第一章 女装剣士の誕生
そこは、世界経済の中心と言われるドルガン連邦国。
いまだ古い貴族制度の残るイージス州には古来より、他国から亡命してきた様々な人種が住んでいる。
人間をはじめとして、獣人、エルフ、竜人、オーク……そして鬼人である『リン・カーネル』もまた、その一人だ。
お前は今日をもって、アルゴス商会をクビとする
アルゴス商会の会長であり、牛の角の生えた獣人『アルゴス』は、ためらうことなくはっきりと告げた。僕がクビだと。
これまで何年もアルゴス商会の護衛として、危険な目に遭いつつも身を粉にして働いてきたというのに。
突然すぎて理解が追いつかない。
シックな執務机の前に座るアルゴスの横では、幹部の一人であるオーク『ボロス』と人間の男『ナハル』が険しい視線を僕へ向けていた。
高圧的な彼らの視線になんとか耐え、委縮しながらも問うと、ボロスが不機嫌そうに鼻を鳴らした。
イボだらけの緑の豚鼻が膨らみ、鋭く光る二本の牙は迫力がある。
取引先に色目を使う護衛なんて、いらないんだよ!
しらばっくれるな!
身に覚えがない。
僕はずっと、鉱物資源を取り扱うアルゴス商会の護衛として、商品運搬の護衛をしたり商談時の幹部の警護をしていただけに過ぎない。
だから、客と接点を持ったことなど一度としてなかった。
取引先の商会長と商談をしているときに、お前のことが話題に挙がったんだ
え? 僕が、ですか?
そうだ。なんでも、娘さんがお前に惚れたそうでな。それで、ぜひとも紹介してやってほしいと言われた
……はい?
今聞いた話がにわかには信じられなかった。
商会の会長令嬢が僕に惚れる?
いったいなんの冗談だろう……目の前の三人も気持ちは同じらしく、眉間にしわを寄せため息を吐いていた。
お前にも分かるな? そんなことはありえないし、あってはならない
まったくですな。こんなみすぼらしい格好をした、男か女かも分からない根暗な奴に惚れるなんて
しかもそのご令嬢は、芸術においてはあふれる才気をお持ちで、それでいて容姿端麗と評判だ。それがお前に惚れるなど、ありえない
ぅ……
散々な言われようだが事実だ。
僕自身が一番よく分かっている。
俺たちもお前のような奴のせいで恥をかくわけにはいかないのでな、なにかの間違いだろうと、丁重にお断りしたわけだ。そしたら、先方は酷くお怒りになって取引は破談となった
そう、ですか……
なんだろう、このいたたまれない話は。
どう反応していいか分からない。
そもそも取引相手を怒らせたのは、最終的にアルゴスたちの自業自得じゃないか。
お前のせいだ
は、はいっ? ちょっと待ってください!
お前さえいなければ、儲けることができたんだ。それを台無しにした罪は重いぞ
会長のおっしゃる通り。たかが雇われの護衛風情が調子に乗るからいけないのだ
そんなむちゃくちゃな……
黙れ! もうお前の顔も見たくないわ! 今この時をもってリン・カーネル、お前を解雇とする! さっさと出て行け!
