#4 牛鬼の猛威【半妖の陰陽道 第一章】

第一章 封印されし血統

 

 

家を飛び出した龍二は、わき目も振らず夜の住宅街を走り抜ける。

ブロック塀が並んで出来た道の脇に立つ街路灯が仄暗いあかりともし、冷気も相まって夜道の不気味さを際立たせているが、今の龍二には気にする余裕すらない。

まるで赤い線の軌跡を描くように、その深紅の瞳が爛々と輝いていた。

 

龍二

(桃華っ……)

 

彼女の太陽のような明るい笑顔が脳裏に蘇り、走行のペースが自然と早まる。

険しい表情で歯を食いしばり、桃華の通りそうな道を必死に考える。

陰陽塾から嵐堂家までの道筋をイメージ。

住宅街を抜けて商店街の通りへ差し掛かるが、まだ見つからない。

シャッターの閉まった寂しいアーケード街を抜け、道の分かれたところで足を止めた。

 

龍二

 

龍二は首を傾げる。

かすかに漂って来る、鼻腔をくすぐる鉄のような臭いは――

 

龍二

っ!

 

血の臭いだ。

龍二が息を整え、ゆっくり呼吸しながら臭いのするほうを探ると、大通りの脇に分岐した道からただよって来ていた。

だがこの先には、誰も通りかからないような、雑草の生い茂る公園しかない。

龍二は嫌な予感をひしひしと感じながらも走り出す。

次の瞬間、道の先でなにかがぶつかるな大きな音が聞こえた。

 

 

龍二

――桃華!

 

龍二が薄暗い公園に辿り着くと、ようやく桃華を見つけることができた。

たまに点滅する切れかけの街灯に照らされた公園は、周囲を背の高い雑草に囲まれており、面積としては広く塗装の剥げたジャングルジムやブランコなどもあるが、缶や袋などのゴミが散らばり、公園というよりは荒れ果てた空き地だ。

 

制服姿の桃華は、座り込んだ若い女性の前でしゃがみ込み、緑色に輝く呪符をかざしている。

自然治癒力を飛躍的に高める木術だ。

 

そして、彼女たちのさらに奥では、異形の怪物と陰陽師が戦っていた。

腰に白い帯をした法衣のような黒い装束を身に纏い、数枚の呪符を指の間に挟んでいる陰陽技官の男と数メートルの距離をとって対峙しているのは、湾曲した角を生やした厳つい鬼の顔に、虫のような丸い胴体から蜘蛛のような鋭い足を六本も生やしたバケモノ。少なくとも全長三メートルはある巨体だ。

よく見ると、手前には既に技官が一人、血溜まりの中に倒れている。

漂って来ていた血の臭いはこれだ。

 

想像を絶する光景に頭が真っ白になる龍二だったが、ひとまず桃華の元へ向かうべく無理やり足を動かした。

 

桃華

――さあ、今のうちに逃げてください

あ、ありがとうございます!

 

木術の治癒で足が治ったのか、女性は信じられないというように目を丸くしながらも立ち上がると、桃華へ礼を言ってすぐに走り出す。

彼女とすれ違って駆け寄ってきた龍二の姿を見ると、桃華も立ち上がった。

 

龍二
桃華! 大丈夫か!?
桃華

龍二さん? どうしてここに!? あれだけ外に出ないでって言ったじゃないですか!?

 

龍二を見て一瞬嬉しそうな表情を浮かべた桃華だったが、すぐに表情を引き締め、軽率な行動を咎めるように口調を強めた。

 

龍二

うるさい! 心配させるお前が悪いんだ!

桃華

んなっ……

 

目を吊り上げていた桃華は、不意打ちを受けたかのように固まり、口をパクパクさせた。

頬も心なしか紅潮しているように見える。

だが龍二は、彼女をかばうように前に立つと、公園の奥で戦っている陰陽技官と妖へ目を向けた。

妖の胴体に生えている灰色の体毛を見るだけで、身の毛がよだつ。

 

陰陽技官

――浄化の焔よ、悪鬼をひとしく焼き祓え、急急如律令!

