第四章 『ヤマト運用商会』結成
ヤマトは、トリニティスイーツのメンバーに新しく始める商売について説明した後、ウルティマ商会の本店を訪れていた。
最も信頼でき、商売上でも頼りになる人たちだ。
ヤマトが扉を開けるとすぐに、カウンターで受付嬢と話していたシーアが気付き目を輝かせた。
あぁっ! ヤマト様ぁーっ!
そして真正面から抱きついて来た。
突然のことで思わず抱き留めたヤマトだが、お嬢様の柔肌は奥手な青年には刺激が強い。
以前、シルフィたちと遭遇した一件から、ますますスキンシップが過激になっている気がする。
シーアはひとしきりギュッとヤマトを抱きしめると、上目遣いに見上げ嬉しそうに微笑んだ。
お待ちしておりました。ヤマト様
あれ? 僕が来るって知ってたの?
はい、当商会にご相談があるとのお手紙が届いたと、お父様から教えて頂きました
なるほどね
商会を立ち上げる件については、以前から検討しており、相談に伺うと会長のアークへ事前に送っていたのだ。
まさかシーアがそれを知って、待ち伏せしているとは思ってもみなかったが。
ニコニコとヤマトの顔を下から眺めるシーアだったが、その豊満な胸元でなにかがもぞもぞと動いた。
すると、ヤマトとシーアの密着した胸の間から出てきたのは、ピー助だった。
幸せそうに目を細めている。
これが人間の男だったら酷く下品なものに見えていたことだろう。
しかし純粋なシーアはオス鳥の下心に気付かない。
ピー助さん!? だ、大丈夫ですか!?
シーアは慌てて体を離し、胸元のピー助を抱き上げるが、ヤマトはあきれたようにため息を吐いた。
このスケベ鳥は、ヤマトがシーアに抱きつかれる寸前で、体を滑り込ませたのだろう。
ポゥ太もうらやましそうに見ている。
それから少しの間、シーアと談笑していると、ちょび髭のダンディな男が奥の階段から降りてきた。
これはヤマトさん。ようこそおいでくださいました
アーク会長、ご無沙汰してます。今日は、僕の相談に応じてくださってありがとうございます
ヤマトさんのためならお安い御用ですよ。シーア、ヤマトさんを少しお借りするがいいかな?
はい! それではヤマト様、またのちほど
うん、ピー助のほうをよろしく
ピー助は、シーアの腕の中で幸せそうに眠っていた。
ポゥ太はいつの間にか、店のアクセサリーを興味津々に見回っていたので、ヤマト一人でアークの執務室へ移動した。
ダークブラウンの高質なテーブルを挟んで、ふかふかのソファに座ると、秘書らしき女性がハーブティーを置いてくれる。
さてヤマトさん、ご相談とはいったいどういった内容でしょうか? お恥ずかしながら、私には皆目見当もつきません
実は、商会を立ち上げようと思っているんです
なんと!? 商会をですか?
アークは目を丸くして、聞き返してきた。
だが決して、否定するような雰囲気はなく、むしろ嬉しそうだ。
はい。僕が今お世話になっているハンターパーティも、人手が足りていますし、ちょうどいい機会だと思いまして
そうですか。いやめでたいですな! ヤマトさんほどの実力者なら、きっと上手くいくことでしょう
そう言ってもらえると心強いです
短期間で商会の規模を拡大させた実力者であるアークに言われると、説得力があり自信が湧いてくる。
ヤマトは照れくさく思うが、謙遜はしない。
ちなみに、どういった商売をされるのですか?
資産管理の代行です
ふむ……それはいったい、どのような商売になるのでしょうか?
簡単に言うと、商会や店、個人といったお客さんの資産を預かり、それを投資や先物取引など金融市場で運用するのです
ほぅ? つまり、今までヤマトさんがハンターパーティでされていたことの規模を拡大するということですね
その通りです。商会としての利益は、運用することで得られる差益の一部を管理手数料として回収します
顎に手を当て得心するように頷くアーク。
理解が早くて助かる。
……素晴らしい! ヤマトさんの実力なら、圧倒的な利回りを出せるでしょう
ヤマトは強く頷いた。
ピー助、ポゥ太、キュウ子といった優秀な情報収集係がいるので、儲けるチャンスはいくらでも見つかる。
後は、伸びそうな商会へ出資したり、高騰しそうな資源の所有権を先物市場で売買したりするだけで良いのだ。
結局、ソウルヒートやトリニティスイーツの資金管理をしていた時となにも変わらない。
唯一の違いは、商会として利益を追い求める攻めの姿勢に転じることだ。
しかしヤマトさん。私へのご相談というのは……
はい、もちろんこのご報告で終わりではありません。この商売は、信用がなによりも大事です。お客さんの資産をしっかり守れるという安心感、そして確かな実力を持ち、資産を増やせるという信頼が
間違いありません
ですので、実績のない最初はやはり、顧客が集まらないでしょう。そこで、様々な商会に顔のきくアーク会長に、知り合いへ勧めてもらいたいのです
もちろんヤマトにも、ウルティマ商会以外との繋がりはある。
かつて短期間だけ出資していた商会や、懇意にしていた店などにも声をかけていくつもりだ。
しかしこの商売は手数料ビジネス。
より多くの顧客を獲得することが、成功への鍵と言えるのだ。
ヤマトの提案に、アークは微笑みながら頷いた。
もちろん構いません。私どもはヤマトさんにご恩がありますから、知り合いに紹介しましょう。もちろん会長のヤマトさんは、我がウルティマ商会が繁盛するきっかけを作った実力者だと付け加えて
ありがとうございます。すごく頼もしいです
お安い御用です。ところで、見返りと言ってはなんですが……
はい、なんでもおっしゃってください
ヤマトはにこやかに頷いた。
もしヤマトが失敗すれば、彼を紹介したアークの信用にも傷がつく。
そのリスクをおかすのだから、それなりの見返りはあって当然だ。
その内容を冷静に吟味すべく、ヤマトがハーブティーに口を付けると――
うちのシーアを嫁としてもらって頂きたいのです
ぶふぉっ!?