アルゴスは机に身を乗り出して、バンッと怒りのままに拳を叩きつけて怒鳴る。
もはやこれ以上の会話は無意味だ。
……今までありがとうございました
僕はなんとか顔が歪むのをこらえながら、ボソボソと告げて立ち去った。
クビになったショックでその日は一日中寝込んでいた。
だが、いつまでもそうしているわけにもいかず、新たな職を探して町を毎日駆けずり回った。
僕が一人身で良かったと今だけは思う。
他の誰かに迷惑をかけず、苦しませずに済むから。
しかしアルゴス商会の根回しは相当のものだった。
鉱石素材の取引を専門とする商会の中では、このイージス州の中心部でもトップのシェアを誇るため、大商会と認識されておりその影響力も大きい。
だから僕が護衛の仕事をしようにも、リン・カーネルという名を聞いただけで、どこも雇ってはくれなかった。
それどころか、リン・カーネルは護衛でありながら、取引相手に取り入ろうとする卑しい男なのだと事実無根の噂まで広まっている。
今では町中を歩くのすら億劫だ。
その日も肩を落としてトボトボ歩いていると、いつの間にか人気の少ない路地のほうまで来ていた。
店の多く立ち並ぶ大通りから離れていくに連れ、活気はなくなり、薄暗い雰囲気が漂って来る。
ここからさらに奥へ進んで行くと、闇市場と呼ばれるアンダーグラウンドな世界が広がっているらしい。
しばらく当てもなく歩いていると、パリィンッと足元でなにかの割れる音が響き立ち止まった。
よく見ると、ひび割れた鏡が落ちている。
鏡に映った自分の姿を見て、再び深いため息が漏れた。
ぼさぼさで痛んだ長い黒髪で、前髪は長く目元を完全に覆っており、まるで幽霊のようだ。
でも、これはあえてそうしている。
自分の顔がコンプレックスだからだ。
男なのに女のような顔をしており、華奢な体型に高い声もあってよく女性に間違われる。
それが嫌だった。そのせいで苦労したのも一度や二度ではないのだ。
服は安物でボロボロになるまで着回し、猫背で声もボソボソと小さい。
鬼人ではあるが、頭のツノは幼い頃に根元あたりで折れてしまっているから、触らない限りは気付かない。
それどころか、鬼人の纏う荒々しいオーラすらないのだ。
間違いなく人に好かれるような雰囲気ではなく、それはあの三人に言われなくても十分に分かっていることだった。
やっぱり、嘘だったのかな?
アルゴスたちの話は、作り話にしてもリアリティに欠けると思った。
僕をクビにしたのは人件費削減のためだろうか?
最近はまったく山賊や犯罪者ギルドに運送中の荷車を襲われることもないし、護衛の人数を減らそうと考えたのかもしれない。
僕が選ばれたのは一番影が薄いからだろう。
そんなことを延々と考えながら歩いていると、近くで言い争いのような怒声が聞こえた。
――なんだクソガキ!
っ……
僕は無意識のうちに、左手に持つ刀の鞘を強く握っていた。
今は滅亡してしまったカーネルの一族に伝わる、『斬鉄剣』という刀剣だ。
刃渡り一メートル以上はある反った刃が特徴で、重く凄まじい切れ味を誇る。
僕は緊張感にゴクリと生唾を飲み込み、声のしたほうへ慎重に近づいていく。
壁の影から路地裏の様子をうかがうと――
――それを返して!
あぁん?
輝くような金髪をツインハーフにして、黒いヒラヒラのドレスを着た少女が四人のガラの悪い獣人たちに絡まれている。
正直なところ、見たくはない光景だった。
あなたたちが露店からアクセサリーを盗んだのは見えていたわ。それを店に返しなさい
うるせぇな。嬢ちゃんには関係ねぇだろ。引っ込んでろよ
確かに私には関係のないことよ。でも、あの店の子たちは、厳しい経済状況の中で必死に頑張っているの。それを理不尽に踏みにじられるのを見て見ぬふりなんてできない
ちっ、面倒くせぇな。おい、やっちまうぞ!
おぅ! この女、中々の上玉だぜ
ひっひっひっ、たっぷり可愛がってやろうじゃねぇか
卑劣な……
どうやら少女のほうが彼らに絡んでいるようだ。内容から察するに、ゴロツキたちが店の商品を盗んで、それに気付いた彼女が取り返そうとしているらしい。
なんて無謀なことを……
周囲には誰もおらず、助けは期待できない。
少女はそれ以上なにもできず、ジリジリと追い詰められていく。
こっちには気付かれていないし、今なら見て見ぬふりをして立ち去ることもできる。
……くっ!
僕の体は、思考とは裏腹に飛び出していた。
いくら根暗で、自分に自信が無くて、人と接するのが苦手な僕でも武器は持っている。
それなのに、武器を持たないか弱い少女を見捨てるだなんて、『男』じゃない。
おらっ、大人しく――
獣人の野太い腕が少女へ伸ばされた、その刹那――突如として少女の姿が消える。
――っ!?
な、なんだ!?
お、おいっ、なにが起こった!?
