#3 母の死【半妖の陰陽道 第一章】

第一章 封印されし血統

 

 

それからすぐ、担任から事情を聞いて学校を早退した龍二は、まっすぐ家へは戻らず寄り道していた。

町外れにある鬼屋敷家の本邸だ。

 

彼が今住んでいる小さな一軒家とは違い、広い敷地を持つ数奇屋造りの古風な屋敷。

元々は父親の持っていたもののようで、今は誰も住んでいない。

背の高い古びた土塀に囲まれ、入口は大きな観音開きの木戸門となっており、侍でも住んでいそうな由緒正しき日本家屋。

しかし龍二は、門横の小さな通用口の鍵を開けて入る。

 

かわら屋根の屋敷の玄関までは敷石しきいし絨毯じゅうたんのように並べられており、数メートルの距離がある。左右には広大な敷地が広がり、白砂利の上にぽつぽつと石灯籠が置いてあった。

龍二はヒノキの匂いに懐かしさを感じながら玄関までまっすぐ歩くと、縁に腰かけ沓脱石くつぬぎいしに足を乗せて靴を脱いだ。

そしてカバンを玄関の床に置いて、横の靴箱からスリッパを取り出すと外廊へと歩いていく。

色褪せた障子の並ぶ、幅広い木目調の床の上を歩いて行くと、屋敷の内部から視線を感じ足を止めた。

 

龍二

 

龍二は首を傾げる。

ここには誰も住んでいないはず。

試しにすぐ手前の障子を開けてみると、もちろん誰もおらず殺風景な畳の部屋があるだけだ。

龍二は不気味に思い眉を寄せ障子を閉めると、背後の中庭を振り返り、わずかに目を見開く。

庭にあったのは、淡い桃色の花を開き可憐に咲き誇る大きな枝垂しだれざくらだった。

 

龍二
相変わらず、か……

 

すべてを優しく包んでくれるような圧倒的な存在感は昔と変わらず。

今は春先だから桜が咲いているのは当たり前だが、奇妙なことにこの木だけは年がら年中、花を枯らすことなく咲き続けているのだ。

だからこそ、この屋敷は『妖怪屋敷』と近所で言われ、気味悪がられて誰も近づかない。

母はこの桜の秘密を知っていたようだが、一度も龍二に話すことはなく、春になると嵐堂家を呼びここで花見をしていた。

龍二が落ち込んだり悩んでいたときも、この枝垂桜を見せて勇気づけてくれた。

 

龍二

……母さん

 

呟いた声が震える。

拳を握りしめて唇をギュッと噛み、涙をこらえた。

 

――母が死んだ。

 

午前中、職員室で担任教師から告げられたのは、母の鬼屋敷月菜が出張先の奈良で命を落としたということだった。

話によると、ただの交通事故だったらしい。

龍二も最初は理解できなかった。

あの強い母がそんなにあっさり死ぬなど、どうしても考えられなかったから。

それで茫然自失となった龍二は、母との記憶を辿り、無意識のうちに本邸へと足を運んでいたのだ。

 

最後の言葉も聞けず、母は龍二にいったいなにを求めていたのか、枝垂桜を見上げてひたすら自問自答する。

しかしどれだけ時間経っても答えは出ない。

そうして立ち尽くし、日が暮れ始めた頃には、いつの間にか龍二の心は少しばかり落ち着きを取り戻していた。

美しく咲き誇る、この枝垂桜が抱きしめてくれていたようなそんな感覚があった。

 

龍二

……ありがとう

 

龍二は顔を上げて礼を言うと、とぼとぼと重い足取りで本邸を去るのだった。

 

…………………………

 

その日は嵐の夜だった。

土砂降りの大雨に強風が吹きすさぶ中、凄まじい雷鳴が轟き、枯れない枝垂桜の立つ屋敷へと雷光が落ちる。

しかしただの落雷ではない。

そこに混じった奇怪な気配に、屋敷の守り人は目を覚まし、暗闇の中で一人様子を見ようと動き出した。

宝石のような碧眼へきがんを爛々と輝かせ、スキップでもするかのように軽快に歩くその少女は、押し入れの奥にある提灯ちょうちんを見つけると灯を点ける。

 

