#18 過去との決別【女装剣豪令嬢 最終章】

最終章 リン・カーネルの逆襲

 

 

アリエスはベッドでぐっすり眠り、僕たちは居間でこれからのことを話していた。

 

ルノ

準備は整っているということでしたけど、具体的にはどのように?

リリーナ

店を妨害した賠償金を支払わないというのなら、それを逆手にとろうって話だよ

ルノ

どういうことでしょう? なにか良い方法があるのですか?

リリーナ

ああ、既にケイト店長にお願いして、イージス金庫へ相談に行ってもらった

ルノ

イージス金庫? もしかして、店の被害をカバーするのに、金を借りる必要があるということでしょうか? しかし、わざわざ金利の高くつく金庫番の融資を受けなくても……

リリーナ
違う。狙いは、イージス金庫がアルゴス商会へ行っている融資だ。まず、カフェ・ハウルがアルゴス商会から営業妨害を受けたという事情を話す。実行犯の証言もあるので、賠償金を請求してはいるがまったく応じないと。そこで、アルゴス商会は今、経営難に陥っているのではないかと訪ねるわけだ。当然、彼らもアルゴス商会へ融資している以上は、経営状況を把握しているだろう? というニュアンスを込めてね

 

リリーナが二ヤリと薄い笑みを浮かべる。

彼女の狙いがようやく分かった。

アルゴス商会の経営危機をそれとなく示唆しさすることで、イージス金庫を動かそうというのか。

アルゴス商会の規模を考えると、おそらく融資している額は決して少なくないはずだ。

当然、金貸しとしては、融資が焦げつくのを恐れる。

 

ルノ

まさか、既にそこまでの手を打っていただなんて……

リリーナ

きっと今頃、イージス金庫は慌てて調査の準備をしているはずさ。上手くいけば、商会へ直接踏み入ってその目で財務を確かめようとするだろう。そうなれば、窮地に陥っている現状が明るみになる。貸し剥がしまでしてくれれば御の字だな

 

リリーナは勝ち誇ったように頬を緩ませ、優雅に紅茶を飲む。

貸し剥がし……融資先の返済能力がなくなったと判断した金庫番が、返済期日を待たずして融資金を全額回収しようとする行為だ。

もし現金での回収が困難な場合は、資産価値のある屋敷や商品の在庫を差し押さえる。

それが決行されれば、間違いなくアルゴス商会は破産するだろう。

 

なんて恐ろしい妙案。

これが実業家としての彼女の実力。

商売をする者なら誰もが敵に回したくない相手だろう。

 

ルノ
恐れ入りました。いったいいつの間にこんな話をケイト店長としていたんですか?
リリーナ

あぁ、君が店の新商品に夢中になっている間にだよ

 

あっ、そういえば、店長と話してくるって言って、長く席を外していたこともあったっけ……

確かに、あのときはアフォガードという新しいスイーツに夢中になって気にもしてなかった……反省しよう。

もちろん、アフォガードは美味しかったけど。

アイスクリームにコーヒーをかけるというのがまた……

 

リリーナ
ルノ?
ルノ

ハッ! な、なんでもありません!

リリーナ

後は追い詰めたアルゴス商会をどうするかだが

ルノ

そうですねぇ。大きな鉱石商が破産したとなると、市場が混乱しそうです。働いている商会員の方々も路頭に迷うことになるでしょうし……

リリーナ

心配はいらないよ。ちゃんと考えてあるから。アルゴス商会の腐った幹部たちだけを追い出す方法を――

 

その方法を聞いたとき、僕は改めてリリーナの恐ろしさに戦慄したのだった。

 

…………………………

 

数日後、アルゴス商会はかつてない窮地に陥っていた。

ある日突然、押し入って来たイージス金庫の調査員たちによって、今まで隠してきた財務状況を知られた。

それにより、アルゴス商会のこれからの経営に疑念があるとして、融資金の即時返済を要求してきたのだ。

もうハウルへの賠償金どころではない。

今まで借り入れていた金をまとめて返済しようものなら、営業資金がショートし破産する。

 

ナハル

どうしてこんなことに……

 

アルゴスの執務室に来ていたナハルは深刻な表情で呟いた。

ボロスのほうもなにも言えず下を向いている。

彼らの無様な様子に、アルゴスは「使えない奴らだ」と内心で舌打ちしていた。

いつもなら、「黙り込んでいないで、なにか案を出せ!」と怒鳴り散らすところだが、もうそんな気力もなくなっている。

 

――アルゴス会長、今お時間よろしいでしょうか?

 

そのとき、部屋の扉が控えめにノックされ、若い商会員の声が聞こえた。

ナハルとボロスは微動だにせず、アルゴスは苛ただしげに答える。

 

アルゴス
今は取り込み中だ。後にしろ!

