第一章 絶望の異世界
シュウゴは大剣を地面に突き立てると、背のポーチから伸縮式のゴム袋を取り出し、イービルアイの死骸の元へと歩いていく。
そしてその直径一メートルはある目玉を抜き取りゴム袋に入れた。
袋は大きく伸び、まるでサッカーボールをネットに入れているかのようでもある。
見かけによらずイービルアイの素材は有用だ。
光線を放つ目玉は加工することで、瞬間的に光を発散させる使い捨てアイテム『フラッシュボム』になり、硬いまぶたや翼は防具の強化素材になる。
魔物はクラス分けによって、その危険度が明確化されている。
まず最下位はクラスD。
これに該当する魔物は現在『アビススライム』一体しかおらず、人やエルフの討伐隊がこのレベルにある。
つまり、ほぼ全ての魔物が各上なのだ。
凶霧が発生する前であれば、『ゴブリン』や『ワーウルフ』などが存在していたそうだが、弱い種族は凶霧に飲まれその姿を消した。
次にクラスC。
『イービルアイ』や『カトブレパス』などがこれにあたり、ソロでの討伐も厳しい。
通常は四人以上のパーティで戦うことを推奨されている。
次にクラスB。
これはクラスCの力を大幅に上回るものが該当する。
大勢で挑んでも勝てる可能性が低い大型魔獣ばかりで、例えば『カオスキメラ』や『コカトリス』が該当する。
そしてクラスA。
恐らく凶霧発生以降、一体も討伐に成功していない凶悪な魔物たちだ。
目撃情報があるものでは『狂戦獣ベヒーモス』がいる。
それ以上のクラスについては、どの書物にも載ってはいなかったが、クラスSが存在しているとの噂も稀に聞く。
シュウゴは素材収集を終え、『転石』のあるエリアへ向かって歩いていた。
転石とは、転送魔法を宿した神秘的な石で、各フィールドと拠点の間を行き来できる優れものだ。
廃墟と化した村を歩くたび、視界の隅でアビススライムの姿が見える。
全身が灰色半透明の不定形モンスターであり、目や口などの部位や知性もない。
凶霧発生以降、フィールドに大量発生し、生きた人や魔物の死骸などをその液状の体で丸のみしてきた。
もし不意を突かれて飲み込まれれば、体内の消化液で死体も残らない。
炎で焼き尽くすしか倒す方法はなく、基本的に素材は回収できないが、稀に体内で消化しきれなかった高ランク鉱石などのアイテムをドロップすることもある。
アビススライムを無視してしばらく歩いていくと、野太い男の悲鳴が聞こえた。
すぐに魔物の雄叫びも聞こえ、状況を確認すべく肩に担いでいた素材入りのゴム袋を物陰に置いて駆け出した。
何軒か破壊された家々を越えた先――村の広場のような場所で戦闘が起こっているようだ。
足が震える。
クラスBの凶悪な魔獣だ。
カトブレパスよりもさらに一回り大きく、上半身から顔にかけてはライオン、下半身から背中にかけてはヤギ、尻尾は六又に分かれ、それぞれ尾の先が蛇の頭になっている。
見たところ、対峙しているのはカムラの討伐隊だった。立派な甲冑に身を包んだ騎士や厚めのレザーアーマーで素早く動き回る戦士、紺のローブに杖を振るって魔法を打ち出す魔術師の十人編成だ。
とはいえ、既に三人は血だまりに突っ伏している。
シュウゴにとって、ここで加勢するのが得策ではないことなど明白だった。
――くそぉっ! よくもオガを!
レザーアーマーの戦士がロングソードを両手で握り駆け出した。
同僚の戦士が今、地に倒れ伏し獅子の牙を突き立てられている。
があぁぁぁっ!
今助けるぞ!
待てクロロ!
若い戦士『クロロ』の前方を走っていた騎士が叫び、足を止める。
彼ら三人が盾を斜め上に構えると同時に、キメラのヤギの口から青色の火炎ブレスが放射された。
ぐぅぅぅぅぅ
放射が止むと同時に、騎士たちの後ろからクロロが飛び出した。
向かう先は食われかけている同僚の元。
後方で支援していた魔術師たちの魔法攻撃がキメラへ放たれる。
しかし炎の魔法も氷の魔法も獅子の顔やヤギの首に命中するがビクともしない。
クロロ、上だ!
なに!? しまっ――
疾走するクロロの頭上にキメラの尻尾――蛇の頭が迫っていた。
クロロは頭上を仰ぎ、かわしきれないと悟るが――
――ギィヤァァァァァッ!