提灯は桜の花びらが描かれた透かし彫りの球体で、ホタルのように儚く淡い光を放つ。

その明かりに照らされた着物姿の天真爛漫な少女は、二パァッと歯を見せて無邪気な笑みを浮かべた。

 

桃色の髪をツインテールにした、中学生くらいの少女。

クリクリとした愛らしい目に、餅のようにはりの良さそうな色白の頬、八重歯を覗かせた人懐っこい笑みは小動物のような印象。

可愛らしい花柄の黒の振袖に、下の裾は短くミニスカ風で、腰の後ろには大きなリボンが結ばれている。

細くすらりと伸びた足には、白と桃色の二―ソックスをはいていた。

いわゆる和ゴスという衣装だ。

 

あれれ~~~? どうしてふすまが開いてるの~?

 

最奥の部屋の手前までとことこと歩いて来た少女は、首をかしげる。

部屋の境界である襖はわずかに開いており、縁は黒ずんで焦げ跡のようになっていた。

 

しばらく彼女が不思議そうに目をぱちくりさせながら観察していると、襖の表面の至るところに一文字の亀裂が生まれ、一斉に目玉を見開く。

突然ギョロ目が大量出現するという怪奇現象に、少女は怯えるどころかクスクスと楽しそうに笑った。

 

きゃははっ、目々連もくもくれんおもしろーい。ねぇねぇ、どうして襖が開いてるのぉ? もしかして、また龍二さまが来てくれたのかなー?

 

少女が目を輝かせながら問うと、目玉たちは残念そうに目を瞑った。

その後ゆっくりと目を見開き、アイコンタクトで意思を伝える。

 

え~侵入者ぁ? それはおかしいね。だってりんがいるから、鬼屋敷家にゆかりのある方以外は入れないはずなんだけどなー

 

少女、鈴はムムムと眉を寄せ口を三角にして唸る。

しかしすぐに「まいっかぁ」と呟くと、焦る目玉たちの視線を無視し、襖を勢いよく開けた。

 

提灯を掲げて部屋を照らすと、奥にたたずんでいたのは、枝分かれした雷の模様が描かれた、侍のような灰色の衣に武者袴を着た、身長が二メートル近くある長い金髪の男だった。

彼が振り向くと、鈴は目を丸くする。

その顔面には数枚の呪符がびっしりと貼りつけられ、完全に素顔を隠していたのだ。

 

お兄さん誰ー? もしかして悪い人ー?

 

鈴が淡々とした表情で問うと、男は静かに首を横へ振り、再び後ろを振り向いた。

そこにあったのは、うるし塗りの刀掛台の上に置かれた一本の妖刀。

鞘は闇のように漆黒で艶を放ち、無数の呪符が貼られている。

封印の術が込められているものだ。

柄にも呪符が巻いてあり、特定の人物にしか抜くことができない。

しかしその鞘を、侵入者は手に取った。

 

あー! その刀は龍二さまのだから、持っていっちゃダメなんだよー!?

 

次の瞬間、男は妖刀を持ったまま鈴のほうを振り向くと、顔面の呪符が輝き始め、そして全身から眩い金色こんじきの雷光を発して姿を消した――

 

…………………………

 

母の葬儀があってから数日、龍二の胸にはぽっかりと穴が空いてしまったかのようだった。

実感はわかないが、いつも通り振舞おうという気にもなれない。

葬儀には陰陽庁の人間こそ多かったものの、親戚は少なかった。

だが桃華や銀次もいて、茫然自失としてただ立ち尽くすだけの龍二の代わりに、桃華が泣いてくれたことは救いだった。

 