し、しかし、キュリオン商会のキュリオン会長が急用とのことで……

アルゴス
なに? キュリオンだとぉっ!?

 

その名を聞いたアルゴスが眉をしかめる。

彼からすれば、着々とアルゴス商会の取引先を奪っている憎き競争相手だ。

そんな商会の会長がいったいなんの用だというのか。

 

アルゴス
……分かった、通せ

かしこまりました

 

すると、キュリオンは既に部屋の前で待っていたようで、返事をもらってすぐに入室する。

その後ろには、付き人らしき黒いローブを着た者が二名。

深々とフードをかぶっているため、その顔はよく見えない。

背の高い片方は、長い刀を納めた鞘を持っており、護衛のようだ。

ナハルとボロスは、アルゴスの机の前を空け、横へ移動する。

 

キュリオン

ご無沙汰しております、アルゴス会長

アルゴス
我々の取引先を奪っているくせに白々しい。いったいなんの用だ、キュリオン 

 

いきなり敵意を向けてくるアルゴスに、キュリオンは肩をすくめた。

 

キュリオン

そうにらまないでください。本日は交渉に来た次第です

アルゴス
交渉だと?
キュリオン

アルゴス商会の経営危機については、存じております。そこで、当商会がアルゴス商会へ出資しようと考えているのですが、いかがでしょうか? イージス金庫へは、その出資金で返済して頂ければ構いません

アルゴス
ふざけるな!

 

アルゴスは怒号を響かせると、机を思いきり叩いた。

額には血管が浮き出し、今にも掴みかかりそうな勢いだ。

とはいえ、それもそのはず。

アルゴス商会へ出資するということは、キュリオン商会がオーナーになるということ……つまり、商会の買収だ。

アルゴス商会をキュリオン商会の傘下さんかにするという宣言でもある。

自分たちよりも規模の小さい商会に買収されるなど、屈辱以外のなにものでもない。

 

しかし、財務状況に危機感を持っていたボロスは、アルゴスをなだめる。

キュリオン商会に買収されることで、破産を逃れることができるのだから。

 

ボロス

ア、アルゴス会長、どうか落ち着いてください。お気持ちは痛いほど分かりますが、ここはどうか、懸命なご判断を……

アルゴス
なんだと? ボロス貴様ぁ、誰の味方をしている!?
ボロス

わ、私はただ、アルゴス商会のためを思って……

アルゴス
なんだとぉっ!?

 

ついにアルゴスの怒りが沸点を超え、机の横から回り込んでボロスの胸倉をつかんだ。

あまりの力にボロスの顔が青ざめる。

ナハルが慌てて二人へ駆け寄り、キュリオンへ聞こえないようささやいた。

 

ナハル
アルゴス会長、ご心配なく。たとえ今は奴らの傘下に納まったとしても、またいずれ、キュリオンを出し抜き、会長の座を奪い返せばいいのです
アルゴス
……ふんっ

 

アルゴスは忌々しげに鼻を鳴らすと、ボロスを離した。

そしていまだ怒りに歪む顔をキュリオンへ向ける。

 

アルゴス
いいだろう。キュリオン、貴様の口車に乗ってやる
キュリオン

懸命なご判断、痛み入ります

 

キュリオンは安心したように肩の力を抜いて頬を緩ませると、横の付き人に持たせていた、数枚の紙を渡した。

契約書だ。

アルゴスは、ひったくるように荒々しくそれを奪い取ると、さっと内容に目を通してサインする。

ナハルとボロスは、緊張の面持ちで見守っていたが、サインが終わると安堵のため息を吐いた。

 

アルゴス

これでいいんだな?

キュリオン

はい、交渉成立です。あっ、そうそう、経営会議で明らかになるので、今のうちにお伝えしておきますが、アルゴスさん、ナハルさん、ボロスさんの三名は、商会から追放としますので、そのつもりでいてください

 

アルゴス
ボロス
「「「……は?」」」
ナハル

 

 

三人の声が見事に重なった。

思いもよらぬ言葉に理解が追いついていないようだ。

キュリオンの表情はにこやかで、あまりにも発言の内容と一致していないのだから。

 

アルゴス

キュリオン、貴様ぁっ!

 

しかし、契約書にサインした時点で、既に契約は成立している。

キュリオン商会は、アルゴス商会の経営に口を出すことができるのだから、アルゴスたちの解雇も簡単だ。

商会の窮地は逃れたものの、今度は自分たちが窮地へ追い込まれることになり、アルゴスたち三人は焦った。

 

ナハル

くっ、そんなもの無効だ!