ヤギ頭が突然叫び、のけぞった。
クロロの頭上の蛇は頭を切断され、大きく吹き飛んで広場横のテントへ衝突し砂塵を巻き上げる。
騎士や魔術師たちが唖然と立ち尽くす中、一人の若い男がカオスキメラの目と鼻の先で滞空していた。
足の裏から炎を噴射し、肩に大剣を担いでカオスキメラを睨みつけていたのはシュウゴだった。
獅子が雄たけびを上げ、五体の蛇頭を順にシュウゴへ向かわせる。
彼は冷静に一体一体の軌道を見極め回避。
隙の出来た五体目の首を斬り落とす。
グオォォォンッ!
カオスキメラの獅子が短く叫ぶが攻撃の手を緩めず、四体の蛇が方向転換し、シュウゴの周囲四方向から一斉に襲い掛かった。
――バシュゥゥゥゥゥッ!
シュウゴはバック噴射で大きく後退し避ける。
すると、蛇たちはそのまま高度を下げ、ヤギがブレスを放った。
シュウゴはその場で滞空し左腕をブレスへと突き出して魔力を込める。
巨大な氷結の盾でブレスを受けるが、その威力はイービルアイのレーザー以上。
激戦を前に呆然と佇む討伐隊へ、シュウゴは力の限り叫んだ。
っ! 恩に着るっ!
我に返ったクロロが叫び、カオスキメラの足元に倒れる仲間へと駆け寄った。
他の騎士たちもそれに続き、その中のリーダーらしき長身の男が叫ぶ。
魔術班は詠唱を開始! オガの救出が完了次第、魔法をキメラの足元へ放つんだ!
紺のローブを纏った魔術師三人が長い杖を頭上へ掲げ、魔力を溜めていく。
くっ……もう持たない……
ブレスを受け続けているシュウゴは、魔法を使うための精神力――いわゆる魔力が枯渇寸前。
魔装の隼は最低限の魔法で高出力が出せるため燃費が良いが、氷の盾は別だ。
ブレスによって氷を削られ続け、魔力を消費して再生させることで、使用限界が瞬く間に迫る。
シュウゴの額に冷や汗が流れたそのとき――
――っ!?
突然ヤギの口が上へと反れ、蒼炎の放射が中断された。
シュウゴが眼下を確認すると、魔術師たちによって次々に炎魔法が放たれ、カオスキメラの後ろ足の地面を砕いていた。
負傷者は既に後方へ運ばれ、三人の騎士がカオスキメラへと向かって駆けている。
シュウゴの魔力残量は残りわずか。
もう十分な飛距離も期待できず、氷結の盾を展開する余力もない。
うおぉぉぉ!
全ての魔力を腰の噴射口に込め飛び出した。
狙いは体勢を崩しよろめいているヤギ頭。
風を切り、猛スピードで一直線に迫る。
尾の蛇たちが向かってくるが、身をよじって紙一重で避け、避けきれないものは大剣で切り払う。
後方の魔法攻撃が止み、体勢を整えたヤギ頭が再びブレスを口一杯に溜めるが、もう遅い。
はぁぁぁっ!
グレートバスターをヤギの右目の上から振り下ろす。
豪快に肉を断ち、一撃で活動を停止したヤギは口に溜めていたブレスを内部で暴発させ、頭全体を蒼の炎で焼く。
すぐに黒こげになり、完全に沈黙した。
や、やった!
おおぉっ!
すげぇ……
カオスキメラの眼前まで迫っていた騎士たちが歓喜の声を上げる。
だが、まだ討伐には至っていない。
グオォォォォォォンッ!
獅子は憤怒の咆哮を上げると、右前足と右後ろ足を一歩引いた。その直後、その場で豪快に一回転する。
くっ!?
下にいた騎士たちは慌てて盾を構え振り回された蛇頭の打撃を防御。
しかし、魔力が底をつきカオスキメラの背に膝をついていたシュウゴは、勢いよく振り落とされて宙へ投げ出される。
背中から地面へと激突する寸前、彼の体は受け止められた。
おいあんたっ、大丈夫か!?
シュウゴはよろけながらも立ち上がり、カオスキメラへ目を向ける。
カオスキメラはその場で大きく跳び退き、まるで目に焼き付けるかのようにシュウゴを凝視するとすぐにきびすを返した。
その尾の蛇はこちらを監視しつつ、ゆっくりと歩き去っていく。
……や、奴が逃げるぞ!
構わん! 深追いしたところで勝ち目はない。今は負傷者を町まで運ぶ方が重要だ
騎士隊長の諫言で討伐隊は撤退の準備を始める。
救出された戦士は腹から大量の血を流し瀕死の状態だった。
クロロと騎士の一人が両側から腕を回し、慎重に運んでいく。
カオスキメラの撃退は、なんとか成功。
シュウゴは置いてきた素材を回収しようと彼らに背を向けた。
助かったよ。見慣れない装備だが、バラム商会のハンターだろう?
……はい
街に戻ったら、領主様への戦果報告に君も立ち会ってほしいんだが、どうかな?
いえ、俺は……
領主などというお偉いさんと会うのが億劫だと感じたシュウゴは丁重に断り立ち去るのだった。