 

技官の男は、一定の距離を保ちながら数枚の呪符を投げ、複数の炎の球体を生み出して敵へぶつける。

しかし、妖の巨体にぶつかると呆気なく消失し、ダメージがあるようには到底見えない。

 

龍二

なんなんだよあいつは!?

桃華

おそらく、牛鬼という妖です。森や浜辺に現れ、人を喰らう悪鬼だと書物に載っていました。最近の事件を引き起こしている元凶で間違いありません

龍二

なんでプロの陰陽師でも歯が立たないんだ!? まさか……

桃華

一応は下級位階です。でも、あの巨大な体躯に硬い皮膚じゃ術が通じません。そこら辺の矮小わいしょうな妖とは桁が違うんですよ

龍二

なんでこんな奴が数週間も見つからなかったんだ!?

桃華

普段は妖気を隠して人間に化けているんですよ。相手が油断したところで、人気のないところへ誘って襲うんです

 

聞けば聞くほど厄介な妖怪だ。

位階とは、陰陽庁で独自に設定した妖ごとの強さの目安で、下級、上級、特級と分かれている。

最も位階の低い下級でも、みならい陰陽師で倒せる程度から、目の前の牛鬼のような陰陽技官一人では太刀打ちできない妖まで、幅は広い。

これが上級になると、国家最高戦力である『神将十二柱しんしょうじゅうにちゅう』を引っ張り出さねばならなくなる。

 

陰陽技官

――くそぉっ!

 

そうこうしているうちに、戦況は切迫する。

牛鬼が鋭い牙を生やした口を広げ、技官へと猛ダッシュし始めたのだ。

足を止めせるべく、火術をぶつけるも勢いは緩まない。

彼は慌ててポケットから呪符を取り出すと、地面へ叩きつけた。

 

陰陽技官

隆起せよ、大いなる大地の化身、急急如律令っ!

 

技官の目の前で地面が隆起し、トゲのように鋭い形へ変形すると、一斉に牛鬼へ伸びた。

だが牛鬼の硬い外殻を貫くことはできず、強靭な脚に踏み砕かれる。

荒々しく低い叫び声が、心の芯におぞましく響いた。

 

牛鬼

オレに喰わせろぉぉぉぉぉっ!

陰陽技官

ちぃっ! 界っ!

 

顔を恐怖に引き吊らせた技官は、猛進を止めることを諦め慌てて障壁を張る。

しかし、詠唱があるのとないのでは、その強度にも大きく差が出るのだ。

 

牛鬼が槍の穂先のように鋭い前脚を振り上げ、技官へ振り下ろすと、いとも容易く障壁は破れ、その肩を掠め切り裂いた。

技官は血をまき散らしながら、後方へ吹き飛ぶ。

そして砂埃を巻き上げて倒れると、ピクリとも動かなくなった。

 

牛鬼は彼を喰おうと、ザクザクと脚で地面をえぐりながら歩き出す。

その光景を唖然と見ているしか出来なかった龍二の後ろで、桃華が懐から呪符を取り出した。

 

 

桃華

……龍二さん

龍二

なんだ?

桃華

もう間もなく、陰陽庁の増援が来るはずです。ここは私が時間をかせぎますから、逃げてください!

 

龍二の背後で桃華が叫び、前へ出た。

呪符を投げ、両手で印を結ぶ。

 

桃華

悪しきを祓い、純水なる如く清めたまえ、急急如律令!

 

次の瞬間、呪符に書かれた梵字が水色に輝き、飛来する液体となった。

水術による水弾だ。

それは、まるで銃弾のように勢いよく飛び、牛鬼の胴体に命中する。

 

牛鬼

あぁん?