それから数日の間、龍二は学校を休みベッドに潜ってなにも考えず惰性で生きていた。

まるで生きた屍のようだ。

さすがに桃華も遠慮して、朝起こしに来ることもない。

その代わり心配するメールが頻繁に届く。

不良仲間たちからはなんの連絡もなく、やはり友と呼べるような関係ではなかったと改めて認識し、少し寂しくも思う。

 

龍二

妖、か……

 

あるとき、桃華から来たメールにふと気になる件名があり、龍二はベッドに横になったまま読んでいた。

それは、惨殺された人の死骸が朝方見つかるという事件がこの数週間で多発し、その犯人が妖の仕業であるという内容だった。

陰陽塾で周知された内容では、残忍で狡猾な妖がこの町に潜み、夜な夜な人を襲って喰らっているのだという。

陰陽塾は陰陽庁で働く人材を育てるための教育機関であり、桃華も高校の放課後に通っている。そこが言っているのなら、信憑性は高い。

 

龍二

(そういえば、あいつらも似たようなこと言ってたな……)

 

先日、不良仲間の言っていたことを思い出す。

一般人にも知れ渡っているとなると、事態は想像以上に深刻なのかもしれない。

だが龍二にはどうすることもできず、陰陽庁の戦闘員である陰陽技官が滅してくれるのを待つだけだ。

そういう、悪と戦う力が欲しいなどという正義感はとうに捨てていた。

 

龍二

勝手にしてくれ……

 

過去、陰陽塾に通っていたときのことを思い出し、龍二は悲痛に顔を歪める。

なにげなく桃華からのメールを下へスクロールしていくと、夜は危険だから外に出るな、なにか入用のものがあれば、自分が買いに行くと書かれていた。

かいがいしいことだ。

彼女は律儀にも、「龍二の面倒を見る」という母との約束を守ろうとしているのだろう。

 

龍二

まるで、呪いじゃないか

 

忌々しげに呟く。

無力な自分が責められているようにも感じた。

プロの陰陽師を目指して努力している桃華は、なぜか龍二が陰陽師になることを望んでいる。

龍二がいくら才能がなくとも、彼女だけは笑顔を絶やさず応援してくれた。

 

しかし、それでも無理だったのだ。

母はそんな情けない息子を責めたりせず、陰陽道を諦めることを受け入れてくれたために、それに甘えてしまった。

しかし今となっては、母の本当の望みはいったいなんだったのか、心の底では龍二に自分のような立派な陰陽師になって欲しかったのではないのか、自分の選択は本当に正しかったのか、などと悶々と考え続けている。

もしかすると、自分は母を一生裏切ったまま生き続けていくのかもしれないと、底知れぬ恐怖と罪悪感に押しつぶされそうだった。

 

龍二

もう許してくれ……

 

最後に震える声で呟くと、携帯を机の上へ放り投げ、布団を頭からかぶって目を閉じる。

 

しばらくして……

ブ―――――ッ、ブ―――――ッ

 

龍二

……?

 

机の上で鳴っている振動音で龍二は目を覚ます。

布団をどけて窓の外を見ると、もうすっかり暗くなっており、自分が眠りに落ちていたのだと悟る。

なんだか頭も痛い。

龍二が顔をしかめながら机の上へ手を伸ばし、未だ鳴りやまない携帯を手に取って液晶画面を確認すると、桃華からの着信だった。

途端に現実へ引きずり戻されたようで、肩を落としため息を吐く。

 

龍二

………………はい?

 

出るか迷った龍二だったが、途切れてもまたかけ直してくる彼女の根気強さに負け、とうとう通話ボタンを押した。

不機嫌さを隠さない低い声を発したが、陰気さを払うような高く大きな声が返ってきた。

 

 

桃華

龍二さん! 今どこにいますか!?

