#17 リンの怒り【女装剣豪令嬢 最終章】

最終章 リン・カーネルの逆襲

 

それから、アルゴス商会に表立った動きはない。

しかしハウルへの賠償金については、知らぬ存ぜぬで通しているようだ。

 

その日、僕が一人で買い物をすべく大通りを歩いていると、町の雰囲気が少し違うことに気付いた。

なんだか騒々しいような……

なにかあったのかな?

すると、興奮したように話す青年二人とすれ違う。

 

青年
おいおい、そりゃ本当かよ!?
青年

ああ! 夜だったってのに、凄い火だったみたいだぜ?

 

青年
今から見に行こうぜ!
青年

ああ、こっちだ!

 

僕は足を止めて背後を振り向いた。

どうしても今の会話が引っかかった。

夜に火?

 

それって、つまり……

僕の足は、自然とさっきの青年たちの背を追いかけていた。

そしてすぐにその真相を知ることとなる。

 

ルノ
――これは酷い……

 

大通りから西に行った住宅街の奥に、それはあった。

炭化して黒焦げになった屋敷らしきボロボロの建物だ。

残った柱が寂しく立っており、そびえ立つその残骸から、かなり立派な屋敷だったことは分かる。

その周囲では、野次馬がちらほら見ていて、あまりの惨状に顔をしかめていた。

 

間違いない、火事だ。

さっきの青年たちの話からするに、夜のうちに起こったのだろう。

住人は無事だろうか、それだけが心配だ。

 

突然の衝撃に僕が茫然と立ち尽くしていると、後ろから声をかけられた。

 

シエン
ルノ・カースト
ルノ
……へ? シエンさん?
シエン
話がある。ついて来い

 

僕は神妙な表情のシエンに連れられ、近くの雑貨屋の物陰に移動した。

 

シエン
昨日の夜に起こった火事のことだ
ルノ
なにか知っているんですか?
シエン

まぁな。気になって少し調べた

 

意外だった。

シエンはあまり、周囲の出来事に関心を持つタイプではないと思えたから。

しかし教えてくれるというのなら、聞かせてもらおう。

 

ルノ

あの屋敷は、そもそも誰のものなんですか?

シエン

ルビー宝石商の会長の一族だ

 

ルビー宝石商……どこかで聞いたことがある。

それにしても、一夜にして住む場所を失うなんて、なんて残酷な話だろう。

あれほど大きな屋敷ならなおさらだ。

 

ルノ

まさか、死傷者がいるのですか?

シエン

いや、屋敷の人間はなんとか火が全体に回る前に逃げ切ったらしい。ただ、娘だけは逃げた後、いなくなっちまったらしいが

ルノ

そう、ですか……それほどショックな出来事があれば、仕方ないのかもしれませんね

シエン

それで、俺が聞きたいのはここからだ

ルノ
はい?

 

彼の言っていることがよく分からない。

まったく事情を知らない僕に、なにを聞くというのだろうか?

 

シエン

ルビー宝石商は、なにかアルゴス商会の恨みを買うようなことをしたのか?

ルノ

……ちょっと待ってください! なぜそこで、アルゴス商会が出てくるのですか?

シエン

奴らの指示だからだ

ルノ
……は? 今、なんと?
シエン

今回の火事はただの偶然じゃない。アルゴス商会について行ったバカどもによる放火だ。今朝、奴らが妙な話をしていたから、シメて聞き出した

ルノ

そ、そんな……

シエン

俺はあんたの住む屋敷を狙ったんじゃないかと思ってたが、関係はなさそうだな

 

理解が追いつかない。

アルゴス商会があのゴロツキたちにそんなことを指示していたなんて……

もう店の妨害どころの話ではない。

 

ルノ

ルビー宝石商とアルゴス商会の関係は、私にも分かりません

シエン

そうか。となると、商売に絡んだいざこざではないのかもしれないな。たとえば、特定の人物に対する憎悪とか

ルノ

さすがに、そこまでは私も詳しくありません

シエン

まぁ、あんたに関係がないと分かっただけでもいいか

 

シエンは満足そうに片頬をつり上げると、きびすを返した。

 

ルノ

あ、ありがとうございました!