 

しかし案の定、傷一つ付けられていない。

だが牛鬼は桃華のほうを向き、倒れている陰陽技官から注意を逸らすことに成功した。

龍二は桃華の横を抜け、疾風の如く駆け出す。

 

龍二

逃げるわけないだろ、バカ!

桃華

龍二さん、なにを!? 逃げて! くっ!

 

桃華は必死に龍二を呼び止めながらも、水術を連続で放つ。

龍二はその隙に、手前の血だまりに倒れていた技官の元へ辿り着き、しゃがみ込む。

気絶している彼の装束の胸元を探ると、護身刀が見つかった。

陰陽師の基本装備として支給されるという、破魔の呪力が込められた短刀サイズの護身刀だ。

これでもまだ丸腰よりは遥かにマシといったところ。

 

龍二

この、バケモノォォォッ!

 

龍二は叫ぶことで恐怖による震えを無理やり抑え込む。

牛鬼を桃華に近づかせないために、駆け出した。

そして桃華の水弾に苛立ち、走り出そうとする牛鬼の前脚へ、渾身の斬撃を叩き込む。

しかし――

 

――ガキィィィンッ!

 

龍二

……な、に?

 

刃の直撃したその大きな脚は想像以上に硬く、護身刀でも弾かれてしまった。

それでもと、がむしゃらに刃で斬りつける龍二。

だが牛鬼はそちらを見向きもせず、脚を振り彼を払い飛ばした。

 

龍二

ぐぁっ!

桃華

龍二さんっ!

 

龍二は勢いよく吹き飛ばされ、地面を全身で擦り、砂塵を上げて転がる。

あまりの衝撃に、一瞬息が出来なかった。

龍二は脇腹に鋭い痛みを感じ、苦痛に顔を歪めてうずくる。

 

桃華

よくも龍二さんをっ!

 

龍二から注意を逸らすため、桃華はありったけの呪符を放ち、水弾を牛鬼へぶつける。

だがやはり、桃華の呪力で生成された水弾では足止めにもならない。

牛鬼は再び桃華を見定めると駆け出した。

 

牛鬼

こざかしいわぁぁぁっ!

 

さすがにこれ以上の攻撃は無意味。

桃華は素早く呪符を目の前へばら撒き、印を結ぶ。

 

桃華

天より高覧せし大いなる大極よ、邪気を祓いて、畏み申す、急急如律令!

 

呪符の周囲で光の反射が起き、透明な障壁が生まれた。

障壁の目の前で脚を止めた牛鬼は、前脚を高く上げ獲物を貫かんと勢いよく振り下ろす。

あまりの衝撃に、透明の壁が砕け、光が発散する。

 

桃華

くぅっ!

桃華は苦痛に顔を歪めながらも、人差し指の先を突き合わせ両手で結んだ印を保持。

だがみるみるうちに障壁は削られ、強靭な脚爪が眼前まで迫る。

いくら呪文を詠唱したところで、彼女はまだ見習い。

陰陽技官の障壁でさえ破った牛鬼の力の前では無力だ。

 

桃華

っ!

 

障壁が砕け、具現化していた呪力の破片と烈風が術者へ襲い掛かる。

巫女を模した陰陽塾の制服の袖を裂き、桃華の頬を掠め薄く肌を裂いていく。

そして遂に、障壁に大きな亀裂が入り、ガラスが割れるかのような音を立て崩れさった。

障害物のなくなった脚は、そのまま桃華の頭上へ勢いよく振り下ろされる。

なす術なく、ゆっくりと頭上を見上げる桃華。

 

龍二

――桃華ぁぁぁぁぁっ!

 

そのとき、牛鬼の横から龍二が走り寄って来ていた。

桃華は目を見開き叫ぼうとするも、彼は地を蹴って跳び桃華の肩を強く押し突き飛ばした。

彼女は遠ざかる龍二へ手を伸ばすが、届かず脚は振り下ろされた。

 

桃華

龍二さん! 嫌ぁぁぁぁぁっ!