龍二

なんだよ急に……家だけど

 

龍二は顔をしかめ携帯を耳から離した。

寝起きに彼女の声はきつい。

だが桃華は、どこか焦燥感を感じさせる雰囲気でまくしたてる。

 

桃華

良かった、間に合った! それなら、今晩は絶対外へ出ないでください!

 

いつもはただ真っすぐで熱いだけの桃華だが、切羽詰まったような言葉に違和感を感じる。

まるで、外ではなにかよくないことが起こっているかのようだ。

龍二は背筋を虫が這うような、気味の悪い感覚を覚え、その真意を問わずにはいられない。

 

龍二
元からそのつもりだけど、どうして?
桃華

妖が出たんです

龍二

……なんだって?

桃華

だから、妖ですよ! それも、人にあだなす凶悪なタイプです。最近、猛威を振るっている例の妖ですよ!

龍二

っ!

 

なんことかは龍二にもすぐに分かった。

ここ数週間、夜な夜な人を喰らっているという妖だ。

しかしまだ、事態が上手く飲み込めない。

今までは上手く隠れて見つかりもしなかったのに、それが突然姿を現すなんて。

 

龍二

それは確かなのか?

桃華

はい。ちょうど今、帰る途中で陰陽技官の方に注意されて知ったんです

龍二

そういうことか

 

陰陽技官とは、陰陽庁に所属する国家直属の陰陽師だ。

主に陰陽庁の職員は、陰陽技官と天文官の二種類に分かれ、陰陽技官は戦闘のプロとして前線で戦い、天文官は星読みによるサポートや事務仕事などをメインで行っている。

おそらく彼らが本格的に調査を開始し、妖が姿を現すのを待ち伏せていたということなのだろう。

それならば心配はいらない。

どちらかというと、まだ外にいるであろう桃華自身のほうが危険だ。

あくまで自分のことよりも龍二の身を案じる桃華に、照れくささを感じつつ呆れたように言った。

 

龍二

お前なぁ、俺より自分の心配をしろよ

桃華

とっ、とにかく! 私もすぐに帰るので、龍二さんも絶対に外へ出ないでくださいね? 約束ですよ?

龍二

はいはい、分かった分かった

桃華
んもぅ……

 

桃華は呆れたようなため息を吐くと「それじゃまた」と別れを告げた。

最後はいつもの彼女の雰囲気だったので、龍二も安心して通話を切ろうとする。

しかしそのとき、携帯の向こうから小さな悲鳴が聞こえた。

桃華のものではないが、そのすぐ近くからだ。

龍二は慌てて再度桃華へ呼びかける。

 

龍二

なんだ今のは!? 桃華!?

 

しかし、既に通信は途切れており返事はない。

居ても立ってもいられず、電話をかけ直す。

 

龍二

……ちぃっ、いったいなんなんだ……

 

何度かけ直しても桃華は出ない。

龍二の背筋に冷たいなにかが這い上がるようだった。

脳裏で桃華と母が重なり、無意識に拳を強く握る。

 

龍二

約束したばっかり、だろ……

 

うわごとのように呟いた声は酷く乾いていた。

『約束』とは、言葉によって人を縛る、一種の呪いだ。

もし妖が出たのなら、プロの陰陽師たちに任せておけばいい。

龍二は必死に言い訳を探し思考を巡らせた。

 

龍二

くっ……

 

やがてベッドから降りて立ち尽くす。

ふと、写真立てが目に入った。

そこには龍二と母と嵐堂夫婦、そして幼い龍二と手を繋いで嬉しそうに笑う桃華の姿。

龍二の心に迷いが生まれる。

もし彼女が妖に襲われたとして、無能な自分が行ったところでなにもできやしない。

それにもしかしたら、桃華が既に滅しているかもしれない。

彼女もまだ塾生とはいえ、陰陽術については才ありと講師たちからも評判が良かった。

 

龍二

……くそったれが!

 

龍二は次々浮かぶ言い訳を振り払うようにかぶりを振ると、Tシャツの上に黒い革のジャケットを羽織り、家を飛び出した。