 

去って行くシエンへ、僕は慌てて礼を言った。

とはいえ、どうも気になる話だ。

買い物を済ませている間、気が散って仕方がなかった。

 

僕は屋敷に戻ると、早速リリーナに聞いてみる。

 

ルノ

リリーナさん、ルビー宝石商をご存知でしょうか?

リリーナ

ん? なんだ急に。まさか、あの変態にまた襲われたのか?

ルノ

ん? 変態?

リリーナ

なんだ、忘れたのか。ルビー宝石商は、あの変態アリエス・コリンの父が会長を務める商会だ

ルノ
っ!

 

 

それを聞いてようやく思い出した。

なぜそんな大事なことを忘れていたのか!

 

リリーナ

ん? 急に固まってどうした……って、どこへ行くルノ!?

 

僕はいても立ってもいられず、慌てて屋敷を飛び出した。

 

シエンの話では、会長の娘が火事の後、いなくなったと行っていた。

背筋を怖気が這い上がる。

アリエスの顔が脳裏に浮かび、たまらなく怖くなる。

最悪の事態になっていないことを祈るしかない。

 

僕は町中を走り回った。

アリエスが立ち寄りそうな、絵画を売る露店も回った。

しかしどこにも彼女の姿がない。

 

途中で雨が降ってきて、僕はやむを得ず近くの建物の影で雨宿りをすることにする。

 

ルノ
ここは……

 

そのときようやく気付いた。

今いるところは、夜ににぎわう歓楽街の通りだ。

アリエスを探すのに夢中で気付かなかった。

 

とにかく、こんなところはさっさと抜けよう。

そう思って濡れることにも構わず歩き出すと、前方から一人の若い女性が歩いて来た。

まるでなにかにとりつかれたように、ゆらゆらとした不確かな足取りで、今にも倒れそうだ。

だが顔を確かめた途端、僕は急いで駆け寄った。

 

ルノ
アリエスさん!?
アリエス

……え? ルノ、ちゃん?

 

僕の顔を見上げた彼女には、いつもの不思議な雰囲気はなく、その瞳は伽藍洞がらんどうのように虚ろだった。

両手には、包帯が巻かれており、火傷やけどを負ったであろうことが想像できる。

その痛ましい姿に、胸を締め付けられるようだ。

 

アリエス

ルノちゃん……私、私ぃ……

 

アリエスが声を震わせ俯く。

その姿は、僕の知るアリエス・コリンとはあまりに違い過ぎた。

かけられる言葉が見つからない。

でも、今は彼女を放っておけないと思い、その手を握る。

 

ルノ
……こんなところにいたら、風邪を引いてしまいますよ?

 

優しくそう言って彼女の手を引き、僕は来た道を引き返すのだった。

 

 

アリエスをクイント家の屋敷へ連れ帰ると、リリーナも彼女の変わり果てた様子に動揺していた。

一旦アリエスを客室のベッドで休ませると、リリーナへ事情を話す。

昨晩、アリエスの家が火事で焼失したこと、その犯人がアルゴス商会であると、シエンから聞いたことを。

さすがのリリーナも驚きを隠せないでいたが、やはりルビー宝石商とアルゴス商会の確執などについては知らないようだった。

 

しばらくして、アリエスが落ち着いたのを見計らい、僕とリリーナは彼女の話を聞くことにした。

 

アリエス

どうしてこんなことになってしまったのかしら……たった一晩で、多くのものを失ってしまったわ。お父様は、屋敷にため込んでいた資産を。私は、大切な絵の数々を……

ルノ
だ、大丈夫ですよっ。命さえあれば、アリエスさんの才能さえあれば、またすぐにやり直すことができますよ!
アリエス

そういうことではないのよ、ルノちゃん。絵というのはね、絵描きが心血そそいで創り上げた、言わば子供のようなものなのよ。私はそれに価値を見出し買い取る。そしてより価値を感じてくれる人に譲っていくの。それをただただ失うなんて、作者の方々に申し訳が立たないわ

 

アリエスは、悔しそうに涙を浮かべ、シーツを握っていた。

 

ルノ

そんな……アリエスさんのお気持ちも考えず、勝手なことを言って本当に申し訳ありません……

アリエス

いえ、いいのよ。でもそうね……もし申し訳ないと思っているのなら、私と結婚してくれないかしら

 

アリエスはぎこちない笑みを浮かべながら告げる。

だが、まだ無理をしているのは分かった。

でも少しは、いつもの調子に戻ってきているのかもしれない。

 

ずっと黙っていたリリーナは、呆れたようにため息を吐くと、ようやく口を開いた。

 

リリーナ

そんな冗談が言えるなら、もう大丈夫だな

アリエス

ふふっ、どうかしら。しばらくルノちゃんに看病してもらえるなら、気分もだいぶ良くなると思うのだけれど

ルノ

あ、あはは……

リリーナ

それよりも、実は君に確認したいことがあるんだ

アリエス

なにかしら?