 

ナハルが慌てて契約書をキュリオンから奪い取ろうと迫るが、その間に付き人が割って入った。

彼が居合の構えをとり、ナハルは足を止める。

 

ナハル

えぇいっ、邪魔をするな!

往生際おうじょうぎわが悪いな。オーナーから経営を退しりぞけと言われたんだから、おとなしく去るのが筋だろうに

 

 

透き通るような凛々しい声で告げたのは、背の低いほうのもう一人の付き人だった。

そして二人は、かぶっていたフードを外し、その正体を明らかにする。

 

アルゴス

き、貴様らはっ!

 

――僕とリリーナの顔を見たアルゴスたちは、驚きに目を見開いていた。

そう、僕たちは最初からずっと、キュリオンとのやりとりを見ていたのだ。

すると、ボロスは急に強気に出て怒鳴り散らした。

 

ボロス

なぜ部外者がここいる!? とっとと出て行け!

キュリオン

いえいえ、リリーナさんは我がキュリオン商会のオーナーですから、部外者ではありませんよ

 

ボロス

な、なんだと!?

 

キュリオンが表情を変えず穏やかに告げ、ボロスは眉を寄せた。

そしてアルゴスはすべてを悟る。

 

アルゴス

そうか……貴様か、貴様ごとき没落貴族がはかったのかっ、この小娘がぁぁぁっ!

 

怒り狂ったアルゴスがリリーナへ掴みかかろうと迫る。

そんなこと、僕が許しはしない。

 

ルノ
――飛燕ソニック

 

 

アルゴス
っ!?

 

斬撃による衝撃派で、アルゴスが踏もうとしていた木製の床に穴を空けた。

それで足を踏み外した彼は、体勢を崩し、前のめりに倒れる。

その目の前にはリリーナがいて――

 

アルゴス
ふごぉっ!?

 

その横っつらを僕の拳が思い切り殴り飛ばしていた。

 

――ドゴォンッ!

 

アルゴスは棚に頭から激突し、白目を剥いて意識を失う。

それを見ていたナハルとボロスが震えあがっていた。

だけど、それだけでは許さない。

 

ルノ
こんなものでは足りません。我が親友への侮辱、そしてアリエスさんの受けた傷はこんなものじゃありません。失ったものはもう返ってこないんだ――

 

――不可視の一閃インビジブル無間の殺傷範囲キリングレンジ――

 

次の瞬間、無数の剣閃が煌めく。

目にも止まらぬ斬撃は、床、壁、机と次々に斬り刻んだ。

そして、嵐のような凄まじく鋭い風切音が止んだとき、刃のかすっていたナハルとボロスの頬から血が垂れ、彼らはショックで気を失ってしまった。

 

完全に沈黙。

僕は深呼吸すると、背後を振り返り頭を下げた。

 

 

ルノ
リリーナさん、キュリオン会長、勝手なことをして申し訳ありませんでした。この部屋の修理費は必ずお支払います
貴族

いえいえ、いいんですよルノさん。アルゴス商会の横暴さには昔から困っていましたし、なんだかスカッとしました

リリーナ
君やアリエスの受けた仕打ちを考えれば、まだまだ足りないくらいだよ
ルノ
……いいえ、もう十分です。これからは明るい未来の話をしましょう

 

僕は、刀を鞘へ納め背へ担ぎ直す。

これでようやく落ち着ける。

胸のつかえがとれたような、なんだか清々しい気持ちだ。

 

過去を振り返るのはやめよう。

輝き出した新しい世界で、素晴らしい友たちと楽しく過ごせればそれでいいんだ。

それこそ、僕のようやく見つけた幸せだから、そう教えてもらえたから。

 

リリーナは、まるで無垢むくな少女のように可憐に微笑むと、僕へ手を差し伸べてくれた。

 

リリーナ

ああ、また君の好きなものを食べに行こう

ルノ
はいっ!

 

優しくて凛々しい、それでいて美しく気高い親友の手をとり、僕は歩き出すのだった。

 

その後、追放されたアルゴスたちはこの町から姿を消し、その後どうなったのかは誰にも分からない。

アルゴス商会を買収したキュリオン商会の規模は急拡大し、そのオーナーであるリリーナには大量の資金が舞い込んだ。

それによって、キュリオン商会への出資権はとてつもない評価額となり、それを他の投資家へ売り渡すことで、彼女は一時的に大量の資金を手にした。

貴族へ舞い戻るという夢に、大きく近づくことができたのだ。

 

それによって、僕がフリーになるだろうと思ったアリエス、ケシー、ウィニングが次々に迫ってきたが、僕がたじたじしている間に、リリーナがいつもの如く悠々とあしらうのだった。