混乱したゴロツキたちが慌てる中、僕は少女を抱いて宙高く浮いていた。
間一髪のところで、彼女を胸に抱いて高く跳び上がったのだ。
腕の中を見ると、少女がギュッと目を瞑っており、僕は柔らかい声で優しくささやく。
君、ケガはない?
……へ?
少女はキョトンとした顔で僕を見上げてくる。
この角度からじゃ、僕のコンプレックスである顔がよく見えるので、少し反応が怖い。
しかし彼女は、その雪のように白い肌を朱に染めて、コクンと小さく頷くだけだ。
少し揺れるよ、捕まってて
へ? ひゃぁっ!
空中で目の前に迫っていた壁を強く蹴り、ゴロツキたちの背後へ着地する。
突然のことに目を回していた少女をゆっくり降ろすと、背に担ぎなおしていた鞘を握り居合の構えをとる。
ゴロツキたちも慌ててこちらへ向き直った。
な、なんなんだコイツ……男か? いや、声からして女か? どちらにしろ気味の悪い奴だ
相手は獣人と人間が半々で、目つきが悪く体に刺青を入れていたり、派手な服を着崩していたりと、いかにも町のゴロツキといった雰囲気だ。
でも大丈夫、今までずっと護衛をやってきたんだ。こういった相手には慣れている。
正義の味方気取りかぁ? 引っ込んでろよ!
お前には興味ねぇ、邪魔するなら死ねや!
こちらへ向かって三人が一斉に駆け出す。
それぞれの手には、ナイフが握られ、人を傷つけることにためらいはなさそうだ。
むしろ、愉悦に歪んだ笑みを浮かべて楽しそうですらある。
叩きつけられる純粋な悪意。
ふぅ……
僕はあくまで冷静に、敵の動きを見極める。
長い前髪のせいで視界は悪いが、それでもここまで距離が短ければ問題ない。
はっ!
かはっ……
斬鉄剣を抜いて、振り下ろされたナイフを弾き、隙のできた腹部を鞘で殴打。
攻撃を受けた獣人が顔を真っ青にして腹を押さえ、その場にうずくまると、後ろの二人は驚愕の表情を浮かべ、動きを止めた。
隙だらけだ。
な、なんなんだよコイツはぁっ!?
悪いけど、答えるつもりはない。
僕は斬鉄剣の刃と峰が逆になるように持ちかえると、鞘と共に素早く振るい、彼らの手首、膝、肩を乱れ打つ。
うわぁっ!
小気味良い乾いた打撃音が連続して響いた後、二人は顔を苦痛に歪め膝をついていた。
大げさだなぁ、骨は砕けていないだろうに。
僕はすかさず、唖然と棒立ちになっていたリーダー格の男へ、刃の切っ先を向けた。
な、なんなんだお前……
もうやめてください
あぁ?
盗んだものを返して、立ち去ってください
……ちぃっ、覚えてろよ!
そう吐き捨てると、ゴロツキたちはアクセサリーを投げ捨て、慌てて逃げて行く。
はぁ……
最後にそういうことを言うのはやめてほしい。
お約束の捨てゼリフかもしれないけど、小心者の僕には心臓に悪いよ。
これからは夜道に気をつけないといけないじゃないか。
なにはともあれ、一件落着だ。
……カ、カッコいい……
後方で小さな呟きが聞こえ、少女のほうを振り向く。
彼女は目を潤ませ、熱に浮かされたようにぼーっとこちらを見つめていた。
見たところ外傷もなく無事そうだ。
僕は、ゴロツキたちが落としていったアクセサリーをすべて拾うと、少女へ手渡す。
プラチナのネックレス、ゴールドの指輪、ブラックとシルバーのブレスレットの高そうな三点だ。
彼女はいまだ放心した様子だったが、僕がそれを差し出すと、おずおずと両手で受け取った。
あ、ありがとう……
それじゃ……
小さな声で別れを告げ、彼女の横を通り過ぎる。
あえて話はしない。
だって、こんな気味の悪い身なりをして、刀を持っているような男に声をかけられても怖いだけだ。
だからさっさと立ち去ろう。
あーあ、早く新しい職を探さなきゃなぁ……
誰かを助けたことで良い気分になっていたけど、しょせんは束の間の現実逃避だった。