リリーナ

ルビー宝石商とアルゴス商会の間に、なんの繋がりがある?

アリエス

……え? どうして急にアルゴス商会の名前が出て来るの?

リリーナ

驚くだろうが、落ち着いて聞いてほしい。実は昨晩の火事は、アルゴス商会の手の者による放火の可能性が高いんだ。これは信用できる筋からの情報だから、ほぼ間違いない

アリエス

そんな……

 

アリエスは目を見開き瞳を揺らしていた。

そして涙がこぼれる。

僕は慌てて彼女に歩み寄り、ハンカチを差し出した。

 

ルノ
アリエスさん!? どうされたのですか!?
アリエス

そういうことだったのね……それなら全部、私のせいよ

ルノ
え? それはいったいどういう……
アリエス

……すべては、私のせいなのよ

 

アリエスは声を振り絞り、ポツリと告げた。

どうやらアルゴス商会となんらかの関係があるのは間違いないようだ。

僕がリリーナへ目配せすると、彼女は神妙な表情で頷いた。

 

ルノ

アリエスさん、お辛いとは思いますが、話してくださいますか?

アリエス

……分かったわ。すべて話しましょう

ルノ

ありがとうございます

アリエス

でも、その前に一つだけいいかしら?

 

アリエスは、ベッドの前の丸椅子へ座るリリーナへ目を向けた。

先ほどまでの弱々しい雰囲気とは違い、なにか重大な決意をしたかのような緊張感を感じる。

目を向けられたリリーナは、表情を変えることなく頷いた。

 

アリエス

リリーナさん、あなたはルノちゃんの正体を知っているのよね?

ルノ

……え?

リリーナ

君はいったい……

 

僕とリリーナは、唖然とするしかなかった。

その問いはまるで、僕の正体を知っているかのようではないか。

 

 

アリエス

答えて。『リン・カーネル』を知っているわね?

 

もう疑いようはなかった。

アリエス・コリンは、僕が男だと知っている。

いったい、いつバレた?

彼女とはじめて出会ったのは、ルノの姿になってからのはずだ。

 

リリーナ

……ああ、知っている。君もそうなんだな?

アリエス

ええ。ルノ・カーストの正体が『リン・カーネル』だということを知っているわ

 

アリエスは僕の目をしっかりと見つめ、言い放った。

身構えてはいても、その衝撃に動揺してしまう。

 

しかし僕を見る彼女の表情には、男が女装していることへの嫌悪感のようなものはなかった。

なに一つ変わっていない。

彼女はまさか、ずっと僕の正体を知って接していたというのか。

アリエスは深く息を吸うと告げた。

 

アリエス

それなら、これでようやく言えるわね――本当にごめんなさい、リンさん

ルノ
ど、どういう意味でしょうか? 謝られる理由が分かりません。むしろ謝るべきは、女装してあなたを騙していた僕のほうです!
アリエス

違うのよ。あなたがその姿になる原因を作ったのは……アルゴス商会に解雇されるキッカケを作ったのは、私なの

ルノ
それは、いったいどういう……

 

僕がますます混乱していると、難しい顔で下を向いていたリリーナが顔を上げた。

 

リリーナ

……そういうことか。ようやくすべてが繋がった。以前、アルゴス商会へリンを紹介してくれと言った、宝石商の娘というのは君だったのか

アリエス

ええ、その通りよ

ルノ
っ! そういうことだったのですか……

 

まさか、そんな人が本当にいるとは思ってもいなかった。

せいぜい、僕を追い出すためのアルゴスたちの作り話だと。

こんなに綺麗で、才能も財もある女性が、あのときの僕に好意を寄せていただなんて、いまだに信じられない。

 

