤマトは悔しげに唇をかみ約束する。
権力を前になにもできない自分の無力がただただ悔しかった。