 

桃華が尻餅をつき、目の前の光景に叫んだ。

龍二は、大きな脚の爪によって背を右肩から左へ大きく裂かれ、血をまき散らした。

そして、目の前の桃華を見ると、「よかった……」と呟き倒れる。

 

ドクドクとおびただしい量の血が地面へ広がる。

後悔はない。

なんの力も持たない自分が、大事な幼馴染を守れたのだから。

 

 

桃華は目の前に牛鬼がいるにも関わらず、龍二に駆け寄った。

 

桃華

龍二さん、どうして私なんかを!?

龍二

……いいから、逃げろ……

桃華

嫌です!

 

呪符を取り出し、木術による治癒をしようとする桃華。

しかし傷はあまりにも深く、木術による自然治癒力向上でどうにかなる状態ではない。

それでも諦めず、龍二の名を必死に呼びながら呪力を込める。

 

龍二

(バカ、なんで逃げない……)

 

朦朧とする意識の中、龍二は心の中で桃華に逃げろと叫ぶが、体が言うことを効かない。

どうにかして、彼女だけでも助けたかった。

自分が喰われている間に、増援が到着すれば桃華は助かるというのに。

しかしそれを許す牛鬼ではない。

 

牛鬼

あぁ? お前らなにやってんだ? さっさと俺に喰われればいいんだよ

 

牛鬼は鋭い牙の生えた口をニィッと吊り上げ、顔を二人へ近づけていく。

それでも桃華は、敵のことなど見向きもせず、木術にひたすら呪力を込め龍二の回復を試みる。

大きな口が開き、二人まとめて噛み砕かんと牙が眼前まで迫った。

龍二はうつ伏せになりながらも、虚ろな目で無理やり口だけを動かし、うわごとのように言う。

 

龍二

……逃げろ……

桃華

嫌です! 私たちは小さい頃からいつも一緒でした。死ぬ時も一緒です!

 

桃華はまるで駄々をこねる子供のように首を横へ振り泣き叫ぶ。

龍二は目を見開く。

言うことを聞かない彼女に苛立ちを覚えたと共に、喜びのような感情が浮かび上がったのだ。

こんな自分でも、そばにいてくれる人がいる、それだけでこんなにも嬉しいものなのか。

冷え切った心にじんわりと温もりが広がっていった。

 

龍二

(このバカっ……でも……)

 

龍二はゆっくりと目を閉じ、心の中で礼を言う。

そしてその一瞬の後、とうとう凶悪な牙が彼らに届く、その刹那――

 

――ズバァァァァァンッ!

 

雨も降っていないのに、耳をつんざくような雷鳴が轟いた。

驚いた牛鬼は瞬時に顔を引っ込め、その直後、龍二たちの目の前に眩い雷光が天より落ちる。

桃華は反射的に龍二の体に覆いかぶさってかばい、牛鬼は大きく跳び退いた。

 

桃華

…………これは、刀?

 

桃華がおそるおそる目を開くと、目の前には鞘に納まったままの刀が地面に突き刺さっていた。

どこか禍々しい覇気を纏っているその刀は、漆黒の鞘に数枚の呪符が貼りつけられ、柄と鞘をくっつけるように長い呪符も巻かれており、まるで抜けないように封じているかのようだ。

 

陰陽庁の増援が来たのかと、周囲を見回すが誰も来ていない。

桃華が怪訝そうに眉をしかめていると、瞳に光を取り戻した龍二がのっそりと体を起こす。

木術による治癒が少しは効いたようだ。

 

桃華

龍二さん?

龍二

……聞こえる

桃華

え?

 

龍二には誰かの声が頭に響いていた。

だがまだ遠く、誰の声かは認識できない。

だがそれは、刀が降って来てから聞こえ始めたことに違いない。

龍二は誰かに導かれるかのように、左手を地面に着いて体を支え右手を伸ばす。

震える右手は宙をさまよい、やがて漆黒の刀の柄に届いた。

それに触れた瞬間、龍二の意識は暗転――