ヤマトは盛大に噴き出した。
もちろん、その要望は丁重にお断りし、別の要望で勘弁してもらうのだった。
…………………………
ヤマトが外へ出ると、日も暮れ始め町の人通りも多くなってきていた。
仕事終わりの騎士や汗だくになったハンターたちで酒場や市場はごった返している。
彼は寄り道せずまっすぐに宿へ向かって歩き出した。
そんな後ろ姿を遠くから眺める小さい影があった。
やっと見つけた……
紅い瞳を輝かせて呟いたのは、明らかに怪しい格好をした少女。
漆黒の毛皮で作られた胸下までの黒装束の下には鎖帷子を着込み、短いスカートの後ろから垂れている尻尾のような布は、剛毛で毛先が鋭く尖っている。
闇のように暗い髪は長くサイドテールを作っており、口元をスカーフで隠しているものの、シミ一つない色白の肌も相まって可憐な美少女と言って過言ではない。
彼女は見失わないようにと、一定の距離を保ちながら、ヤマトの後を追う。
ヤマト様……
愛おしそうにヤマトの名を呼ぶ少女の目には、歓喜の涙が浮かんでいた。
…………………………
翌日、ヤマトは資産管理代行の事業計画を紙へ詳細に書くと、それを持って金庫番を訪れた。
ヤマトの融資担当ロンドは、商会を立ち上げると聞いて目を丸くしていたが、詳細な事業計画を聞くと満足げに頷いた。
はい、もちろん融資させて頂きますよ。これまでヤマト様の融資担当をしてきて、資産運用におけるあなたの手腕は、よく理解しているつもりですから
ロンドが融資の依頼を快諾し、ヤマトは内心安堵する。
商会を立ち上げるには、まず拠点となる店を買わなければならず、他にも帳簿作成やら顧客リストの整理やらを管理するための備品や人件費、掲示板へ掲載するための広告宣伝費など、様々な資金が必要となるのだ。
それに、顧客の資産を運用する上で投資先や取引商品を選定するのに、ピー助たちに協力してもらうのでタダ働きというわけにもいかない。
給料の代わりにそれなりの食事を与えるなど、礼を尽くすのが妥当だろう。
しかし、うちとは競合になりそうですねぇ。金融の知識がない多くの方々は、他人に資産を運用してもらうなど危険だと考えるでしょうが、実際のところは金庫番の預金口座に眠らせておくより、ヤマト様に預けて金に働かせたほうが何倍もいい
インフレへのヘッジにもなりますからね
インフレとは、物の価値が上がり貨幣の価値が下がることだ。
たとえば、インフレが進むと、今まで100ウォルで買えていたものが110ウォルでないと買えなくなる。
つまり、資産を眠らせておけば、いざインフレが進行したときに価値が下がってしまうのだ。
しかもこのインフレ自体、適度な上昇率であれば経済活動にはプラスとなるため、政府もインフレ上昇を目指した政策をとっている。
おっしゃる通りですね。時が経つにつれ、多くの人々が気付くでしょう
ご迷惑をおかけします
いえいえ、私たちもあなたのおかげで色々と儲けさせて頂きました。他の親しいお客様にも、ヤマト様の商会のことをご紹介させて頂きますよ
そこまでしてくださって、本当にありがとうございます
ヤマトは深く頭を下げる。
その後、融資金の手続きを完了させて店を出た。
外へ出てすぐ、ヤマトは視線を感じた。
しかし周囲を見回してみても、道行く人ばかりでこちらを見ている者はいない。
不気味だが、特に負の感情を向けているような雰囲気でもなさそうだ。
気にせず歩き出そうとするが、知り合いの店にも挨拶しようと思いつく。
ヤマトは宿の方向とは逆方向へと歩き出した。
商会の建物と雑貨屋との間にできた路地の横を通り過ぎようとした、そのとき――
――あっ……
小さな声が耳に届いた。
ヤマトが横を見ると、黒髪サイドテールの美少女と目が合う。
仄暗い路地でも綺麗な色白の肌と紅い瞳は闇に溶けず、上半身の半分より下は鎖帷子のみで下はミニスカートという露出多めな黒装束を着込んでいるが、口元はスカーフで覆っているため表情は分かりづらい。
彼女はヤマトと目が合うと、目を見開き固まった。
ヤ、ヤマト様っ……
今度はヤマトが驚く番だった。
彼女は確かに彼の名を呼んだが、ヤマト本人は面識がない。
ヤマトは不思議そうに首を傾げて問う。
あっ、いえ、あのぅ……
少女は混乱したように目を回しながら後ずさる。
しどろもどろになりつつ顔を赤く染めていき、目をギュッとつむって俯いた。
ヤマトが「ど、どうしたの?」と近づこうとすると、彼女はサッときびすを返し、路地の奥へと逃げて行ってしまった。
ヤマトは初対面の少女の不可解な反応に困惑するが、別に悪意のようなものは感じなかったので、今は良しとすることにした。