アリエス

私のせいでリンさんが仕事を失うことになってしまった。言って済むことではないけれど、本当にごめんなさい

ルノ

あ、謝らないでください! それに、アリエスさんのせいだなんて……

アリエス

いいえ……私の身勝手な行動のせいで、すべてが狂ったのよ。お父様がアルゴス商会との取引を破談にしたのも、私が好いた人を悪く言われたせい。だから、私のせいでお父様がアルゴス商会から恨みを買ってしまったのよ

ルノ

そんな……

アリエス

あぁ、これは罰なのね。あなたを苦しめた私への

 

悲しげに顔を伏せ、自虐する彼女をもう見てられなかった。

でも、僕にはかけられる言葉が見つけられない。

そのとき、リリーナが声を荒げ、立ち上がった。

 

リリーナ

ふざけるな! 君はルノ……いや、リンを好きになったことが罪だとでも言うつもりか!? 本当に好きなら、その気持ちをごまかすな! 他人の悪意にさらされたとしても、くじけるなっ、最後まで貫いてみせろ!

アリエス

っ!

 

アリエスは弾かれたように顔を上げる。

目を見開き固まり、なにも言い返せない。

リリーナは気を落ち着かせるようにゆっくり呼吸を整えると、再び椅子に座った。

 

リリーナ

敵に塩を送るようで嫌だが……君が結婚だなんだと言って、ルノに迫っていたのはそういう負い目を感じていたからか?

アリエス

それもあるわ。私のせいで仕事を失ったんだもの。その身を引き受けて、やしなおうとするのは当然のことよ。でも、それ以上に好きだったの。この気持ちはずっと変わっていないわ

 

アリエスはまっすぐにリリーナを見て告げた。

僕はなんだか気恥ずかしくなってくる。

ただ、これだけは聞いておきたい。

 

ルノ

教えてください。どうして僕なんかを?

アリエス

『なんか』じゃないわ。あなたは覚えていないかもしれないけど、町で私を助けてくれたことがあったのよ。それで気になって、あなたを追いかけるようになって、あるときあの長い前髪の下を見てしまったの

ルノ

そんなことが……

アリエス

まずは目を奪われたわ。でも、その後に心も奪われていたことに気付いたの。性格のことは、ルノちゃんになったあなたと出会ってから知ったわ。もちろん、性格も好きになれた

 

参ったな……ここまで直球な好意を向けられると、さすがに恥ずかしい。

まさか今までの行動にこんな深い愛情があっただなんて……

彼女は、僕のことをずっと心配してくれていたんだ。

それなのに、僕はなにも知らず、遠ざけようとしてっ……

 

ルノ

……アリエスさん、僕のことをずっと想っていてくれたんですね。ありがとうございます。そのお気持ちはとても嬉しいです

アリエス

それなら、この想いに答えてくれる?

 

アリエスは冗談ぽく笑ってそんなことを言ってきた。

でも僕は、ゆっくりと首を横へ振る。

その前に、やらなくちゃいけないことがあるから。

 

ルノ

今はまだ、あなたの想いに向き合うことはできません。その前にまず、済ませておく用事があるので……リリーナさん

 

僕は決意を秘めた目をリリーナへ向ける。

 

 

今はただ、許せないことがあった。

アリエスの大切なものを奪ったアルゴス商会。

彼らはやってはいけないことをした。

今度こそ、僕の堪忍袋かんにんぶくろが切れた。

 

もう、決して容赦はしない。

 

リリーナ

ふふっ、凛々しいの男のまなこだ。大丈夫、準備はもう整っているから

ルノ
え? どういうことですか? まさか、すべて予想して……

 

その言葉に僕は驚いた。

準備が整っているとは、いったい……

リリーナはクスクスとおかしそうに笑うと、微笑を浮かべて告げた。

 

リリーナ

そんなことあるわけないだろ。私はまだ許していないんだよ。君をしいたげてきたアルゴス商会をね。だから、彼らをこらしめる次の一手は既に決めているんだ。さあ、今度こそ決着をつけよう

ルノ
は、はいっ!

 

なんと頼もしい親友だろう。

そして彼女もまた、僕のために戦おうとしてくれている。

こんなに嬉しいことはない。

 

アリエス
……けてしまうわね

アリエスのためにも、自分のためにも、僕はついにアルゴス商会と戦う覚悟を決めるのだった。